最強老魔導士の時間跳躍

土日 月

第1話 老人ドルク

 長かった雨の後、ようやく晴れ渡った空から降り注ぐ日差しに大きな石像が照らされている。剣と盾を持った精悍な顔立ちの男性の像だ。その周り、広場の石畳を人々が行き交う。鎧ではなく、質素な麻の服に身を包む青年。木の籠に食材を入れた女性。まだぬかるんでいる地面を気にもせず楽しげにはしゃぐ子供達。


 伸びた白髭を触りながら、そんな当たり前で穏やかな光景を見ていると「サフィアノも平和になったもんじゃなあ」と感慨深く思う。全てはこの石像の男性のお陰だ。


 今からちょうど二十年前、この世界サフィアノを救った勇者は魔王と相打ちし、若くして死んでしまった。非業の死を遂げた勇者。それでもワシは羨望の眼差しで石像を眺める。右手の甲にある星形の勇者の紋章は、石像なのに輝いて見えた。


 ――世界を救った英雄は後世まで連綿と語り継がれる。羨ましいのう。


「……ドルク様……ドルク様……ドルク様!!」


 不意に声が聞こえて振り返る。ワシの背後には待ち合わせの主、町長が佇んでいた。小太りでふっくらとした顔を歪めて「あのう、大丈夫ですか?」と尋ねられる。どうやら考え事をしている最中、何度か呼びかけられていたようだ。ワシは頭髪がすっかり無くなった頭に手を当て、照れ笑う。


「ホッホッホ。耳が遠いと思われてしまったかの?」

「いや、ひょっとしたら座ったまま死んでいるのかと思いまして」

「!? 死んではおらんよ!! お前さん、失礼じゃのう!!」


 普通そんなことを老人に言うだろうか。全く、こちらはただでさえ、いつお迎えが来るかビクビクしているというのに!


 ワシは咳払いした後、町長に聞く。


「それで教会の様子はどうなんじゃ?」

「ええ、もう大変で。とりあえず着いてきてください」


 ワシは、さっさと歩く町長の後に続き、ぬかるんだ地面を杖で突きながら、ゆっくりと進んだ。時折、面倒臭そうに町長はワシを振り返った。


「しかし、町長。何でまたワシなんじゃ? そういう話なら、クラインに任せれば良いじゃろう?」

「ドルク様は土魔法を使えると聞いたので」

「じゃから魔法なら帝国選定魔導士のクラインに、」

「クライン様は現在、より被害の酷いグランエスト城に向かわれております。それで仕方な……いえ、ドルク様に何とかして頂こうという話になりましてですね」

「今、『仕方なく』って言いかけたじゃろ?」

「いえ、そんなことは……おお、見えてきましたぞ。あれです」


 辿り着いた教会の周りには、町の人々が遠巻きに集まっていた。


 使いの者より事前に聞いていた通り、数日続いた豪雨のせいで山が崩れ、裾野にあった教会の屋根に土砂が覆い被さっている。少し上には今にも落ちて来そうな岩石まであった。


「こりゃあ酷いのう。今にも倒壊してしまいそうじゃ」

「古い教会で今は人もおらず、怪我人がいないのが幸いでしたがね。それで……どうでしょう? 何とかなりそうですか?」

「ふむ。そうじゃなあ……」


 その時、近くにいた小さな男の子達がワシを指さして声を上げた。


「何だあ、クライン様じゃないじゃん!」

「あんなハゲたおじいちゃんじゃあ絶対に無理だよ!」

「うん! めっちゃハゲてるよね!」


 口々にワシをハゲだと罵っている……が、そんなことで怒る程、ワシは偏屈ジジイではない。ただまぁ正直、髪の毛のことはあまり触れないで欲しい。これでも昔はフサフサだったのだが。


 そんなことを考えていると、町長が溜め息を吐いた。


「やっぱり、何ともなりませんよねえ。おとなしくクライン様が帰って来るのを待つとしましょうか」

「いや。その間に教会が押し潰されては事じゃ。ワシが何とかしよう」

「え? 何とかって?」


 ワシは杖を逆さに構えて、柄を土砂に潰されそうな教会へと向けた。


「おじいちゃん! 杖が逆さまだよ!」

「はぁ。ダメだ、こりゃ」


 子供達が笑い、周りの大人も落胆している。だが、ワシは別にもうろくしている訳ではない。


「……リバース・ランドスライド土砂逆流


 ワシが呪文を唱えると、時間が逆に流れるように、崩れた土砂が空高く舞い上がり、元の山へと返っていく。落ちてきそうだった岩石もゴロゴロと山を転がるようにして視界から消えた。あっという間に教会に覆い被さっていた土砂は綺麗さっぱり無くなった。


