第813話 正義の国たる所以

正義の国に囚われている獣人達の居場所は全て回った。まぁ、労働者や慰みものにすらされていない獣人達が居たとしたらと考えれば断言はできない。個人宅で飼われているかもしれないと思えば全てを回るのは不可能に近い。


『…………ん? あれって……』


兄達と合流する前に他にも勧誘できそうな集団はないかと街を歩いていると人集りを見つけた。いや、もう解散していくところだ。

誰にも知覚できなくなった僕は民衆と逆方向に歩き、人集りの中心だったモノを見下げた。ボロボロの死体だ。剥がれた皮に引き裂かれた肉──死体の周りに鞭が落ちていたから、鞭打ち刑だったのだろう。


『……さっきの』


見覚えのある髪型と髪色、そして服。死体になっていたのは先程逃がした女だった。子供にお菓子を食べさせて殺したとかいう……

捕まったのか? やはり家まで送るべきだったのか? 僕はまた間違えたのか?

死体を眺めて落ち込んでいると神父見習いらしい少年達がやってきて後片付けを始めた。


「早くしろよ、乾いたら面倒だろ」

「そんなこと言っても……汚いよ」

「我慢しろ、ちゃんとやらないと追い出されるぞ」


死体を死体として忌避するのではなく、腹が裂けて漏れた汚物や飛び散った血や肉片の片付けを面倒臭がっている。


「この人うちの教会で捕まえたんじゃないよな」

「何か……急に「私は罪人ですから罰を」って叫んだって」

「隣町で逃げた魔女が居たって聞いたんだけどさぁ……」


死体と肉片を専用の壺らしき物に入れ、デッキブラシでタイルにこびり付いた血などの汚物を擦る。そんな人の死の直後に行うには乱雑な掃除をする少年達の噂話から、女を死に追いやったのは僕だと気付いた。

正義の国に住んでいる以上、他国よりも『正義感』が強い。そんな者に故意でないとはいえ殺人を犯したとハッキリ伝えれば罰を求めるに決まっている。可能な限り逃げようなんて僕みたいな思考をする者ではなかったのだ、だから今死体になっている。


『……僕は、あなたの罪は死ぬほどのものじゃないと思って……生きて、償って欲しいって。娘さんも居るなら、そんな簡単に……こんな』


壺の中の死体に話しかけても無駄だ。


「こんなもんでいいかな」

「んー……多分大丈夫」

「鞭どうする? もう捨てる?」


鞭と掃除用具を一人で、壺を二人一組で運んでいく少年達。彼らも戦争で死ぬのだろうか。勧誘はできないのだろうか。


『……僕が欲しいのは平和なのに』


妻の笑顔と仲間の安全が欲しいだけなのに、対立する神性の元で生まれただけの者達まで殺すなんて、そんなの僕の望みとは違う。正義の国は放って天界だけに攻め入るべきだ、その方法を探すべきだ。

国に侵入しなければ出なかっただろう結論を胸に、兄とこの決意を共有するためにカヤを呼ぶ──が、雲の上から天使達が降りてきているのを見て行き先を兄の居場所から天使達の目的地に変えた。


『……教会。また、さっきの』


先程神父に招かれた教会だ。見習いの少年達も戻っている。陶器製の天使達は教会のあちこちを調べ回っている。


『この国での仕事は久しぶりだな……』


ぼうっと神の像を見上げて呟いているのはオファニエルだ。月を司る天使で、神力の他に月の魔力も操る戦闘向きの天使……僕に必要な力かもしれない。


「魔物使いの魔力が観測された、ですよね! 魔物使い…………因縁があります。絶対に捕まえましょう!」


やる気に満ちて長い黒髪を揺らしているのは十六夜だ。彼女とは友達だったのだが──殺そうとし合った仲だ、友人関係には戻れないだろう。


「では、何があったか教えてください!」


「……僕達はさっき戻ったばかりで」

「神父様は居たはずですけど……」


十六夜の質問に答えているのは髪を伸ばした中性的な美少年達、この教会の見習いだ。彼らに視線を寄越されたクソ野郎……神父は十六夜の視線から逃れるように顔を逸らした。


「神父さんですね、何があったか教えてください!」


「…………いや、その」


「何か怖い目にあったのでしょうか……でも! 教えてください、でなければ魔物使いを捕らえられません!」


ここまで敵視されているなんてショックだな。だが、十六夜が少し間の抜けた真面目な者だとは分かっていた、天使を敵に回せば加護受者も敵に回すのも分かっていた、そう、分かっていたんだ……だからショックなんて微々たるものだ。


