0x0102 ジョナス・ハンウェイの傘

 これ以上、ここに居たらガシュヌアがキレそうなので、執務室を出ることにする。


「ユウヤ君、送ってあげるよ」

「あっ、そういや傘持ってきてないんですよね」

「こちらではまだ傘は一般的ではないよ。向こうの世界でのロンドンだと、十七世紀にジョナス・ハンウェイが定着させて、当たり前になったんだけどね」


 ドアを開いて執務室を出ると、ドラカンも一緒に付いてきた。夜の陸軍省庁舎の廊下は暗く、足下に影も見えないほどだった。

 また、階段では段差も見えないのと、靴底が革で滑りやすいこともあって、手すりに手をかけて降りる。

「じゃあ、ハンウェイがいなかったら、傘は広まらなかったということですか?」

「どうだろうね。大陸ヨーロッパでは流行していたからね。ロンドンはいい意味でも悪い意味でも保守的だから、定着するにはもっと時間がかかったと思う。ハンウェイが居た、当時のロンドンでは日傘ってイメージが強くてね。傘は女が使うものだとか、馬車も持てない不憫な男とか言われて、ハンウェイは色々と嫌がらせさされてたらしいよ」

「へー。そんなことがあったんですか」

「ハンウェイは三十年嘲笑に耐え続け、その内、周りが傘の利便性に気付き、一般的になったんだって」

「三十年! 長っ! てか、ハンウェイのメンタル強いな!」


 玄関先を出ると広いポーチになっていた。中央だけにしか『照明』はなく。隅の方は暗闇だ。

 雷は遠ざかったけれど、まだ雨はやみそうにない。


「折角、スーツ新調したばかりなのに、いきなり雨とか悲しいです」

「ユウヤ君のスーツ、感じいいね。ネクタイのチョイスもセンスある。ただ、フランネルだと、二ヶ月後は着れなくなるよ。君の居た東京とは違って、気温は高くないけど、夏を越すのは無理かな」

「確かに春先に選ぶ生地じゃなかったですよね。でも、金銭的にこの生地しか選べなかったんですよ。目付が重いので耐久性はあるかなと思って」

「どこで仕立ててもらったんだい?」

「ダーナ街のダグザ通りにある店ですよ。ラルカンに教えてもらって」


 どうしたわけだろう。ドラカンは言葉を止めた。

 赤い瞳は違和感があるけど、そんな目で見ないでと言いたい。

 何だろう、この間。

「そこに行ってるのかい? まあ、仕立ては悪くないけどね」

「何かあるんですか?」

「そうだね。耳に挟んだ程度だけど。股下を計る時に、何度も計り直しされなかったかい?」


 言われてみれば、股下計るのを何度も計り直ししてたような……

 寸法測るのって一回だけで済むよね。

 実際に背中や肩幅のサイズを取るときは一回だけだった。

 そういや、股下の寸法を測る時って、あのオジさん僕の目を覗き見てた気が……

 あっ、わかった。

「あの店長ってひょっとしてゲイ?」

「大正解だよ、ユウヤ君」

 大正解じゃねえよ。僕的にはDIE正解だよ。

 そして、ドラカン、そこでYou, Yeahはいらねえよ!


 恐らくファンバーがラルカンにあの店長を紹介したに違いない。

 ラルカンは着実に染められている。そうか、返しの達人flipperってそういうアプローチするんだ。

 ファンバーがカミングアウトしたってのは、とても勇気がいったと思うけど、ストレートに対して積極的すぎると引かれると思うよ。

 想いにブレーキ効かなくて、ラッシュかかるのは、わからないでもないけどさ。


「道理で客が少ないはずだ。ドラカンさん、金額的に優しくて、いい店とか知りません? 男の知り合い、いないんですよ」

「そうだね。僕達が通っている所を紹介しようか?」

「……あの、金銭的に優しいんでしょうか?」

「生地を選ばなきゃね。紹介制だから、客も少ないよ。注文してから、受け取りまで一ヶ月ぐらいでいいからね。ただ、気難しいおじいさんなんだよね」

 色々とこだわりが強そうな人って感じがする。

 小姑みたいな……

「ガシュヌアさんのお爺さんバージョンってイメージが思い浮かびました」

「その発想はなかったね。仮縫いとか、何度も店に呼びつけられたりだとか。職人気質みたいな所があるかもね」

 

