第858話 悪魔の子
見覚えのない獣の姿をした悪魔達の端に並び、真っ黒な穴らしきものに向けて手を翳すベルフェゴール。その肩を叩くと彼女の体はビクッと跳ねた。
『しょ、しょーねん……驚かさないでよ』
『ベルフェゴール、なんで薬打ちたくないの? や、別に無しでいけるならその方がこっちも手間省けるからいいけどさ』
『んー……笑わないで聞いてね?』
何を笑う必要がある。僕は黙って頷いた。
『………………妊娠したかも、なんだよね』
『え……!?』
『わ、分かんないよ!? 分かんない……別に体の調子は変わってないし、体型も変わってない…………でも、ほら、あたし……魂とか霊体とか感知出来るじゃん……なんか、居るんだよね』
彼女に許可を取って腹を撫でてみたが、膨らんでも動いてもいない。
『人間の体にしてるからヤったらできるし寄生虫とかにも住まれるし……正直分かんないんだよねー、両方心当たりあるから』
霊体を見て血縁関係を当てる者まで居るのに、ベルフェゴールは自分の子か寄生虫かすら判別できないのか……まぁ、個々の能力を比べるのはよくない、そこは触れないでおこう。
『両方心当たりあるってどういうこと?』
『え? 少年がくれたんじゃん、おっきめの少年。あと、やばそうな生肉。ごちそうさまでした』
『僕には心当たりないんだけど』
大きめの少年に至っては意味が分からない。
『フェルじゃないの? あの子たまに君に何か持ってってたろ』
兄が口を挟むとベルフェゴールはぽんと手を叩いた。
『おー……声しか聞いてないこと多かったから間違えたかな』
『えぇー……魔力とかで分かるでしょ』
『めんどくさいから普段使ってないんだよねー』
魔力感知にオンオフ機能があるのか。視覚と同じと考えればあるかもしれないが、聴覚と同じと考えればない。ベルフェゴールは怠惰の悪魔だ、彼女のみ感覚器官にも休みを与えることが出来るのかもしれない。
『……まぁそれはいいけどさ、大きめの少年って何?』
『それは弟が放り込んだのだろ? あのグラデーション頭』
『あっ、えっ、したの?』
『え? しろってくれたんじゃん』
休ませて欲しかっただけだ、運動させるなんて……まぁそれは今はどうでもいい。
『……とりあえず、にいさま。透視とかできない?』
兄はベルフェゴールの腹の前に魔法陣を浮かべ、数秒間目を閉じた。
『…………元気な男の子だね』
『そっちかー』
『軽いなぁ……えっと、どうする? 竜の里に避難しておく?』
『んー? いやいや、あたし一応作戦の中核だしぃ、居なくなるとまずいっしょ。別に人間と天使巻き込んで寝るだけだし、そんな気ぃ遣わなくていいよ。帰ったらサタン様に何されるか分かんないしね……腹かっさばかれるかも』
僕としてもベルフェゴールほどの戦力が抜けるのは痛手だ。戦ってくれるならその方がありがたい。しかしヘルメスに会わせてやりたいとも思う。彼の命は残り少ない……いや、戦争を早く終わらせるためにもベルフェゴールの力は必要不可欠だ。
『……気を付けてね。僕はサタンのとこ行ってくるから』
『ん、しょーねんも気を付けて、サタン様今めちゃくちゃ機嫌悪いから』
魔界最深部へ下り、サタンの城の最上階、彼の御前に立って軽く頭を下げる。
『……魔物使いか』
『久しぶり、サタン。機嫌悪いみたいだね』
僕を睨む金眼は確かに不機嫌を示している。
『…………余の属性の性質上、機嫌が悪い方が魔力生成効率がいい』
サタンの属性は憤怒。感情の昂りに合わせて魔力を作り出す特異な性質を持ち、その他の性質は焔と同じ。
『それはそうだけどさ、みんな怖がっちゃってるよ?』
『……魔物使い、また喰ったか?』
『天使? うん、ぁ、そうそう、見て、ギター手に入れたんだよ』
エレクトリック・ギターを軽く弾いてみるとサタンは深い笑みをたたえる。
『そうか、そうか……喰ったか。よし、実によし、もっと喰らえ、全て喰らえ』
『そのつもり。それで? サタン、作戦開始は? まだ?』
『……あぁ、リリスが戻ったらベルフェゴールを送り込む。その後だ』
『分かった、じゃあ僕はとりあえず上で待ってるよ』
上層に兄を連れて戻り、少し探すとレヴィ──いや、オロチと鬼達を見つけた。
『酒呑! よかった、見つけた』
『おぉ、頭領やないか! どないしたん』
『ちょっと……屈んで』
言われた通りに屈んでくれた酒呑の額に手を触れさせ、ラビエルの力を呼び起こすよう意識して念じる。
