第2話 不思議なキノコ

 緑色の三角帽を被り、草木を編んで作ったような服を着ている小さな小さな少女と目線を近付けるべく、ワシは扉の近くでしゃがみ込んだ。


「ひょっとすると、お前は妖精さんか? 見たところ羽は付いておらんが……」

「アタシはノームだ!」


 腰に手を当て、ニカッと笑って宣言する。


「ノームとな。こりゃあ珍しいのう」


 ノームは地下でひっそり暮らす地の妖精である。滅多に人間の前に姿を現すことはなく、その存在は魔物研究が進んだ現在に於いてなお謎とされていた。


「しっかしアレだな。いい年したジイさんが『妖精さん』とか言うと、遂にイカれちまったのかと思って心配になるな」

「く、口の悪いノームじゃのう……!」

「ははは。悪りぃ、悪りぃ。せっかく夜、人目を忍んで恩返しに来たってのに、これじゃあ単なる嫌がらせだな」

「恩返し? 先程もそう言っておったな。ワシはお前さんを助けた覚えは、ないんじゃが?」

「それがあるんだよ。アタシはアンタに命を救われた。生き埋めになってたところを助けて貰ったんだ」

「ああ、つまりアレか。教会の……」

「そう。山のキノコが大雨で腐っちゃいけねえと思って採りに行ったら、アタシとしたことがそのまま山崩れにあって生き埋めよ。いくらノームとはいえ、食べ物も空気もない状態でほっとかれたら死んでたかも知れねえ。それがアンタの土魔法で土砂は元通り、アタシは助かったって訳だ」


 なるほど。ワシは人助けのついでに、妖精助けまでしていたらしい。


「ノームは義理堅てえんだ。きっちり恩は返させて貰うぜ。まぁ余生短いジジィの最後の手向たむけにでもなりゃあいいな」

「!? さっきからお前さん、メチャメチャ口悪いのう!!」


 驚いてしまう。体長はとんでもなく小さいが、大きな目に整った顔。町一番の美人をそのまま小さくしたようで、外見はとても愛らしいのに。


「すまねえ。こう見えて、アタシはアンタより長生きしてるからな。ついつい上から目線になっちまう」

「そ、そうなのか?」

「ああ。今年で三百四十二歳だ」

「何とまぁ……!」


 ワシより年上の美しいノームは、思い出したようにポンと手を叩く。


「おっと、名乗るのが遅れたな。アタシはシェリルってんだ。シェリルって呼んでくれ!」

「そのままじゃの……。しかし、シェリルよ。恩返しと言ってもワシもこの年じゃ。たいした望みはないがのう」

「ちっと待ってろ」


 そう言ってシェリルは扉の隙間から出て行った、と思えば、


「おいしょ、こらしょ! どっせい!」


 外に置いてあったのだろうか。自分の体半分も大きさのあるキノコを抱えて、戻ってくる。


「これがアタシの恩返しだ! このキノコは今のアンタに絶対、必要なもんだぜ!」

「ほう。寿命でも延びたりするのかの?」


 特定のキノコに長寿の効果があるという話はよく聞く。大抵は眉唾ものの噂だが、それでもノームがくれたキノコとなると少し信憑性がある。いやまぁ、よく見れば、紫の斑点が付いて毒々しい感じがするのだが……。


 するとシェリルはキノコを持ったままワシの近くまで来て、とんでもないことをさらりと言う。

 

「いいか! この『不思議なキノコ』を食べると、ブッ飛んだ幻覚が見られるんだ! 気分が上がりに上がって、イヤなことなんか全部忘れて気持ち良くなれるんだぜ!」

「!? いやそれ一番、老人に関係ないやつじゃろ!! 何でこの年でトリップせにゃあならんのじゃ!!」


 ビックリして叫んでしまう。幻覚の見えるキノコや草は、それに熱中し、仕事が手に付かなくなる者がいることから、この地アスライル大陸を治める王はそういった植物の栽培や摂食を法で禁じていた。


「お、お前さん、まさかその違法キノコを採ってる最中、山崩れにあったのか?」

「ああ、そうだ!」

「……自業自得じゃな」

「別に悪いことしてる訳じゃねえぞ! ノームの世界じゃあ合法なんだ!」


 国が変われば法が変わるように、人間世界とノームの世界には倫理観に隔たりがあるらしい。


 ――文化が違うんじゃろうな……うん。だからきっと、口も悪いんじゃ。


 そんなことを考えていると、シェリルはキノコを抱えたまま、ワシの脚をつんつんと突き始めた。


「とりあえず一回やってみ! すっげえ快感だから! 病みつきになっから! もうこのキノコ無しじゃ生きていられない体になっから!」

「じゃから、そんな危険な状態になりたくないんじゃが!? いらんよ!!」

「楽しいってば! やりなって! ……やれよ!」


 猛然とシェリルはワシに『不思議なキノコ』を勧めてくる。断固として断っていると、徐々にシェリルの顔は赤くなってきた。


「せっかくのアタシの好意が受け取れねえってのかよ! クソッ、こうなりゃ無理矢理にでも食わせてやる!」


 器用にキノコを担ぐと素早く動き回る! そしてワシの脚を伝い、胴体をよじ登ってくる!


