奇跡の少女 -ホワイトライト-

鳥無し

『奇跡の語り口』

 木々が生い茂り、昆虫や動物たちが多く住む山奥に、小さな村がぽつんと存在した。

 村を囲む山林は深く険しい。あちこちが急斜面になっていて危ないし、大きな町へと続く道もたった一つしか存在していない。


 村は周りにある広大な森から木を切り出して加工したり、山菜や獣を取ったりしたものを売って成り立っていた。

 当然こんな厳しい生活をしなければならない村に、新しい住民などあまり来るはずがなく、村人はほとんどが昔からこの地に住むものばかりだった。

 そんな少ない村の住民たちが、今日は広場に集まっていた。祭りがあるわけでも、旅の商人が市場を開いたわけでもない。広場には特に珍しいものは置かれていなかった。


 村人たちは広場に集まると、一人の少女を中心にして座り込んだ。この村には奇跡の少女といわれる娘が住んでいる。名前をユーリアといった。

 歳は十五、六歳といったところで、長い髪と柔らかな笑みが美しい。太陽の光に照らされた髪が、緩やかな風に流れるので、余計に美しく映った。


 ユーリアは行く先々で様々な奇跡体験をする、奇跡に愛された少女だった。

 ユーリアが道に迷えば蝶が道を教え、月夜に散歩すれば花が月光のように瞬き、森の中で傷を負えば、草木がその傷をなでて瞬く間にそれを癒した。

 また、ユーリアはそれらの経験を話すのがとてもうまかった。奇跡の内容にかかわらず、その美しい声と巧みな語り口に、村人は老若男女問わず酔いしれていた。

 そんなユーリアの奇跡体験の話は、娯楽の少ない村の中では立派な催し物の一つで、ユーリアが話をするとなれば、村人はほぼ全員このように集まってくる。


 ユーリアは周りを見渡し、これ以上人が集まってこないことを確認すると、広場の中心にある大きな切り株に座った。そして先ほどから胸に抱いていた本を開く。その本の表紙には大きく『日記』と書かれていた。

「それでは始めましょう。あれはこの間、お父さんと一緒に大きな町に下りて行った時のことです。町での用事を済ませた私は、建物の陰に猫が一匹いるのを見つけました。そして私は――」

 今日の奇跡の話は、町で出会った不思議な猫の話。身近な動物の奇跡体験に、子供たちは胸を躍らせ、大人たちはその体験の風景を想像する。


 小一時間も話した頃、ユーリアは本を閉じた。

「はい、おしまい」

 本を閉じると同時にやさしくユーリアがそう告げると、その場にいる全員が拍手をする。拍手を送る村人たちの表情は皆晴れやかだった。そして、村人たちの中で一際大きな拍手を送り、憧れるような表情を浮かべた少女がいた。


「すごい! すごいよユーリア! 今回もすごかった!」

 巧みな口調のユーリアに対し、その少女は自分の中の感情をシンプルに言葉に出して賞賛を送っていた。

 その少女の名前をルトラという。歳はユーリアと変わらない。だが、風貌からしてユーリアとは正反対の性格に見えた。

 短い髪はとても健康的で、動き回りやすそうな布の少ない服。大きなしぐさと元気のよい声は、ルトラが活発な少女であるということを疑わせないものだった。


「うらやましいよユーリア! 私も奇跡を見てみたいなー」

 ルトラの言葉に嫌味な感情は一切ない。ユーリアは笑顔でルトラに向き直る。

「大丈夫よルトラ。きっとルトラのすぐそばに奇跡はある。今はまだ、それが見えていないだけ」

 丁寧語でしゃべっていたユーリアが、ルトラにだけは砕けた口調で声を返した。

「えへへ、そうかな? ユーリアが言うならきっと本当だよね?」

 はにかむ様なルトラの笑みに、ユーリアはこくりとうなずいた。ユーリアの話が終わると、毎回のように繰り返される、お決まりの光景だ。


 ユーリアとルトラは年が近いこともあり、小さいころからの友達だった。

 

