0x00FF Hello World
DOGの執務室に僕は一人でソファーに座っている。
向いにある窓からは暗雲で空が覆われていた。直に雨が降るだろう。
そういや、傘を持ってくるのを忘れたな。
そう思っていたら、執務室奥にあるドアが開き、ガシュヌアが出てきた。
「お疲れだったな、ユウヤ」
「ユウヤ君、まさか偽装して内部告発メールとはね。アイデアは秀逸だったよ。ご苦労様」
ガシュヌアの後ろからドラカンが現れた。
DOGの二人は対面するソファーの席に着く。相変わらずの圧迫感。
袖のボタンを触り、自分のペースを取り戻す。
「どこから、どこまで筋書きを書いていたんです?」
「さて、何のことだろうな」
「OMGの例のプロジェクトはEmmaとは全く関係ないですよね」
「因果が逆転しただけだ。OMGのやっていた実験は知っただろう? 法の下に引きずり出す必要があった」
「これほど胸クソ悪い仕事をしたのは、久しぶりですよ。クソったれ」
ガシュヌアの目が細められた。
「汚い言葉を使うのは感心しないな」
「あんな汚いものを見せられて上品で居られるわけないでしょ? セル民族自治区がキナ臭いって言われる理由がわかりましたよ」
セル民族はハーフエルフ、
OMGと魔法統制庁が関わっているプロジェクトについてメールにはそう書かれていた。
「ハーフエルフの脳を
「具体的な証拠がないと捜査はできない。加えて、検察庁まで抑えられたら事件化することすら困難だ」
「本当にこの世界ってどうかしてますよ。ドロドロし過ぎて吐き気がする」
執務室に沈黙が降りたかと思うと、稲妻が空を横切った。天を切り裂き、遅れて雷鳴が轟いた。
「ホモ・サピエンスとは、そういう生き物だよ、ユウヤ君」
ドラカンはいつも通り目を閉じて、微笑をたたえている。
「お前が一番よく知っているはずなんだがな」
ガシュヌアが詰め寄るようにして言葉を紡ぐ。傲慢な態度は相変わらず。
「ところでガシュヌアさん、マルティナについてはどう思っていますか?」
「仕事中に世間話を持ち込むのは感心しないな」
「でしたら、マルティナに変な魔法をかけるのも止めて頂けますかね。目的は達成したんでしょう?」
この時にガシュヌアの片眉が動いた。
彼から微表情を引き出せたのは初めてだ。
ガシュヌアは僕を見つめている。僕から出てくるシグナルを見極めようとしているのだろう。
とぼけあっても話は進まない。僕が先に動く。
「マルティナの感情変化が余りにも極端なんで不思議に思っていたんですよ」
ガシュヌアが口角を上げた。普段は無表情な彼が見せたのは、人の悪い笑顔だった。
雷が弾けようとしているのか、幾度も暗雲の中で光が明滅している。
「ほう。マルティナがどうしたって言うんだ?」
「マルティナのPCに定期的に魔法メッセージが送ってたでしょう? その件です」
「おやおや」
ガシュヌアは驚いたように両手を上げた。足は組まれ、悪びれた様子は一欠片もない。
見下した笑顔はそのまま。
「その魔法メッセージが受信されると脳内物質分泌レジスタに書き込みが行われ、セロトニン、オキシトシンが分泌される。この魔法メッセージに名前を付けるなら『魅了』」
「お前はマルティナのPCにマルウェアを送りこんでいたわけだ。さすがはハッカー。見込んだだけはある」
「マルティナは最初からポートがガラ空きだったんで、防衛目的で送り込んだんですよ。ただ、実技試験以降、マルティナに魔法メッセージは飛んでこなかった。モヤモヤしてたのがスッキリしました。僕やデアドラと接触しやすい状況を作り、友好的な関係を築くためにマルティナを利用したんですよね?」
「俺に答える義務はない」
二人はソファーに腰掛けこちらの様子を伺っている。
僕とは違って余裕がある。
雷雲が近づいている。雲の中、激しく天地を裂く時を待っているかのごとく、胎内で雷を転がしていた。
「色々と考えてみましたよ。ラルカンは操り人形ですもんね。”例のプロジェクトに抵触する可能性がある”だとか、”OMGが実技試験で邪魔する”などと、嘘の情報を僕に吹きこみ、巻き込まれる状況を作っていたとはね」
「あいつがそう言ったのか?」
「ええ、問い詰めたら白状しました。彼が使った踏み台にログやシェル履歴が残っていたので調べたんです。メールの内容を見たり、取得した形跡が全くない。なので不思議に思って問い詰めたんですよ」
ラルカンはログやシェル履歴を消すほどのスキルがない。
踏み台に残っていたログとシェル履歴を取得して調べれば、彼が何をしていたのかわかる。
ラルカンはメールサーバーに侵入しただけだ。それ以上のことは何もしてはいなかった。
いや、出来なかったというのが正解だろう。ログやシェル履歴を残し、セキュリティ対策をされてしまい、侵入できなくなっただけ。
最初にFTP経由で送られたメールの文面はラルカンの作り話。DOGから指示されたと白状した。
どれだけOMGのメール、ファイルを漁っても、”プロジェクトに抵触する”や、”実技試験で邪魔する”など一文もないはずだ。そもそも、存在しないはずの情報を探っていたのだから。
Emma設立妨害はDOGが綿密に計画した茶番だ。
ただ、僕がハッカーだとわかった上で仕組まれているはず。でなければ色々と説明がつかない。
