0x000A 靴を履いたままって生理的に無理
ダーナ街からデアドラの屋敷への道は結構な距離がある。屋敷はマイリージャ街にあり、敷地の広い屋敷が立ち並んでいる。ハイソな方々の住宅地なのだろう。マイリージャ街には高い塀があり、警備兵の控え小屋がいくつか見える。
夕刻の空は広くて青から紫色のグラデーションを横たえていた。
デオドラの屋敷の前庭を通り抜けると、両開きになっている扉がある。開けると大きなホールになっている。左右に大きな階段が二つかかっていて、二階に寝室や個室がある。
夜が近づき、窓から差し込む光は落ちてはいるけれど、『照明』の魔法の為か、室内には仄かな光が満ちていた。効果は同じみたいだが、『光』とは違い、個人のPCのリソース負担や、使用料金も少なくてすむのだそうだ。
そのまま左奥にあるリビングへと向かう。
この国では家の中で靴を脱ぐ習慣はない。たまたま、革底だから蒸れはしないけれど、どうにも靴を脱ぎたい衝動に駆られる。
靴の履きっぱなしって足が窒息するんじゃないかと思う。
リビングは南向きに大きな窓がある。昼間だと日当たりはいいのだろうが、夕方だと暗いからか、暖色系の『照明』が灯されていた。
テーブルに書類を広げているジネヴラに挨拶をした。
「ただいま」
彼女は熱心に、本を読んでいたようだ。
ジネヴラは嬉しそうに返事をした。赤い髪の毛が揺れ、白い歯が輝いていた。
「ユウヤ、どこ行ってたの? 聞いて聞いて。私たちが発見した
「そうなんだ。DHAも乗っ取りを考えてるわけじゃないみたいだったよ。ところで何の本を読んでるの?」
テーブルに広げられた本を見てみる。ジネヴラは指を指してた。綺麗な爪をしていた。
「これこれ。
本を見せてもらったら、「Apache」と「Tomcat」。
……魔法ってバグだらけのシステムで動いている。
そして、間違いなく完璧な魔法は存在しない。
プログラミング言語はJavaなのか?
ちょっと、ファンタジーなんだろ? 中世なんだろ?
もうちょっと夢を見させてくれよ!
「ユウヤの眉間にしわが寄ってるけど」
「うーん、よかったら僕が設定しようか?」
「本当! ネットワーク配備計画書を書かなくならないのよ。要求仕様があるからそれに合わせる必要があるけど。できる?」
両手を叩くようにしてジネヴラは喜ぶ。彼女の素直な反応は見ていて気分がいい。
「うん、要求仕様を見せてくれたら。あっ、ありがとう。要求仕様って結構ページ数あるね」
「それにしてもどこに行ってたの?」
「時間もあったし、僕はラルカンに確認しに行ってたんだ。
「へえ、そうなんだ。何か言ってた?」
「嫌がらせとかじゃなくて、マルティナにサプライズ・プレゼントするつもりだったんだって」
ラルカンを応援するわけじゃないが、適当に話を盛っておいた。
感謝しろよ、ラルカン。
ジネヴラが座っているテーブルには本だけではなく、書類もあった。その中にはネットワーク設立計画書と書かれてあった。色々と大変そうだが、必死に取り組んでいるらしい。
僕は彼女の斜め向かいの席に座った。テーブルの上に花瓶があり、ユリの花が咲いていた。
そういや、自分の部屋は何にもなかった。
女の子が居るってこういうことなんだ、と改めて思った。
「ユウヤの服が替わってるね。囚人服じゃない」
「僕の正装は囚人服じゃないよ」
「そだね。それにしても、どこからもらってきたの?」
集中力が切れたのか、ジネヴラは両手を上げて背を伸ばした。
「ラルカンからもらってきたんだ。あいつ、マルティナを相当好きらしい」