「……魔女を罰しようとしたら、反発した者がいて……とりあえず混乱を避けるためにその者を連れて場を離れたんです」


あの娯楽じみた処刑にオファニエルも十六夜も何の疑問も抱いていないのだろうか。


「魔物使いの魔力が観測されたのはこの教会ですから、その反発者が魔物使いですね!」


「い、いや、あの……彼は、自分を天使だと……」


「天使様を騙るなんて許せませんね! 他には?」


「……ザフィエル、と名乗って──」


『ザフィエル? ザフィエルだって? 彼は確か酒色の国の襲撃部隊に入って……えぇと、帰ってこなくて……うーん、報告書をちゃんと読むべきだったな』


オファニエルが真面目な天使でなくてよかったと思うことは多々ある。それに助けられることも多い。これからも不真面目でいて欲しい。


「ま、まさか……脅されて利用されている?」


『魔物使いは顔の良い十代の男…………ザフィエルは美少年が好きだからなぁ……利用されているのがありえないとは言えない。とりあえず見た目を聞いてもいいか? 会ったなら見ただろう』


「あ、は、はい……白い髪をしていて、えぇと、妖鬼の国や温泉の国なんかで見られる結い上げ……? をやっていました。手に雨雲を浮かべて……一瞬溺れさせられて」


『…………ザフィエルって黒髪じゃなかったか? なんかこう……陰気な、気持ち悪ーい……いかにも子供誘拐してそう、みたいな』


なんだろう、すごく腹が立つ。今すぐオファニエルの頭を殴って反論したい。これはザフィを取り込んでいるから起こるものだろうか、困るな、勝手に感情を追加されては。


『でも雨雲となればザフィエルかマトリエルくらいのものだし……ふむ、まぁ、天使が見た目を変えるのはそう難しくはないしなぁ……』


「神父さん、溺れさせられたと言いましたが」


「あ、あぁ、平気です」


「それは見れば分かります。えぇとですね、魔物使いの魔力が観測されてから結構経ってるんですね? あなたは善良な正義の国の国民に危害を加えるような方が天使様だと信じ込んだんですか?」


神父の額の汗の粒が一気に増える。


「ぁ、いやっ……だって、羽とか、輪っかとか」


声も裏返っている。鈍感で間抜けな十六夜も不審に思うくらいの焦りようだ。


「天使様への信頼や理解が浅いようですね! 非国民ですよ! それとも、何か危害を加えられる心当たりがあったんですか?」


「そっ、そそっ……そんなわけないでしょう!? 私は善良な神父です、今の今までなんの戒律違反もしていない、加護受者だからって言っていいことと悪いことがあるだろ調子に乗るなよこのガキが!」


「え……?」


「あっ、いや……そのっ、ち、違います……」


目を丸くした十六夜は陶器製の天使達からの魔力反応報告を聞いていたオファニエルの手を引き、神父を指差した。


「あ、あの神父様、もしかしたら呪いか何かを受けたのかもしれません! 突然声色と口調が恐ろしく変わって……!」


『え……? 神父、魔物使いに何かされたか? 溺れさせられた……と言っていたな、他に変わったことは?』


あの程度の変化なら人間にはよくあるだろう。やはりこの二人は間抜けだ。


「あ、あの……」

「神父様、体に不調が」


「……っ!? お前達、何を……!」


神父は何かを言おうとした少年達の元に素早く走り、口を塞いだ。


『…………何だ? 不調? 言え、魔物使いによるものなら調査と治療が必要だ』


「い、いえ! この子達が心配性なだけで前から……その、持病みたいなもので!」


「ぷはっ……神父様何言ってるんですか!」

「ぷはっ……そうです、昨日まで元気だったじゃないですか!」


口を塞いだ手を剥がして少年達が訴える。僕は神父がそこまで隠したがるようなことをした覚えはないのだが。


『神父、離れろ。で? どんな不調だ?』


オファニエルは神父を少年達から引き剥がした。


「その……不能になりました」

「男性として……致命的というか」


『…………へっ? ぁ、あぁ、いや、うん……分かる、私は女性体しか使ったことがないし、加護受者も少女ばかりを選んできたが──』


それはそれで変態っぽい。


『──まぁ、一大事だな。でも魔物使いの仕業とは思えないし……ん? 待て、なんでそんな詳しく知ってるんだ?』


揃って首を傾げた少年達が口を開いた瞬間、神父が陶器製の天使達の隙間を抜けて裏口から外に逃げた。

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