第831話 揃う星辰

簡単に説得された零とは違い、僕は死んでしまったかもしれないツヅラのことばかりを考えていた。しかしいつまでもそうしている訳にはいかないので、今すぐにでも壊れそうな教会から出てこれからを話すことにした。


『寒っ……零さん何かしてます?』


「違うよぉ、この辺は今寒い時期なんだよぉ。ねぇハスターさん、りょーちゃんどこに居るかなぁ」


『多分体に戻ってるんじゃないかな~』


天気が悪ければ雪が降っていたかも……と雲一つない夜空を見上げる。澄んだ空に星々が輝いていて美しい。


『……歌が聞こえるね』


「そろそろお祭りがあるからねぇ、お祝いの歌だよ、零もよく歌ったなぁ……でも、もう神父じゃないから歌わないよぉ」


歌うくらい構わないと思うのだけれど。


『……あぁ、来ちゃったね~』


『ハスター? 何が来たの?』


『…………時?』


何の時だと続けて質問しようとしたが、視界の端で夜空を流れ星が駆け上がっていってその質問を忘れた。


『わぁっ……! すごい、流れ星すごいいっぱい……!』


縦横無尽に流れ星が夜空を駆け回っている、今日は流星群か何かだったのか?


『え……ちょっ、ちょっと邪神! あれって……!』


『僕邪神じゃないもん!』


アルと見たかったな、そんな感想を抱きつつ美しさにため息をついていると不意に不審な点に気付く。流れ星が何か模様を描いているように見える、気のせいだろうか。

ぎゅっと目を閉じて開き、改めて流れ星を見る。長く長く尾を引いて輝く流れ星、その尾は先程までと違っていつまでも消えずに残り、夜空に線を残した。その線は次第に増え、魔法陣に似る。


『ぁ……に、にいさま! 大洋の到達不可能点に行って!』


呑気に空を眺めている暇なんてなかった、事態は進行していたのだ。


『……相変わらず趣味の悪い建物』


少し前までは大海原が広がるだけだった。しかし、今は不気味な建物が並ぶ島が浮かんでいる。ライアーが描く魔法陣、兄がローブに描いた魔法陣、それらに使われているというユークリッド幾何学、僕は建物を見るうちにそれを思い出していた。その不気味な建物の形は到底僕に理解出来るものではなく、兄達の描く魔法陣を設計図にしたような出来栄えだったのだ。


『ハスター、どうしよう……これがクトゥルフの──』


居城か、そう呟いた声は掻き消された。いつの間にか海上に竜巻が発生していたのだ。海水を巻き上げる漏斗状のそれはまるで空を支える柱のように見えた。


『おとーと、おいで!』


兄の腕が胴に回り、零と共に抱えられ引っ張られる。竜巻と島から離される。


『にいさま、ハスターは……』


『アレだよ、見えない?』


暗雲の元でも黄色い彼はよく目立つ。ハスターが発生した竜巻の後ろに回ると、竜巻は島に向かって一直線に進む。どうやらあの竜巻はハスターが発生させたものらしい。

暗緑色の石造りの建物が竜巻に巻き込まれて崩れていく。都市が壊れていく。ハスターが過去に言っていた「文明を一掃する」という言葉に真実味が持たされた気がして、僕は一人で背筋を寒くした。


「……何あれ、タコ?」


『対精神感応防護結界展開! 属性付与、水!』


兄は僕に肩に掴まるように言うと僕を離し、片腕を伸ばし、立体的な魔法陣が描いた。半透明の球体が僕達三人を包む。


『……っ、すごい出力……ちょっと気を抜いたら押し負けそうだね』


結界からはミシミシだとかピキピキだとかいう音が聞こえてくる。壊れかけているのだ、それを兄が必死に修復している。


「ねぇ魔物使い君あれタコかなぁ」


零が指差す先には巨大なタコが──いや、タコらしき触手を無数に生やした頭があった。石造りの神殿の中で寝転がっていたらしいそれが起き上がると水掻きと巨大な鉤爪がある手足が見え、鱗や瘤に覆われた皮膚が見え、竜族のような翼が広げられた。