 *    *    *


 翌日。ルトラは森の中にいた。

 ユーリアの話の後にはルトラが森に出かける。これももはや恒例のようなもので、ユーリアの奇跡体験に感化されたルトラは、自分も奇跡体験をしようと森に出かけるのだ。取るものも取りあえず出かけることもよくあって、森に入るルトラはいつも軽装だった。

 しかしそこはルトラも慣れたもの。勝手知ったる自分の庭だといわんばかりに森を駆けずり回り、奇跡を求めて楽しそうに森をめぐる。

 時によっては熱がこもってしまい、数日森の中で過ごすなんてこともたまにあった。両親は初めは叱ったのだが、森の中から役に立つ山菜や薬草。または絶好の狩場なども見つけてきてしまうので叱るに叱れなくなってしまった。

 しかしルトラが求めているものは別のものだ。薬草を見つければ村人に感謝されるが、それは副産物に過ぎない。ルトラはいまだ奇跡に出会えずにいた。


「うーん……よし決めた」

 ルトラはそう呟いてから、近くの花の蜜を吸っていた蝶を見つめる。そして小石を蝶には当たらないように花に向かって投げた。

 石を投げられた蝶は宙に舞いあがってどこかへ行ってしまう。

「あ、ちょっと! そっちじゃないってば!」

 ルトラは蝶に向かってそういいながら、必死に村の方向に向かって指をさした。


 ただ探してさまよっていても奇跡は見つからない。それならばと、ルトラはユーリアの体験した奇跡を模倣しようと努力していた。今やっているのは蝶が道を教えてくれるというもの。

「あー行っちゃった。でも次だよね、次」

 すぐに気を取り直して、蝶を見つけると片っ端から宙に舞いあがらせ、道を教えさせようとする。しかし、蝶は四方八方に飛び去っていくだけ。そのうちに、ルトラはこの奇跡はあきらめる。

「ふー、ダメかー。まあ、実際は村への道はばっちりわかってるんだし、蝶も教えがいがないよね? あはは」

 そんな風に笑って、ルトラは次の奇跡を探す。


 日の当たりにくいところに咲いた花を日光の下に植え替え、花弁が輝かないか試す。風に揺れる花はお礼を言っているようにも見えたが、光は放たなかった。

 木の葉っぱが雨に濡れているのを見つけると、自分の指を針で刺して傷をつける。その傷を葉についた雫に触れさせてみたが傷はふさがらなかった。ルトラは傷口をぺろりと舐めて止血し、先へと進む。


 その後も奇跡が起こらないかと色々と試してみた。

 お腹を空かせた自分のために、木が木の実作ってくれないかと何もない枝を見上げてみた。

 石に耳をつけたら美しい歌声が聞こえてこないか試してみる。

 清流の中でルトラを楽しませようと魚が躍ってくれないかと眺める。

 ほかにも色々と思いつく限り、思い出せる限りユーリアの奇跡をなぞって行動した。しかしいずれも何も起こらずにあきらめるだけの結果となった。しかし、ルトラはそれでも楽しんでいた。


 奇跡は起こりづらいからこそ奇跡なのだ。出会うのに時間がかかればかかるほど、いざ出会えた時の喜びは大きいはず。ルトラは毎回そう考えて、ある程度満足したら村に帰るようにしている。

「ん? あちゃー、こんなところに出ちゃったか」

 ルトラは立ち入らないようにと言われている場所に近づいてしまったことに気づき、自分の頭を軽く小突いた。


 村の周りの森は山だ。ゆえに森の中は平たんではなく、あちこちに切り立って急な斜面になっている部分がいくつか存在していた。この場所は、その中でも急な斜面になっており、危ないから近づかないようにと、子供のころから教えられていた場所なのだ。

 そんな場所だから普通は誰も来ない。だが、万が一仮に来ていた村人にでも見つかったら大目玉を食ってしまう。早く離れた方がいいだろう。

「でも……せっかく来たんだしな」

 近づくなと言われれば近づきたくなるのが人情だ。わざとここにきてしまったわけではないという感情も手伝って、ルトラは崖に近づいて行った。


『そこで何をしている』

 突然の声に、ルトラはびくりとしてあたりを見回した。本当に運悪く村人に見つかってしまった。そう思ったからだ。

 しかし、いくら周りを見渡しても人影は見えない。わざわざ茂みの中から身を隠して声をかけてきたのか?