 そういや、ガシュヌアって仕事の話しかしてないや。

 これからも付き合いあるんだろうから、ガシュヌアのマルティナへの気持ちを確認しておく必要がある。(※1)

「本当の所、ガシュヌアさんってマルティナを、どう思ってるんですかね?」

「複雑な気持ちだろうね。ここだけの話、マルティナさんって、昔居たガシュヌアの恋人に似てるんだよ。髪や瞳の色は違うけど、顔や姿形がね。僕もビックリしたぐらいだから」

「えっ、初対面の時に、そんな表情を見せてはいませんでしたけど」

「僕も彼も感情で表情変えたりしないよ。そして、彼は特に言葉に出さないタイプだから」

「へえ、その恋人さんは、どうなったんです?」


 ドラカンは沈黙したまま。

 言うことを拒絶しているというより、躊躇ためらっているように思えた。

 ポーチに落ちる雨で、段々と足下が冷えてきた。雨はまだ止みそうにない。

 この沈黙は、亡くなったということだ。


「すみません。詮索せんさくしすぎましたね」

「これは微妙な話だからね。僕も未だに心の整理がついていないし」


 はあWhat’s The Fuck

 ちょっと待ってね。ガシュヌアの恋人で、ドラカンが心の整理がついてない?

 どういうこと?

 ドラカンって女に手が早そう。実技試験の時にアステアと、使用人が何だとか言ってたよね。自由意志は尊重しなくちゃね、みたいなことをドラカンが言ってた記憶がある。

 となると、こいつら二人して女の取り合いしてってこと?


「ええと、あなた達って二人して一人の女性を取り合ってたわけですか?」

「そうだね」

 いーや、ドラカン、そこはサラリと笑顔を見せる所じゃねえよ。

 白い歯キレイだな、とか思ったけれど、

 お前ら二人が取り合ったって、戦争って感じしかしねえよ。

 DOGだけに、戦の時は満たれりcry havocいざや戦端を開けand let slip the DOGs of war!、しか思い浮かばねえ。


「あのですね。間に挟まれた、その女の人、かなり苦労したんじゃないですか? てか、周りの人も大変だったんじゃないですか?」

「当たらずも遠からずだね。内戦が起きちゃったからね」

「何してんすか、あんたら! 迷惑どころの話じゃないですよ! 内戦の意味分かってます? いや、ドラカンさん、あっはっは、じゃないですよ! 何爽やかに笑っちゃってるんですか?」

「ごめんごめん。あの時はガシュヌアと知り合ったばかりでね。二人ともお互いに潰し合ってたら。つい」

「つい、じゃねえよ。どんな出会い方したら、そうなるんだよ。あんたら悪魔以上の悪魔だよ」

「そうそう、僕は闇から、ガシュヌアは無から来たモノだからね。ユウヤ君みたいに人から悪魔になったわけじゃないんだ」

「何か嫌な感じするなあ。マルティナ挟んで、また内戦やらかしたりしないで下さいよ。本当にお願いします」

「それはないね。僕はその女性の髪や瞳の色に惹かれたというのもあるから。ただ、ガシュヌアはどうなんだろうね。最近、考え事してる時間が増えてるから、マルティナさんに思う所があるのかもしれないね」


 そうか。

 悪魔だって普通に恋愛していいんだ。

 となると、マルティナとガシュヌアがいい感じになったら、周りも恋愛モードになるんじゃないかな。そうすると――

 アリかもしれない。


 ここは計画的にことを進行させよう。

 考えてもみてほしい。僕はワーストハッカーに選ばれた人間であり、今や悪魔でもある。

 

  僕の辞書に不可能という文字はないImpossible is not the baddest hacker

 (Badestはスラングでbadの最上級、意味は超絶にイケてる。worstと真逆)

 

 さて、そうなると戦略的に物事を考えなくてはならない。

 オペレーション・カムラン(アーサー王の最後の戦い)発動。

 時は満ちた。アーサー王を打ち倒す日が来た。樫の木として叫声をあげて、舞台に乱入する日がやってきた!