人の神経を逆撫でするくぐもった声が海と大気を揺らす。


「…………ぁ、りょーちゃん」


零が呟いて始めて僕はツヅラに気付いた。ツヅラは石造りの都市に居た、倒壊する建物から逃げ回っている。


「りょーちゃん! りょーちゃん! お兄さんりょーちゃんのとこ行って!」


兄は魔法陣の維持に全力を尽くしている。見開いた目はもうずっと瞬きを忘れているし、詠唱か計算かを呟く口の動きは僕の目では追えない。


『零さん、僕がツヅラさんのところ行きますからにいさまの邪魔をしないでください。結界が壊れたら零さんも危ないんですから』


「…………分かっ、た、よぉ……魔物使い君、ごめんねぇ……」


歯痒そうに、申し訳なさそうに、#水煙色__スプレイグリーン__#の瞳を同じ色の髪で隠すように俯いた。

透過し、竜巻の影響を受けないように意識してから浮上した都市に飛び込んだ。透過すると分かっていても崩れてくる暗緑色の石達は恐ろしく、足が竦んでしまう。


『ツヅラさん! ツヅラさん、大丈夫ですか』


瓦礫に潰されこそしていなかったものの、ツヅラは魚の下半身を舗装された道を引き摺ったせいで酷い怪我を負っていた。鱗が剥がれ、尾びれが裂け、水掻きも破れている。


『すぐに零さんのところに連れていきますから、安心してくださいね』


ツヅラに取り憑いていたクトゥルフは自分の体に戻ってハスターと戦闘中。ハスターいわく正義の国でツヅラの魂を壊してしまったことで不死の呪いが発動し、身体の方に魂が再現されたとのこと。だから僕が今抱えているのは身も心もツヅラであるツヅラのはずだ。


『…………魔物使い君、おおきに』


妖鬼の国の者特有の抑揚に胸を撫で下ろし、気にするなと微笑む。改めて見つめた彼の見た目は前までとは違っていた、鱗が首にビッシリと生え、鰓のような穴も空いている。眼球も前まで以上に飛び出て見えるし、鼻は低く口は突き出てきたように見える。

魚に似てきている。


『ツヅラさん……その、クトゥルフに何かされませんでしたか?』


『……クトゥルフ様は俺の体使い終わった後、ポーンと投げはって、そんだけ。しばらく待っとったら操作権戻ってん』


扱いが雑という苛立ちはあるが、心身共に拷問などは受けていないようで安心だ。健康とは言えないかもしれないが、無事ではあった。


「りょーちゃん! りょーちゃん、りょーちゃんっ……!」


兄が張った結界内に入る前から零は兄の腕の中でバタバタと暴れていた。


『零……』


「……っ、りょーちゃあぁんっ!」


結界内に入り、名前を呼び合い、手を握り合えば零は子供のように泣き出してしまった。


『零さん、目的は果たしました。僕の家に送りますね、何があるか分からないので国からは出ないでください』


返事を聞く前にカヤに二人をヴェーン邸に運ばせ、兄の頭を撫でる。


『おつかれさまにいさま、ありがとう。家に帰すからゆっくり休んで、もしクトゥルフのテレパシーが家や国の結界に影響を与えるようだったら兄さんと協力してみんなを守ってあげてね』


頭が微かに縦に揺れた。僕の隣に戻ってきていたカヤに再び運ばせ、翼を広げた。

服を破ることなく肩甲骨あたりから生えた翼は白く、頭の上に浮かんだ光輪は清く輝いていて、血のように赤い額の角は漆を塗ったような艶を見せている。爪先よりも長く伸びた白髪をかき分けて篦鹿の角が生え、黒く染まって腕に変わる。

ハスターが竜巻を起こしたことで雲が集まり、海水が巻き上げられている。取り込んだザフィエルの力を使えばその海水は驟雨として降り、シャルギエルの力を使えばその雨粒は氷柱に変わる。


『ハスター! 協力する、何すればいい?』


風を孕む黄衣の隣に浮かび、有効な手を尋ねる。しかし──


『…………殺せ』


──ハスターのアドバイスは単純過ぎて役に立たない。


『だからその殺し方を……ぅわっ!』


暴風が黄衣を山のような巨体の元へ吹き飛ばす。直接対決という訳か……追わなければ。


『ハスター待って、僕もやるから!』


有効打は教えてもらえそうにない、竜巻は雲を無理に動かしているから月は何とか見えている。翼を広げ、両手を突き出し、取り込んだオファニエルの魂を呼び起こす。


月光凝縮ムーンショット!』


翼を広げて受けた月の魔力を体内で収束、加速、そして撃ち出す。真っ直ぐにクトゥルフに向かった光線は彼の触腕を幾つか焼き切った。


『よしっ、いける!』


驟雨によってもたらされた水で剣を作り、雪による超低温でその剣を凍らせる。そしてその剣を掲げ、月光を剣の中で乱反射させる。月色に輝く剣を振り上げ、透過を駆使して懐に飛び込み、長方形の瞳孔に恐怖心を抱きつつも、クトゥルフの眉間に剣を押し込んだ。

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