僕の答えはジネヴラのお気に召さなかったらしい。
「前からずっとあんな調子なんだよね。つきまといすぎ。後、目つきがやらしい。他にも色々あるんだけど」
「ラルカンのアピールの仕方はどうかと思うけれど、悪気はなかったみたいだったよ。マルティナはそういうの苦手なんだよね。そういう所をラルカンは気付いてないみたい」
「マルティナは昔から男性から言い寄られること多かったのよね。いつも男性から求愛されるんだけど、そのせいで同性からは嫉妬されて友達も全然いなかったの」
「えー、美人って、得するってイメージなんだけど、そうでもないんだ」
これは驚きだった。美人だと苦労しなくてもいいと勝手に思い込んでいた。
ジネヴラは両手を振って否定した。
「逆だって、逆。マルティナは女の私から見ても美人すぎ。既婚者からとか、恋人がいるにも関わらず、求愛されたりしてたから、トラブルが絶えなかったんだよね」
「そりゃ大変だ。ジネヴラはどうしてマルティナと友達になったの?」
「私は問題児だったからね。孤立していたの。孤立した者同士で仲良くなったって感じかな」
「えっ、ジネヴラって問題児だったの? それは意外かも」
「そかな。私もマルティナも孤児院に居たんだけど、規則とか理不尽なことが多くって。やってられるかーって。荒れていた時期があるんだよ」
「そうなんだ。でも、よく接点があったね」
「最初の頃はケンカばっかりしてたよ。今は仲いいけど」
ジネヴラと僕はマルティナの方を見る。彼女は部屋の中心から外れた窓際のソファーに座って本を読み、物憂い表情を浮かべていた。夕方近くなって、差し込む赤い日が黒髪を切なく輝かせていた。マルティナ日に日に艶っぽくなってない?
僕はジネヴラに聞かずにはおられない。この前の会話といい。どうもマルティナの様子がおかしい。
出会った頃は辛辣だったけど覇気があった。このままだと調子が狂う。
「あのさ、ジネヴラ。マルティナちょっといつもと違くない?」
「やっぱりユウヤも気付くよね。でも、言うべきかな。うーん、困った」
両手の拳を頭の脇に当てている。ジネヴラは友人として何か聞いたのだろう。でも、言うかどうか迷っている。本当に困っていそう。頭の横からギリギリと音が聞こえてきそう。
話から想像するに女性同士の微妙なお話なのだろう。そっとして置いた方がよさそうだ。
「いいよ。無理して話してくれなくても」
「ありがとう。でも、はっきりしていることは、ラルカンはマルティナ的に絶対ないと思う」
「そうなの?」
「そうよ。それにしても、
ジネヴラ言い切っちゃったよ。
ラルカン。お前、
悪い奴ではないんだけれども、それは男同士でそう言えるだけであって、女性には嫌われるタイプなのかもしれない。
「そうか。ラルカンはないか。仕方ないよね。でも、ラルカン謝ってたよ、ゴメンって」
「私も
ジネヴラもラルカンに対しては、お怒りらしい。両手を組んで怒りの態度を示していた。と言っても、微笑を誘う程度で、深刻なほどではないようだけど。
「ジネヴラの髪は素直に綺麗だと思うけどな?」
「そうかな。小さい頃からよく赤毛でからかわれたし。
「ストロベリーと同じ色でもあるよね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、今まで散々言われてきたからなあ。中々ポジティヴには考えられないよ」
ストロベリーと同じ色と言われて、満更でもない表情をするジネヴラ。ちょっとは機嫌が直ったかな?