『……癒しの加護を与える』
『ぉん……?』
『酒呑、これでとりあえず軽い治癒が楽に使えるようになったと思う。酒呑の治癒、疲れるみたいだからこっち使って。使う時が来ないのが一番いいけど……』
『おぉ、ほんまか! おおきになぁ頭領!』
ガシガシと乱暴に頭を撫でられ、髪がぐしゃぐしゃになって苛立ちを覚えつつも温かさも感じた。
『おい。魔物使い。酒はないのか? 酒は』
『オロチ……お酒はないよ。また今度ね』
用事は終わった。正義の国の下見にでも行こうか。そうすれば悪魔達が侵攻を開始した直後に中心地で暴れられる。
『にいさま、隠匿の魔法かけて。透過じゃにいさまにも見えなくなっちゃう』
『ぁ、うん……弟……立派になったね。僕なんか足元にも及ばないよ』
『汎用性はにいさまの方がまだ上だよ』
兄と共に正義の国に侵入するのは二度目だ、相変わらず大通りだけを見ていれば幸せそうな国だ。
『ん……? 何、あれっ……!』
噴水広場から少し離れた場所に陶器製の天使が集っていた。彼らが槍を突き立てているのは赤い鱗の塊──体を丸めた竜だ。
『まさかセレナの……生きてたの!? そんなっ……もっと早く来るべきだった。にいさま、竜の治療お願い! 天使を全部片付けたら僕の魔法を少しの間だけ解いて!』
翼を広げて飛び上がっても僕は天使達にも竜にも気付かれない。
『毒針……斉射!』
翼の周囲に浮かべた無数の魔法陣のようなモノから毒針を陶器製の天使達に打ち込み、砕いていく。僕から見て竜の影にいて毒針を当てられなかった者は直接殴り壊した。
周囲に陶器製の天使が見当たらなくなったら兄に合図を送り、僕にかけた隠匿の魔法を解かせ、竜の傷を治させる。
『竜……えっと、ねぇ、君、顔上げて……僕だよ、魔王だ、顔を上げて』
『……きゅ? きゅうっ! きゅぅう……』
『あぁ、大丈夫……大丈夫だよ。早く里におかえり』
傷が治って困惑していたらしい竜は慌てて瓦礫を拾い、並べ、その門の中に入った。僕はすぐにその陣を崩し、竜の里への門を閉ざした。
『セレナっ……あの、バカ……』
勝手に正義の国に攻め込んだ、無邪気な竜を巻き込んだ、その竜を死んだと勘違いして報告した──あぁ、もうしばらくはセレナに会うべきではないな、引っ叩いてしまいそうだ。
『…………にいさま、行こ』
兄の手を引いて空を歩き、正義の国を見て回る。確かに大国だ、広さだけで言っても魔法の国の三倍はあり、地下街もある。かなりの人間が住んでいると考えられる。
『ねぇ、にいさま。ベルフェゴールに眠らせさせる必要あると思う?』
『天使にも効くんだろ? 人間の兵士が居なくなるってのはかなりいいと思うよ、加護受者も居るだろうし』
『…………今、全員殺せばいいんじゃないの?』
『おとーと? 僕はそれでもいいと思うけど……大半は人間なんだよ?』
人間……だから何だ? 敵だろう、敵なら滅ぼさなければ──何を言っているんだ僕は。
『……っ、何……何なの僕、今何言った……? 人をっ、殺すって……そんな、躊躇いなく……』
『おとーと、大丈夫?』
僕の顔を覗き込む兄の表情は幼く、フェルを思わせた。兄だと分かってはいるのに庇護欲を煽られ、その丸い頭を抱き締める。
『えっ、な、なに……おとーと?』
『にいさま……にいさま、多分……僕、天使の取り込み過ぎでかなりおかしくなってる。でも僕……僕を保ってみせるから、協力して。僕と一番長く一緒に居たのはにいさまだから、多分、にいさまが一番僕を僕に留めてくれる』
『…………そ、う?』
腕を離して改めて兄の顔を見れば嬉しそうに緩んでいた。
『お兄ちゃん頑張るよ、おとーと』
このところ兄を乱雑に扱ってきたが、改めて兄の有用性を認識した。アルは大切過ぎて心配させたくなくて重要なことを話せなかったりするし、他の者に立ち入った話はしたくないし、あまり信用出来ない者も居るし──その問題点を兄は全てクリアしている。
流石は血を分けた兄弟と言ったところか。
『うん、にいさまにしか頼めないことだから……お願いね』
嬉しそうに何度も頷く兄に幼い頃から抱いていた兄の像は全く被らない。
関係改善が出来たようだとほくそ笑みつつ歩を進め、人が多く集っている王城の前に到着した。
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