 と、計画を練っていると、ドラカンがポツリと言葉を漏らした。

「雨、止みそうにないね」


 うーん。作戦計画を立ててる所に、水を差さないで下さい。

「……仕方がないので濡れて帰ります」

「どうしたものかな。送ってあげようか? デアドラさんの屋敷だよね?」

「はい、そうですけど。でも、送るって言われても、ドラカンさんも濡れますよ」

 ドラカンはポーチの隅に歩いて行き、暗闇の方へと向かい、僕を誘った。

「ユウヤ君、こっちに来て」

 漆黒の中で彼の白い手招きだけが見えた。そこだと照明が届かない。まるで冥界に誘われている、みたいな。

「ちょっと待って下さいね」

 暗闇の中に入ってみると、肩に手を置かれた。振り返って見ると、そこから見える景色は幻想的だった。照明に淡く照らされる行政庁舎は歴史をそのまま横たえたかようだった。


「ユウヤ君、目を閉じててね」

 言われた通りにすると、全て見えなくなった。石畳を叩く雨音は心地いい。

 すると、耳に入ってきていた雨音のリズムがズレた。そして、周りの空気が変わった。鼻を通る空気も涼やかで、藤の花の甘くて優しい匂いがしている。

「はい、いいよ。ユウヤ君。目を開けて」

 視界に飛び込んできたのは、デアドラの屋敷にある裏庭だった。藤棚の闇に僕は立っていた。闇夜の中で屋敷を見上げてみると窓に光が灯っている。


 雨は絹糸のように細く、暗闇で見えなくなった地へと落ちる。

 いつもと変わらず談笑しているんだろうか。それとも仕事をしてるのかな。

「それじゃ」

「あっ、ドラカンさん、ありがとうございます」

「空メール送るの忘れないでね。食事会にEmmaの皆を招待しないといけないし」

「わかりました」

 返事は闇に飲み込まれた。既に去ってしまったのだろう。魔法の一種なんだろうか?

 でも、ドラカンは、闇から来たといってたし、人間では捕捉できない次元現象なのかも。


 裏庭から、裏扉へ走る。芝生の上で滑りそうになるけど、早く帰って皆の顔を見たかった。

 ここを出た時には帰れないと思ったぐらいだから。素直に嬉しい。自然と顔をほころぶ。


 でも、扉を開こうとすると、屋敷の中が騒がしい。

 なんだろう?

 裏口から入るのマズそう。仕方ないので、玄関へと向かう。

 あー、新しい革靴が雨に濡れちゃうよ。後で拭き取らなきゃ。

 雨の日の革靴メンテって、面倒なんだよな。

 

 玄関の石畳は大理石になっているので、滑りそうになるのを耐え、玄関まで辿り着けた。

 ドアの向こう側で言い争いをしているようだ。

 声からすると、ジネヴラとセルジア。口喧嘩でもしてるのかな?


 まあ、いいか。

 先ほど脳内議会で満場一致で可決されたオペレーション・カムランは、冷静な判断と決断が必要とされる。

 作戦の遂行にあたっては僕はクールでなくてはならないだろう。

 二人のケンカを止め、そして仲直りさせる。

 すると、どうだろう。宝塚劇場が開幕され、必然的に僕の好感度が上がるはず。

 ジネヴラとセルジアは握手をして仲直り。

 マルティナとデアドラは僕に拍手喝采を惜しまないことだろう。

 いい感じだ。生まれてきてよかったと初めて思えてきた。


 で、ドアを開ける。


 なんということでしょう。

 背景に煉獄の炎が見える。地獄の釜でも開いたのか。それとも太陽が地へと落ちたのか。


「ジニー。言っていいことと悪いことがあるの知ってる? アアン? いつかは決着つけないといけないとは思ってたのよね、あんたとは!」

 何コレ。いきなり想定外なんですけど。

 セルジアさん、女の子なんだからさ。そういう口の利き方ってどうかと思うよ。”アアン?”って言っちゃってるけど、マフィアの女ボスとかに間違えられちゃうよ。


「セルジー。決着とか笑えるわね。勝てるの? 前にヒンヒン泣いていたわよねえ。今度はその程度じゃ済まないから。覚悟してかかってきなさい」

 ジネヴラ、どうしたの?