『どこを見ている。こちらだ』

 ルトラは改めて声がしたほうに顔を向けた。すると、そこには人影はやはりなかった。そこにあったのは、白い大きな光の塊だった。

『お前が森に入るたびにあちこちを荒らして回っている者か? 花を植え替えたり、葉についた雫で遊ぶ程度なら見逃してやる。だが、その崖に近づき、己の命を……』

「奇跡だ!」

 仰々しい口調が最後までその言葉を言い終わる前に、ルトラの能天気な言葉が空気を貫いた。

「奇跡だ奇跡だ! 私は、やっと奇跡に出会えたんだ」

『……おぬしは何を喜んでいる? 何が奇跡だというのか?』

 だって……とルトラは飛び跳ねながら答える。


「白い火の玉がおしゃべりするなんて、実際にはあり得ない。私はずっと奇跡を探していたのだから、こうして出会えて喜ばないはずがないよ!」

 本当にうれしそうなルトラの言葉に、白い光は少し沈黙してから言った。

『奇跡を探していた? ならば、奇跡を見ればお前は森を去るというのだな?』

 ルトラはこくりと頷いた。

『いいだろう』

 その時雷鳴がとどろいた。ルトラは驚いて空を見上げたが、雷雲は見つけられなかった。それどころか雲一つ見当たらない。それなのに、雷の音とともに雨が降り注いできた。


『どうだ? 土砂降りの雨にぬれ、さぞかし心地が良いことだろう。全身がぬれる前に早々に立ち去るが……』

「すごい!」

 ルトラは光が予想したのとは別の行動をとる。

 木の陰に逃げ込むのでも、立ち去るのでもない。両手を広げて何も遮るところがないところに躍り出て雨を浴びる。表情はこれ以上ないくらい笑顔だった。

『お前は何がそんなにうれしいのか? 晴れていても雨が降ることがあるということも知らないのか?』

「そうなの? 私は初めて体験したよ! よくあることだというなら、十五年それを体験しなかったというのもそれはそれで奇跡だね! ユーリアに今度聞いてみよう」

 光はあっけにとられたのか、少し黙り、すぐさま雨を止める。


『ならばこれでどうだ?』

 地面には雨が降ったことで泥水がたまった。光が声をかけると、泥水が丸の形で宙に浮かぶ。

『振りたての雨と違い、泥を含んだ水の塊だ。浴びたくなければ』

「わー! なにこれ!」

 ルトラは宙に浮かんだ地面色の水に飛び込んで泥まみれになる。

「水が空に浮かぶなんて本当に奇跡! それを頭からかぶれたんだから、こんなにうれしいことはないよ!」

『……』

 光は絶句する。ルトラは光に笑顔で振り返った。


「ねえ次は? 次はどんな奇跡が起こるの?」

『……ふん、貴様にはこれで十分だろう?」

 光の言葉に、今度は落ち葉が反応する。落ち葉が宙に浮かびあがり、舞う。しかし、風など全く吹いてはいない。木々はもちろん、地面に生えた草すら揺れていない。

 とはいえ、風が吹いていないだけの話で、落ち葉が宙を舞うのは珍しい光景ではないはずだ。しかし……。

「すっごい! すっごい! 本当にすごいよ光さん!」

 ルトラは大喜びだった。宙に舞った落ち葉を追いかけて手を伸ばしている。


『お前はなんなのだ? 落ち葉くらい、風さえ吹けば勝手に踊る。第一、さっきから雨が降ったり水が宙に浮かんだりと、それがどうしたのだ? お前に何の得がある? 何も意味などない。木々から木の葉が落ちるのとなんらかわない。人間にとって何の利益にもならぬはずだろう?』