「これで良し。まぁ傷んだ教会はどうにもならんがの。皆で修繕してくれ」


 ぽかんと口を開けていた町長は、我に返ると満面の笑みを見せてきた。


「凄いじゃないですか、ドルク様!!」

「ちょっとは役に立ったかのう?」

「ちょっとどころじゃないですよ! いやあ、これ程までに素晴らしい魔力をお持ちだとは! ああ、ビックリしたなあ、もう!」


 先程までの態度が噓のように感心している。


「それで一体、今のはどういう魔法なんです?」

「簡単な話じゃ。山崩れを起こしてモンスターを退治する土魔法『ランドスライド』があるじゃろ。その逆をすれば土砂は元あった場所に戻るのが道理じゃ」

「つ、つまり呪文を逆に唱えたと!? しかし、呪文の逆さ詠唱はその属性の力が術者に逆流する為、禁忌とされている筈では!?」

「お前さん、遅れておるのう。それはずいぶん過去の話じゃ。魔法理論は日進月歩、常に進化しておる。いいか。術者の体を土属性に相反する風属性にしてから詠唱することで逆さ詠唱をしようが、魔力の逆流を防ぐことが出来る――これが『魔導士モライストンの法則』じゃ」

「何と博識な! それにしてもドルク様! そのような魔力があるのにどうして町外れで隠遁生活など送られているのですか?」

「それはまぁ……一人で魔術の研究をする方が捗るからじゃ」

「はぁ、なるほど」

「じゃあついでに、教会周りに散らばっている土砂も片付けるかね」

「本当に助かります! ありがとうございます!」


 頭を下げた町長の隣で子供達もニコニコと微笑んでいた。

 

「やるね、おじいちゃん!!」

「えらいね!! よく頑張ったね!!」

「頑張るハゲだね!!」

「お、お前らのう……」


 やんちゃな子供らに苦笑いを浮かべる。


 ……このように新しい町長だけでなく、ワシが町の人間に軽んじられているのも無理のないことなのだ。なにせ今まで、魔力を必要とするトラブルの殆どには帝国選定魔導士であるクラインが関わり、解決している。ひっそりと一人、郊外で暮らす老人のことを知る者など、今となってはあまりいないのだった。





 ひとしきり土砂を片付けた後、ワシは一人で家に戻った。野菜を栽培してある庭を横切り、愛着のある掘っ立て小屋に入る。狭い家だが、一人で暮らすにはちょうど良い。


 木の扉を開き、軋む木の床を歩いて部屋に向かう。ワシの机の上には魔法理論の本が並び、研究中の書類が散らばっている。


 ワシは椅子に腰掛け、壁に張ってある書を眺めた。



『自分自身が満足できる、悔いのない人生を』



 父の字でそう記されている。幼い頃に亡くなった父の形見のようなもので、額縁に入れてずっと目に付くところに飾っている。だが、全く標語通りの人生を送ってきた自信はない。いや、むしろ自分の人生は失敗につぐ失敗の連続だった気がする。


 ――それでもこの研究が認められれば……!


 そう思い、机に向かい、書類に筆を走らせようとした途端、『ドンドン』と扉を叩く音がした。


「ドルク。いるか?」

「ああ、クラインか」


 ワシが「どうぞ」と言うよりも早く、クラインは部屋に入って来た。ワシと同い年で今年七十になる老体のくせに髪の毛は黒々としており、若い頃の精悍な面影が残っている。ワシが本当の年より十歳老けて見られるのに対し、クラインは十歳若く見られるのだった。


「今日は俺の代わりにトラブルを解決してくれたらしいな」

「なぁに。教会の掃除をしただけじゃよ」

「町の人間、驚いとったらしいぞ。凄い魔力だ、と」

「お前さんには及びもせんよ」

「それはまぁ無論そうだが」


「カッカッカ」と笑う。昔からクラインの性格は変わっていない。


「お前は年を取ってから魔力が大幅に向上したからな」


 クラインの言う通り、若い頃どうしても出来なかった魔法が年を取ってから出来るようになった。長い間一人で孤独に魔術研究を続けた結果であるが、一番の理由は若い頃のように何が何でもと気負わず、自分のペースで魔法と向き合えるようになったからではないかと思っている。