「そういうことを言う奴は口が幼いんだよ。相手にする必要もないさ」
ジネヴラは腕組みをほどいた。もう、怒りは収まったみたい。テーブルに肘をつき、どうした訳か僕をジッと見つめてこう言った。
「ユウヤって時々、達観したような物言いすることあるよね」
「そう? この前は”子どもっぽい”と言われたばかりだけど」
「そだね。どっちが本当のユウヤなんだろね」
「両方ともじゃない?」
ジネヴラとは本当に安心して会話ができる。デアドラとセルジアって、一言一言が言質とられてる気がして、安心できない。
ラルカンとは違った安心感。ジネヴラとの会話は純粋に楽しい。
転生前の世界が余りにも殺伐とし過ぎていたからな。デトックスしている気分。癒やされてるなあ、僕。
そういや大変なことを言い忘れていた。
「あっ、後、ラルカンが言ってた。ジネヴラのギルド設立に反対する人がいるんだって」
ムッとした顔をするジネヴラ。
表情に出やすいの僕だけじゃないよね。ジネヴラ自身も表情に出やすいよね。
「誰、その人?」
「他に口外とか絶対にするな、と言ってたんだけど」
「何、それ。ラルカンが言ったって黙っておいてくれっていうこと?」
「そうそう」
「ふーん。それでも、ラルカンは私のことを
彼女は片手を握りしめ、高く突き上げて宣言していた。重要事項らしい。
今日もお姫様は元気そうで何よりだ。
「うん、後で謝っとくように言っておく」
「ユウヤ、ラルカンと仲良くなったんだ」
「まあね」
「本当かな。怪しいな」
不審そうなジネヴラ。過去に何かあったのかな。
でも、僕からすると、表情がクルクル変わるジネヴラは可愛らしい。
考えすぎかもしれないけれど、赤毛と彼女がからかわれたのも、ジネヴラの気を引きたくて、からかい半分に言ったんじゃないかな?
「OMGのダルシーって人が実技試験で邪魔するかもって言ってた」
「えっ、本当?」
テーブルに手をついてジネヴラが立ちあがった。思ってもみなかった反応に僕が驚いた。
「うん、ちょっと声が大きいけど。そんな大変なことなの?」
「OMGって魔法統制庁から認可された宮廷魔法ギルドなのよ。そのギルド長なのよ、ダルシーって」
「そういや監獄で特種魔法ギルドとか聞いたけど、あれって何?」
「魔法ギルドにもランクがあって、実績によって第一種、第二種とかあるんだよ。OMGやDOGはそういうの飛び越えて特種というランクなの」
「なるほど。ところで宮廷魔法ギルドって何なの?」
「私も詳しくはわからないけど、王様と貴族が議会を開く時の外部委員会みたいなのって聞いたけど。でも聞いた話だからわからないよ」
「セルジアを呼ぼうか?」
「そうね。ちょっと込み入ってきたし。ちょっと、セルジー来てくれる!」
セルジアがやって来た。当然のようにデアドラもセットでやってきた。
一人、一人が凶暴だ。もはや肉食獣とかそういうレベルじゃない。肉食恐竜レベル。
そういや、奥で訴状だか何だか言ってたな。
「どうしたの、ジニー?」
「今、ユウヤから聞いたんだけれど実技試験に邪魔が入るかもしれないんだって」
「えっ、誰?」
「OMGのダルシーらしいのよ」
「よりにもよってダルシーなの? 誰から聞いたの?」
二人は僕の方を向いた。僕は二人からの強い視線にたじろぎそうになる。
「いや。ラルカンに今日聞いたんだけど。絶対に他の人には言わないで欲しいとも言ってた」
「本当ですか……」
デオドラは舌打ちをした。
貴族って、優雅な存在かと思っていたけれど、そうでもないみたい。
デオドラは貴族という言葉が与える幻想を見事に壊してゆく。ティラノサウルスが麦畑を横切ったとしても、これほど見事な壊れ方はしない。
「どうだろう。DHAは悪気はないわけだし。敵をむやみに作るのはどうかなと思うんだけど、ジネヴラはどう思う?」
「今、セルジーに頼んで訴状書いてもらってるけど、ブラフのつもりだったんだ。最終的には和解に持っていって、謝らせるつもりだったけど。どうしたものかな」
「これは推測なんだけど、デアドラとセルジアは、謝らせるだけで済まない訴状を書いていたように思うんだけど」
「そうなの?」
ジネヴラが二人の方を振り向くと、デアドラは両手を組んで懇願態勢。
宝塚劇場がまた開催されるのだろうか?