 ルトラは首を横に振る。

「何を言っているの光さん。木の葉が木から落ちるのは当たり前のことだよ。それに対して、晴れなのに雨が降ったり、水が宙に浮かぶのは普通ないこと。落ち葉が舞うのにだって、風が吹くのは絶対必要。それがないのにそれが起こる。起こることがあり得ないのにそれが起こった。それは紛れもない奇跡なんだよ」

 ルトラはそう言って屈託なく笑った。無邪気なその笑顔は、実際の年齢よりもはるかに幼く見えた。


『ふ……ふふ。それならばいくらでも堪能するとよい。下らぬことで喜ぶお前を扱うのは少し愉快だ』

「どんと来い!」

 光はその後も他愛のないことをいくつも起こした。ルトラはそのすべてに対して驚き、喜び、次をねだった。


「あ、わかった! 光さんの正体は狸さんでしょう? だから人を驚かすのが楽しいんだね?」

『私がそんな下等な……。いや、お前はその方がうれしいのだろうな』

 光は、最初に現れた時のような態度を解いていた。ルトラが解かせたという方が正しいかもしれないが。

『人も変わったな。まあお前が特別なのかもしれないが。昔私が、道に生える木の数を変えただけで人間は驚き戸惑ったというのに……』

「それも見てみたい!」

 ルトラは右手を挙げてそう言った。光はそんなルトラの態度に笑った気がした。


『お前はなぜそんなに奇跡を求めていたのだ?』

「んとね、私の友達が良く奇跡体験をするんだ。奇跡の話をするのが上手で、みんなの人気者なんだよ?」

『そうか……ならばお前にこれをやろう』

 そういうと、光の前に一本の木が小さく生えた。その木にはイチゴが一つなっている。

『これを持っていけば、皆お前の話を信じるだろう。今日体験した話の証明としてこれを持ち帰り、これとともに話をして名声を得ればいい』

 ルトラはじっとその木を見つめてから光を見上げた。


「ううん、いらない。私は別にめいせい? が欲しくて奇跡を探していたわけじゃないもの」

『ふふ、そうか。ならば思い出だけ持ち帰るがいい。楽しい時間だった。またこんな時間を過ごしてみたいものだ』

 光がそういうと、激しく輝いて消えてしまった。ルトラは光が消える時の輝きに驚き、その場に転んでしまう。

「アイタタ……。光さん?」

 体を起こすと光はもうなかった。それと一緒に、さっき光がはやしたあの木もなくなっていた。


 *    *    *


「あ、ルトラ。今日は一日で帰ってきたんだ? って、どうしたのその恰好!」

 ルトラが森を抜けて村に入ると、偶然通りかかったユーリアが迎えてくれた。ルトラの泥だらけの服をきれいな布でふき取ってくれる。

「ユーリア! 聞いて聞いて! わたし奇跡を体験してきたよ」

「え、本当? どんな奇跡?」

「えっとね、.えっとね。晴れなのに雨が降ったり、風も吹いてないのに落ち葉が舞ったり……あ、あと泥水が空中に浮かんでね? 狸さん……あ、狸さんが光に化けていろいろしてくれたんだ」

 ルトラは自分が体験したことを、まとまりもなく話した。ユーリアは一瞬呆けてから、ルトラに聞いた。


「それは……面白いこと……?」

「ん? 面白いって何が?」

 ルトラは首をかしげる。ユーリアはあわてて首を振った。

「ううん、奇跡に面白いも面白くないもないよね? よかったねルトラ!」

「うん! ありがとう」

 ユーリアはそれ以上はルトラの話に突っ込まず、こくこくと頷きながらルトラの話を聞いていた。


「あ、ユーリア一つ聞いていい?」

「なに、ルトラ?」

「めいせいって……何?」

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