「議会で反ヴィオラ派は駆逐されるんでしょう。陸軍省は発言力を増し、その直轄機関であるDOGは、現在の権限を持ちながら、新設された第二の宮廷魔法ギルドへと昇格、更なる権限を手に入れた。DOGは単なる諜報機関だけではなく、議会にも口を挟めるようになった。一体あなた達の目的はなんですか?」
「諜報機関の目的は国家安全保障だ」
「諜報機関の欲望はどんどん膨れ上がる。全ての通信を盗聴し、全ての人を洗脳し、世界をコントロールしていると思える日まで。そうじゃないんですか?」
「これはこれは」
ガシュヌアとドラカンはお互いに視線を交わして低い声で笑いはじめた。
愉快とは違った感情からくる笑い声。対峙している相手がいかに手強いか再確認させられた。
「ユウヤ、お前はPLA Unit61398に雇われていたな。そこでもそうだったのか?」
やはりそうだ。
疑念は確信へと変わってゆく。
「よく似たものです。ただ、中国の場合、国の事情がありますから」
「はっきりいっておこう。俺とドラカンは世界征服などは考えていない。見通しがよい場所を確保する。それこそが目的だ」
真実がどうかわかったものじゃない。彼らの言葉に何度騙されたことか。
ただ、確かめなくてはならないことが残っている。
「ところでユウヤ。PLA Unit61398はどうだった?」
「マーケティング理論、プロパガンダ技術を熟知しているエリート達と議論を交わすのは、刺激的で楽しかったですね」
「お前の国籍は日本だろう。国を売ってる時の気分を教えてくれないか?」
「馬鹿馬鹿しい。国籍を言うのであればネットです。考え方が古いんですよ」
「人を誘惑するのは楽しかったか?」
「ビジネスパートナー達に条件を提示しただけです。彼らは自分で選択し、行動した。それだけです」
「それを誘惑というんだよ」
前にも述べたが、ダークウェブは自由が基本理念。いわばネット世界でのアンダーグラウンドだ。ドラッグ、武器まで購入できるし、盗品や銀行の口座情報までやり取りされている。
僕の仕事はそこで行われていた。
日本人を対象とした最新情報取得の依頼。それが民間偽装要員として僕に与えられた仕事だった。
主な依頼内容としては最新技術情報、新製品開発情報や内部情報の横流しだ。僕はそれに見合った金銭を払う。
請け負う日本人は増えており、僕は見返りとして仮想通貨を支払っていた。
足が付くわけもない。海外に口座を開き、他人の名義になっている。
統計的には三十~五十歳台の正社員や公務員が多かった。子持ち家庭だと収入と家計を維持する支出がマッチしていないからだろう。彼らは金を稼ぐ為に情報を売るのに躊躇いもしなかった。
匿名で大阪地検特捜部に送られた文書問題、相次ぐ日本企業や団体の不法行為の内部告発。日本という国に対して信頼感を希薄化させる為の戦略だが、諜報機関が関係しているとは夢にも思わないだろう。
日本のセキュリティーがザルというのはバレている。攻勢に転じている理由はそれだ。
「ユウヤ、最終的にお前はPLA Unit61398に対して反旗を翻して、世界相手にサイバーウォーを繰り広げ、そして――」
僕はガシュヌアの言葉を遮った。
「さすがですね。ガシュヌアさん。何でもお見通しってわけですか」
自分の過去を自分で語るのならいい。
だが、人に語られるのはどうにも気にくわない。隠した破壊衝動は沈んだままでいい。
鷹揚とした態度で、彼らはソファに背をあずける。革の擦れた音が耳を舐める。
「お前がデアドラの元へ落とされたのは偶然ではない。俺達が決定したことだ。いい仕事をしてくれて何よりだ」
再びの沈黙。DOGは僕が喋るのを待っていた。
窓が閃光で染められたと同時に稲妻の暴力的な爆音が部屋を満たし、窓が細かく震えた。
豪雷は網膜を焼くほどに白かった。鼓膜を破る轟音の中で、僕はDOGにソレを確認する。
「あなた達、悪魔なんですよね」
「大正解、ユウヤ君。感心したよ」
ドラカンが目を開く。アルビノ特有の赤色の瞳は、悪魔らしい色だった。
「最初に気付く
「続けてくれて構わないよ」
「決定的になったのはガシュヌアさんがデアドラに送ったメールです」
メールの最後にはDOGのドメイン名が書かれていた。URLの末尾は“.onion”。そこまでわかればアクセスは容易だ。torブラウザがあれば十分。
僕は言葉を続ける。
「
torはダークウェブで使われているプロトコル。HTTPで引っかからず、ダークウェブの根幹となっている。
「ようこそダークウェブへ、ユウヤ君」
「遅れたが歓迎する、新しい仲間としてな」
あのサイト。
ダークウェブはネット世界でのアンダーグラウンド。
悪魔と契約できてしまうサイトもある。僕が絶望の縁にあった頃、それを見つけ契約をした。
雷雲は通り過ぎたのだろうか。
雷鳴が遠くなってゆき、雨が降り始めているようだ。
窓を叩く雨音を聞いていると、笑えない意味でのI’m dyingな僕に向かってアイツが囁いた言葉を思い出した。
「これから我々と同じ眷属になってもらいます」
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