「こ、これ! やめんか……って、はっぐうっ!?」


 気付けば開いた口に、不思議なキノコがねじ込まれていた。大きさの割りに口に入れた瞬間、スッと溶けるようにして喉の奥に入っていく。


「げほっ、がほっ!! 何するんじゃ!! 殺す気か!?」


 叫んだ瞬間、頭がクラクラとした。


「不思議なキノコは食った瞬間から効き始めるんだ。ホラ、倒れちまう前におとなしくベッドに寝ころんでな」

「うう……」


 軽い目眩に足下をふらつかせながら、言われるままにベッドに向かう。寝転がって、枕元にいるシェリルに話し掛ける。


「ほ、本当に大丈夫なんじゃろうな?」

「心配すんな。怖いのは最初だけだ」

「その言い方が何かもうすごく怖いんじゃが……!」

「とりあえずしばらく寝とけ」


 ――はぁ。何でワシがこんな目に……。


 シェリルにしてみれば、好意のつもりかも知れないが、全く持ってありがた迷惑である。こんなことになるのなら、ノームなど家の中に招き入れない方が良かった。そう後悔しているうちにワシの意識は微睡んでいくのだった……。






「……おーい、起きろ」


 シェリルの声で目を開いた瞬間、ワシは吃驚する。


 辺りは一面、真っ白な空間。部屋の家具は勿論、ベッドすら無くなっている。ワシは地平線が見える白い地面の上に寝ころんでいた。


 耳元でシェリルが笑う。


「どーだ、すげえだろ!」

「これがキノコによる幻覚か……」


 はて。するとこのシェリルもワシが作った幻なんじゃろうか。不思議に思っていると、シェリルは察したように首を横に振る。


「言っとくがアタシは幻覚じゃないぜ。『不思議なキノコを食った奴の傍にいれば、ソイツの意識に同調出来る』――これがノームの能力なんだ。現実のアタシは、ベッドのアンタの隣で寝てるって訳だ」


 小さなシェリルはワシの胸に乗って語っていた。ワシが起き上がろうとすると、シェリルはワシのローブの胸元にスッと体を入れる。


「しかし、だだっ広いだけで何もない空間じゃの。これの一体、何が楽しいんじゃ?」

「楽しいのはこっからだよ。意識の中は自由なんだ。つまり、何でも好きなことを創造出来るんだ」

「創造、じゃと?」


 シェリルはにやりと笑う。


「手始めに、女なんてどうだ?」

「……はぁ?」

「現実じゃ、もうすっかり枯れ果てちまってんだろ? だけど此処は意識の中! 何でも好きなこと、し放題だよ!」


 枯れ果てている、とは失礼な。だが、確かに五十を過ぎた頃から、すっかりその気は消え失せてしまったけれど。


「ホラ、創造してみろよ? アンタの『好みの女』をさ」


 そう言われてワシは何となくミーシャを思い描いた。つい先程クラインに訃報を聞かされていたせいもあったろう。


 すると唐突に、ワシの目の前に若き日のミーシャが現れた。


「おお……!」


 麻の服に赤いおさげの髪! あの頃のミーシャがワシの前に佇んでいる!