「どちらにせよ、この年ではもう役に立たんよ。おまけに平和な世の中じゃ」

「少なくとも今日は役だったじゃないか……おや?」


 ふとクラインがワシの机に目を向ける。しまった、と思った。机の上に研究の書類が残ったままだったからだ。


「まーた懲りずに、時空魔法の研究か」


 呆れた顔でクラインは言う。


「ドルク。何度言ったら分かる? 生きている者が時の壁を超えるのは不可能だ。こんなこと、魔法理論を知らぬ子供でも分かるぞ」

「じゃ、じゃが最近の研究じゃとな、」

「時空魔法の研究は数世紀も前から行われている。だがそれを為し得た者はいない。何故だか分かるか? そんな魔法は存在しないからだ」

「いや、しかし!」


 クラインは一枚の藁半紙を手に取る。そこにはワシの長年の研究成果である『時の魔法陣』が描かれていた。


「なになに……『時の壁を歪ませる魔法陣』だと? 馬鹿馬鹿しい。ここから何の魔力も感じやせんぞ」

 

 藁半紙をひょいと投げ捨てる。ワシはそれを慌てて拾った。


「そもそも俺に出来ないことが、お前に出来る筈がないだろう。なあ、『お漏らしドルク』」

「!? よ、よしてくれ!! そんな昔の話は!!」


「カッカッカ」と高笑いするクラインにワシは露骨に嫌な顔を向けた。


「全く何をしに来たんじゃ! 用が無いなら早く帰ってくれんかのう!」

「ああ、そうだった。お前に言わなきゃならんことがあったのだった」


 クラインは急に真面目な顔になってワシを見た。


「グランエスト城に行くついでに立ち寄った町で聞いたんだがな。ミーシャさんが亡くなったらしい」

「……何じゃと?」


 老いぼれの心臓が、どくん、と大きく一つ鼓動した。


「み、ミーシャが……」

「土砂崩れに家ごと巻き込まれたんだと。家族は居なくて独り身だったらしい。まぁ、これも天寿というやつだろう。人間いつ何があって死ぬか分からんなあ」


 玄関の扉を開きながらクラインが言う。


「俺達だって、いつ死ぬか分からん。互いに悔いのない人生を送りたいもんだな」





 クラインが帰った後、ワシは淹れた紅茶を飲みながら天井の隅をぼうっと眺めていた。


 ――そうか。ミーシャ。逝ってしもうたか。

 

 ワシは遠い過去に思いを馳せる。ミーシャがこのオルセイの町に来たのはワシがまだ十六歳の時。今より五十年以上も昔のことだった。


 当時、ワシの家は町の中心部にあり、母と一緒に暮らしていた。そんな折、ミーシャとその家族が三軒先の家に引っ越してきたのだ。挨拶に来た初々しいミーシャを今でも良く覚えている。


『あ、あの私……ミーシャって言います……』


 照れているのか、赤いおさげの髪の毛を弄りながらミーシャはワシにそう名乗った。ワシは返事をしつつ、自分の体が熱くなるのを感じていた。恥ずかしくてとても人には言えないが、あれはきっとワシの初恋だったのだろう。


 年の近かったワシらはすぐに仲良くなり、ささいなことを話し合った。


『ドルクは将来、何になるの?』

『そりゃあもちろん大魔導士だ! 沢山の困っている人を魔法で救いたいんだ!』

『素敵な夢ね』


 だがそんな楽しい日々は長くは続かなかった。


 昔のサフィアノには、獰猛なモンスターが多く生息していた。そして比較的安全なオルセイの町にもモンスターの魔の手が迫っていたのだ。


 ドラゴン襲来――突如現れたドラゴンの群れにより、町は阿鼻叫喚の巷と化した。ワシは当時、既に多少の魔術をたしなんでいたが、相手は一撃で骨を砕き、鉄をも溶かす火を吐くドラゴン。上級魔術師でも手を焼く恐ろしいモンスターだ。


 大人達の指示で家でじっと待機していたワシだったが、


『助けて!!』


 外からミーシャの叫び声が聞こえて、咄嗟に家を飛び出した。


 そこには一匹の巨大なドラゴンと向かい合うミーシャの姿があった。飼っていた猫を胸に抱えている。おそらく猫を追った際、ドラゴンと遭遇してしまったのだろう。ミーシャはワシが来たことを知ると、蒼白だった顔を少し綻ばせた。