「とにかく訴状を見せてもらおう」
ちょっと強引だったけど、訴状を広げてもらった。
おいおい。
訴状を読み進めると二人の企みが明らかになってゆく。表向きは賠償金請求になっており、担保として
賠償金額が莫大すぎることから、担保に設定している
DHAによる
この二人、本当に怖いんですけど。
「今後のことを考えると、ギルドが男社会なら、友好的なパイプが必要だと思う、どう思うジネヴラ。この訴状だと何もかもがぶち壊しだ」
「これはやり過ぎかもね。ユウヤ、ラルカンには引き続き情報提供ってしてもらえそう?」
「問題ないと思う」
「決めた。裁判は見送りにしよう。ラルカンに揺さぶりかけるつもりだったけど、OMGがこちらの邪魔をするようなら手伝ってもらう。セルジア、デアドラ、二人が作成してくれた訴状はありがたいけど、これはやり過ぎかも」
「仕方有りませんね……」
デアドラはかなり乗り気だったみたい。裁判が取りやめと決定された時に見せた表情を、僕は一生忘れないだろう。
熟練のハンターが獲物を仕留め損なった、そんな顔をしてた。
それにしてもOMGが何か仕掛けてくるというのが気になっている。魔法ギルド設立については聞いているけど、詳細を知っておいた方がよさそう。
「実技試験って何をするの?」
「今回、登録してきた
「魔法統制庁と宮廷魔法ギルドが認可するんだ」
「以前は魔法開発は国の仕事だったんだけど、効率悪いから、民営化してるの」
僕達の世界に例えるなら、魔法がWebサービスみたいなフレームワークで提供されている。
例えば、GoogleMapだったり、SNSだったり、動画配信サイトがWebサービスと思えばいい。
こちらでは物理現象に影響を及ぼすサービスがWebサービスみたいな感覚で、魔法として提供されている。
ラルカンは言っていた。実技試験の時に何か仕掛けてくる、と。
実技の内容で何か仕込んでくるのか、それとも審議会で否定的な姿勢でくるのか読めない。
「ジネヴラ、実技試験に向けて、公開準備の作業があると思うんだけど、ネットワーク配備計画書だけでなく、他にもやる仕事があるんじゃないの?」
「魔法API仕様書の作成かな。今回、起動した
「それも僕がやるよ」
「ユウヤ、大丈夫なの? 気持ちはすごく嬉しいけれど、ネットワーク配備計画書だけでも大変な作業だよ?」
「大丈夫でしょ。各
「簡単に言うけど、これが難しくて。マルティナがその辺りの学科が得意で任せようと思っていたんだけど……」
ジネヴラの視線はマルティナへ。
窓際ソファーで彼女は相も変わらず上の空で読書。本当に何があったんだろう?
要するに魔法APIを調べればいいのだろう。安請け合いするのはよくないが、色々と口出ししてて何もしないのはフェアじゃない。
「マルティナ、どうしたんだろうね? でも、ラルカンとの情報共有の話は後回しになるけど、それはいいかな?」
「ラルカンとの交渉は後でいいよ。でも、仕事抱え込みすぎだよ。分担した方がいいって」
「一日、解析して問題があるようなら協力してもらうよ。ただ、お願いがあるんだけど……」
「何ですか?」
語尾が消えていない内に、僕の横からデオドラが飛び出てきた。デオドラの本体が出現した。勢いを取り戻したハンター。
「正ギルド員として、給料って前借りできる? でなきゃ、服も買えないし、生活できないんだよ」
「それでは契約書を作成しますね……」
デアドラとセルジアは無表情を努めて作っていたが、目が笑っているのが隠せてない。前借りする前に契約書にサインをさせられるのだろう。
僕は心の中で誓った。
契約書が5000ページであっても必ず最後まで読むことにしよう。
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