 感動して、おそるおそる近寄り、頬にそっと手を当ててみた。体温のある人肌――だが、まるで人形のように動きはしない。


 どうしたら良いものか呆然としていると、シェリルがワシの胸を叩く。


「ホラ、どうせ空想の女だ! 服、脱がして乳揉んだりしてみろよ!」

「い、いやそんなワシは、」

「ハッハハ! 照れるような年でもねえだろ!」

「というか……ワシ……そんなことしたことないし……」

「えええっ!! ジイさん、女を触ったことないのか!?」


 驚いた顔を見せたシェリルに、こくりと頷く。


「嘘だろ!! 今まで女と寝たことないのか!? ジイさんアンタ、幾つだ!?」

「今年でちょうど七十になるのう」

「実は魔導士じゃなくて僧侶なのか!? 若い頃、生涯独身を貫くって心に誓ったとか!?」

「いや、別に。ただ何というか、そういうタイミングが今までずっと無かったと言うか、何と言うか」

「じゃあアンタ、すっげえ年期の入った童貞だな!! この『童貞ジジイ』!!」

「!! そんな言い方、しないでくれる!?」


 ワシが狼狽えるのを見てシェリルはひとしきり笑うと、やがて胸元から飛び出した。


「それじゃあアタシはひとまず先に戻ってるよ。まぁ、ゆっくりと空想の世界を楽しみな」

「ま、待ってくれ! ワシはいつ目覚めるんじゃ?」

「キノコの効果は約三時間だ。ほっときゃ目覚めるよ」


 言った瞬間、シェリルの姿はワシの視界から消えてしまった。


「えええええ……行ってしもうた……」


 そしてワシの傍には、若き日のミーシャが無防備な状態で横たわっている。


 ――ミーシャ……。


 シェリルは『空想だから好きにしろ』と言っていたが、下心など全く起きなかった。年のせいもあるが、なにせ先程、ミーシャが死んだと聞かされたばかりなのだ。


 ワシは傍にいるミーシャに『消えてくれ』と願った。するとミーシャの姿はこの世界から消えて、真っ白な世界にワシだけが一人、取り残された。


 シェリルはキノコの効果が切れるまで、三時間と言っていた。ならワシはこの何もない世界で退屈な時間を過ごさねばならんのか。


 若い時分ならともかく、こういう幻覚を見せられたところで、老人にはさして感慨深くもない。そりゃあ昔は恋愛にも興味はあったが、現在のワシの願いではない。なら、ワシの願いとは何なのか――。無論『時空魔法を完成させること』だ。だが、それはこの全てが創造出来る世界にいても、どうにもならぬことであった。


 無為な時間がただただ流れていく。あまりにも暇だったので研究の続きでもしようと、ワシはペンを創造して、白い地面に『時の魔法陣』を大きく描いてみた。幾年もの歳月を掛けて仕上げた渾身の作品だ。計算ではこの魔法陣から発する魔力が過去、現在、未来の流れを操り、時空魔法を発現させる筈だった。だがクラインも言っていたように、魔法陣からは何の魔力も現れない。何かが足りないのだろうか。いや、もうあらゆることはやり尽くした……。


 そう思いつつ、六芒星を描き切った刹那、ワシは息を呑む。


 何と、時の魔法陣が淡く光り輝いている!!


「こ、これはまさか、そんな……!! は、発動……するのか!? ……って、はおおっ!?」


 



 ……ワシは目を大きく見開く。見慣れたワシの部屋の中、シェリルが胸の上でニタニタと笑っていた。


「はい、時間切れー。どうだった? 楽しかったか?」

「……」

「まぁ童貞じゃあ女の体のことは詳しく分からねえだろうし、大事な部分はピンボケだったかも知んねえな」

「……」

「なぁなぁ。どうだったんだよ?」

「……欲しい」

「あん?」

「不思議なキノコがもっと欲しいんじゃあああああああああああああああ!!」


 ワシはシェリルを両手で掴みながら大声で叫んだ。


「!! このジジィ、怖っ!? ちょ、ちょっと落ち着けよ!! いくら何でもドハマりしすぎだろ!!」

「いや、そういうアレじゃないんじゃ!! あのキノコは魔術研究の為に必要なんじゃ!! 不思議なキノコは何処にある!?」

「もう手持ちはねえよ! キノコなら教会の裏山だ! けど、夜の山は危ねえ! もうじき夜が明ける! それからにしようぜ、なっ?」



 シェリルは仮眠を取ったが、ワシはソワソワしたまま数時間が経過し……そして早朝。


 シェリルと一緒に教会へと向かう。杖を突く手が汗ばむ。ワシの歩調は普段よりずっと早かった。


「ったく。あんまり採りすぎんなよ? 不思議なキノコは貴重なんだぞ」

「分かっておる。ほんの一、二本貰うだけじゃて」

 