 吐息から冷気が漂ってきそうなんですけど。女の子がそんな殺気だった目をしちゃいけないと僕は思うなあ。

 君の青い瞳はキレイだけど、何もかもを凍らせてしまいそうだよ。

 やめてよ。二人とも。こんなの僕見たくないよ。


 僕は成り行きを見守っている、マルティナとデアドラの元へと向かう。まずは何があったのか情報収集しなくてはならない。

 すると、足下の板が軋んだ音を立てた。

 その音に気付いたのか、ジネヴラとセルジアの視線がギコちなく、こちらへと向く。

 何それ怖い。


 僕は小さく悲鳴をあげてしまった。

「やあ、ただいま。どうしたの二人とも」


 すると、セルジアが僕の方へと歩み寄ってくる。ヤバい。

 目が座ってるよ。手を見ても刃物は持ってなさそう。取りあえず刺されなくて済むみたい。

 ちょっ、僕に何する気?


 万力のような力で僕の両肩が捕まれた。

 セルジア、それだと僕の肩潰れちゃう。トマトみたいに潰れちゃう。

「い、痛いんだけど、セルジア」

「おかえり」

 ん! 意味がわからないで呆然としていると、セルジアが、顔を寄せてきた。

 ちょっ!

 結果的に言うと、僕の頬にセルジアはキスをした。

 正直に言うと、この前後の記憶は曖昧。余りの出来事に記憶がどこかに飛んでった。


 頭の中は真っ白。

 システム・オール・レッド。終了します。


 ……意識が戻ってきたのは、セルジアが肩から手を放した頃だった。

 漂う雰囲気がただごとじゃない。

 男の子としてラッキーな展開とは思えない。僕が欲しかったのは、こうじゃない。


「ジニー。つまりはこういうこと。ユーヤと私はこういう関係なの。じゃあね! 私、帰るから! せいぜい頑張りなさい!」


 ドアが閉められた後、屋敷に沈黙が降りてきた。ブラックホールも落ちてきたと思う。物音一つしなかった。

 ごめん、何が起こっているのか付いていけません。

 何これ、聞いてない。不条理すぎて意味がわからない。


 ええと、こういうことなのかな? 

 僕は知らずにセルジア・フラグ立てちゃって、セルジア・ルートに入っちゃたってこと?

 フィスト・バンプがフラグだったの?


 ねえ、ゲームの世界じゃないんだからさ。

 現実は常に本番ばかりのノーストップだろ? セーブが効かないのに、何この仕打ち。

 こういう展開マジで止めて下さい。僕は多色系じゃないんです。

 ルートとかどうでもいいんです。迷惑以外の何でもありません。

 本当に止めて下さい。

 僕の望んだ世界と、かなり食い違いがある。グランド・キャニオンレベルで食い違いがある。


「ユウヤ、最低! もう、顔も見たくない!」

 ジネヴラが二階へ駆けてゆく。

 もうね、何が何だかわかりません。

 耳の穴にダムダム弾ぶち込まれても、こうはならない。ツァーリ・ボンバをぶち込まれた気分。


 何があったのか聞こうと、マルティナとデアドラの所に行こうとすると、二人の視線が冷たい。

 あっ、これって最初の頃に戻った感じがする。

 僕は振り出しに戻ったの?


「ウウイエア、お前は最低だ」

「ウーヤ……。捨てておけば良かったかも……」

 二人は足早に去って行く。ポツンと残された僕。


 なるほど、オペレーション・カムランは失敗したらしい。

 そして、僕の辞書には不可能という文字しかないことが判明した。


<Addtional Message>

※1 以下はコンテスト用に変更してしまっており、後に修正をします。

  0x01iC:変更後:マルティナのガシュヌアへの態度はドギマギします。

  0x01FF:変更後:『魅了』の魔法メッセージを飛ばされてません。

  DOGが悪魔であるのを強調する為に、無理に変更した部分です。

</Addtional Message>

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