 ワシは杖を持ってドラゴンに近付く。今にも襲い掛かってきそうな凶悪で獰猛な顔がワシを見据えていた。ワシは震える手で杖を構え、呪文を詠唱しようとしたが、


『あ……ああ……あ』


 生まれて初めて見るドラゴンを前にして、緊張と恐怖で言葉にならない。ぱかりと大きな口を開き、ドラゴンが乱杭歯の間から耳をつんざく咆哮を発した。


『ガオオオオオオオオオオオオオ!!』

『!? ひいっ!!』


 ワシは尻餅をつく。杖を落とし、足は震えて、戦意は完全に喪失していた。ドラゴンの口腔に火の玉が形成されるのが見える。


『ドルク!!』


 ミーシャが叫び、ワシは目を瞑った。


 ……やがて暗闇の中、音がした。それはドラゴンの灼熱の炎がワシを直撃した音――ではなかった。ゆっくりと目を開けば、幾本もの氷の槍に貫かれたドラゴンが絶命している。


『平気か、ドルク?』


 クラインがワシとミーシャに駆け寄って来る。ドラゴンを得意の氷魔法で串刺しにしたクラインは、ワシの目の前まで来ると眉間にシワを寄せた。


『う、うわ……小便漏らしてやがる……!』


 言われて初めて股が生暖かくなっていることに気付く。下半身にジットリと大きく恥ずかしいシミが出来ていた。


『凄いぞ、クライン! 一人でドラゴンを倒すとは!』

『将来は大魔導士だな!』


 上級魔術師が町にいたドラゴンを全て撃退した後、クラインは大人達から賞賛の言葉を浴びていた。真っ白な灰のように、その場にくずおれたワシにミーシャが何かを差し出してきた。


『あのドルク……よかったら、このハンカチを使って』

『……』

『ご、ごめんなさい! ハンカチなんかじゃ足りないわよね! だって、すごい量だもの! ありったけの手拭いを家から持ってくるわ! ……あっ! ちょっと何処行くの、ドルク? ドルク!!』





 ……ダンッ!!とワシは机を手で叩いた。数十年も昔のことなのに思い出すと胸を掻きむしり、部屋中を暴れ回りたくなる。年老いてなお、いや年を経たからこそ悔しさと恥ずかしさが蓄積されているようだ。


 その後、ミーシャとは疎遠になり、出会っても互いに会釈するだけの間柄になってしまった。しばらくしてクラインから、ミーシャが遠くの町へ引っ越したと聞いた。ミーシャとはそれっきり会っていなかった。


 あれはワシの人生の重大な転換期だったように思う。クラインは町の英雄になり、対してワシは卑屈な人間になった。あの時、もしドラゴンに立ち向かう勇気があれば未来はどうなっていただろう。ワシの運命もミーシャの運命も変わっていたかも知れない。運命の歯車が一つでも変われば、もしやするとミーシャもまだ生きて……。


 ワシは頭をブンブンと振る。


 ――よ、よそう! こんなことを考えるのは! 大事なのは過去より現在じゃ!


 ワシとて、もう七十。病や、ミーシャと同じように不慮の事故で倒れるかも知れない。それまでに長年続けている時空魔法の研究をどうにか形にしたい。名誉欲ではない。もはやワシが生まれた使命のようなものだと考えていた。


 先程はクラインが突然やって来たせいで研究が出来なかった。今度こそは、と机に向かった刹那。


『コンコン、コンコン』


 またもやノックの音がした。


「……クラインか?」


 呼びかけてみるが返事はない。おかしい。クラインなら、大声でワシを呼ぶ筈だ。


 夜はとっぷりと更けている。流石にこの平和な町で強盗はないだろうが……


「誰じゃ?」


 そろりと扉を開くが、誰もいない。


 ――はて。気のせいじゃったかの。


 扉を閉めようとした時、


「おい、ジイさん。此処だ、此処」


 何処からか声が聞こえた。辺りを窺うが人の姿はない。


「だから此処だって、こーこ! 耳、遠いのかよ、このジジイ!」


 甲高い声はどうやら下から聞こえてくるようだ。目線を下げて……ワシは吃驚する。


「よう! 恩返しに来てやったぜ! 感謝しろよ!」


 手の平くらいの小さな女の子が、足下にちょこんと佇んでいたからだ。

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