 ローブの胸元から顔を出すシェリルに告げた、その時。


「あっ! 頑張るハゲだ!」

「ねえねえ、おじいちゃん。何してるの?」


 幼い声が木霊した。ビックリしてシェリルが顔を引っ込める。昨日会ったやんちゃな子供三人がワシを眺めていた。


「あ、ああ。散歩じゃよ、朝の散歩」

「ふーん」

「お前さんらは?」

「虫取りしてんだ! 一緒にやる?」

「いや、結構」


 ワシは愛想笑いして、子供達から遠ざかった。しばらくして子供達がいなくなったのを確認すると、シェリルが胸元から、ひょいと顔を覗かせた。


「何だよ、あのガキ共! お前、無茶苦茶言われてんな! 髪の毛、全部引き千切って泣かせてやれよ!」

「しょせん子供の言うことじゃ。というか、無茶苦茶言ってるのはお前さんじゃろ……」


 ワシは教会の裏手から山に登り、シェリルの言う通りに進む。鬱蒼と草木の生い茂った道無き道を歩いて、木々をかいくぐった。この年ではかなりきついが、時空魔法の為だと思えば、さほど苦にならない。


「……おう、此処だ、此処!」


 やがてシェリルが指さしたのは、開けた場所に鎮座する大きな切り株だった。そしてその周りには、例の毒々しい斑点のあるキノコが群生していた。


「おおっ! 不思議なキノコじゃ!」

「この場所、誰にも教えるんじゃねーぞ?」

「分かっておる」

「二個までだぞ、二個! あんまり採られると商売にならねえかんな!」

「分かっておるというのに」


 ワシは不思議なキノコを二つ毟り、袖の中に入れ、そそくさと家に戻ったのだった。



 



「……それでは早速キノコを食べてみよう」


 家に戻ってベッドに腰掛け、宣言すると、シェリルが呆れ顔を見せた。


「あんまりハッスルすんなよ、ジイさん。エロいことしまくって興奮した挙げ句、寝たままポックリなんてことになっても知らねえぞ?」

「そんな不潔でイヤらしいことなぞ、せんわい! 全ては学術的かつ高尚な研究の為なのじゃ!」

「はいはい。言ってら」


 嘲るシェリルを無視し、ワシは不思議なキノコを一つ口に放り込んでベッドに横たわった。

 

 しばらくして、薄ら目を開く。先程と同じように、白い世界が広がっていた。そして、


「……シェリル。お前さん、また付いて来たんじゃな」

「ヘヘヘ! アンタの言う高尚な研究とやらを、この目で見たくてね!」

「いいじゃろう」


 ワシはペンを創造し、白い床いっぱいに時の魔法陣を描き始める。


「な、何やってんだよ、ジイさん? マジでエロいこと、しねえのかよ?」

「黙っておれ」


 六芒星の隅々に古代文字を書き、最後にぐるりと円で囲う。すると魔法陣が光を放った。


「おい! この魔法陣、光り輝いてるぜ!」

「遂に謎が解けたんじゃ。時空魔法の謎が、な」

「時空……魔法?」


 驚くシェリルにワシは得意げに語る。


「ワシの作った時の魔法陣は三次元構造下ではその魔力を発揮できんかった。じゃが、特定意識下であるこの四次元内では発動が可能となるのじゃ」

「な、何言ってるのかさっぱり分かんねえ……! 危ねえジジイだな……!」

「危なくなどない! よいか! 『肉体は時の壁を超えれなくても、意識は時の壁を超えられる』! これが時空魔法のからくりじゃ!」


 ワシは叫ぶ。遂にワシの研究の成果が形となって現れるのだ。過去の偉大な魔術研究者の誰もが成し遂げなかった時空魔術をワシが発見した! 何という奇跡! 何という偉業! だが、


「つまり、これで時の壁を超えて、過去や未来に行けるってのかよ? てんで信じらんねえな……」


 シェリルは時の魔法陣に疑わしい目を向けている。まぁ無理のないことかも知れない。ワシもまだ実際、その成果を体験した訳ではない。


「なら見せてくれよ。本当に時の壁を超えるところを」

「うむ」


 ワシは再度、ペンを持って魔法陣に近付く。


「六芒星の頂点部分に、古代文字で行きたい帝国暦や詳しい時間を書き込むのじゃ。そうすれば時の流れが、その時代まで術者を導いてくれる。ちなみに何故そんなことが可能かと言うと、魔法陣設計の際、ワシが時の流れと年号を一致させる術式を組み込んで、」

「そんなの良いから早くしろよ」


 急かされるままにワシは書き込んでいく。


 ……ワシがその年号を書いたのは、昨日からミーシャのことがずっと頭にあったのと、その日がワシにとって誕生日以上に忘れられない日だったからである。


 そう。忘れもしない帝国暦九百七十六年、七の月、十日の昼過ぎ。それはミーシャがドラゴンに襲われたあの日であった。


「これで過去に戻れる、ってか? あのなあ、ジイさん。そんな夢みたいな話が現実にある訳が、」


 途端、魔法陣が一際強い光を放ち、シェリルの言葉は途中で遮られたのだった。

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