悪趣味に遅れた顕在計画
第786話 美しい草原は焼け野原に
披露宴の二次会は最悪の形でお開きにしなければならない──いや、本当にそうなのか? 僕の仲間はルシフェルと関わりがない、他国からの客に僕の手駒の数は関係ない。
『……サタン、兄さん、ロキ、着いてきて。ルシフェルを駒にしに行くよ』
ライアーはサタンからルシフェルが封印されている緯度経度を聞き、空間転移の魔法陣を床に描き始めた。僕はその間にアルを抱き締めて頭を撫で、クラールが待つカルコスの隣に連れていった。
『カルコス、僕ちょっと急用でさ……アルとクラールお願いできる?』
『ん? ああ! もちろん! 良い土産を頼む!』
土産を用意できるような場所ではない、帰りにビスケットでも買って帰ろう。
『にいさま、ベルゼブブ、絶っ……対に喧嘩せずに、アルの隣に居てくれる?』
兄とベルゼブブは視線を交わし合い、同時に舌打ちをして目を逸らした。
『…………ヘル? 私を置いて行くのか?』
『クラールは絶対に連れて行けないし、両親同時に離れるのはよくないでしょ? ごめんね、アル、お願い』
ルシフェルにアルを近付けるのは嫌だ、そう馬鹿正直に言うよりもこう言う方がアルは納得してくれるだろう。
アルは不満そうに唸った後、僕の頬を舐めてカルコスと兄の間に挟まり、赤銅色の鬣に顔を埋めてクラールに擦り寄った。
『……すぐ、帰るからね』
拗ねた額を撫でると三角の耳が後ろに倒れる。その素直な仕草に愛しさを膨らませ、ゆっくりと後頭部に手を動かす。
一通り撫でたらアルから離れ、ライアーの元へ。
『頭領! どこ行くんや? 俺も行くで』
『あー……いや、いいよ、大した用事じゃないし。まだ飲みたいでしょ?』
『さよか? まぁ……大した用ちゃうんやったらええわ。気ぃつけてな』
ぽんぽんと僕の頭を撫でて酒呑は席に戻った。その寸前、サタンとロキとライアーの目を順に睨み、小さな舌打ちをしたのが僕には聞こえた。
『ヘル、行っていい?』
『……ぁ、うん、お願い』
酒呑の苛立ちの理由が、それを一瞬しか表に出さなかった訳が、分からない。困惑しつつもライアーが立体的に描いた魔法陣の中に入った。
光が溢れる。身体が浮かぶ。ホストクラブの硬い床ではなく、草原を踏みしめる。
『着いた。で、どこ? 邪神』
『俺様は邪神じゃねぇっての。えー、ここの地下なんだけど……』
ロキが指した地面には青々と草が茂っており、隠し階段だとかがある様子すらない。
『俺は術使って中入ったから、見ても分かんねぇと思うぜ。俺様ですら見つけるまで結構かかったし!』
跡を残すのはよくない、ロキにその術とやらを頼んで中に入るか。ぼうっと考えているとサタンが僕の脇の下に腕を回し、抱き上げて体を反転させ、スーツを破って龍の翼を生やし、僕を庇った──何から?
『……っ、てぇ……何、だよっ、てめぇ!』
異常な熱とロキの痛みに喘ぐ声、そして背中に食い込むサタンの爪だけが僕が感じられる全てだった。
『──灰色の燐光! 悪魔、ヘル頼んだよ!』
ライアーの魔法によって気温が元に戻り、サタンは僕をひっくり返してまた胴に腕を回した。ようやく開けた視界には草原ではなく荒野が映った。
『……いかいのものが、ルシフェルのふういんに、てをだした。もんどーむよーで……たっけい!』
幼い声に空を見れば巨大な白い翼を広げた金髪の子供が──ミカエルが居た。彼か、彼女か……便宜上彼としておこう、彼は自分の身長を優に超える大剣を振り上げ、先程食らっただろう攻撃による火傷に呻くロキに向けて振り下ろした。パーカーのフードを被った脳天に大剣の刃が触れ、ロキは簡単に両断された。ぱっくりと開いて花が咲くように倒れた身体の断面から血肉は現れず、代わりに溢れたのはカラフルな紙に包まれた飴や可愛らしいクマのぬいぐるみだった。
『……へっ?』
剣先を地面に触れさせて、宙に浮いたまま赤い目を見開くミカエルの背後には火傷すらない全くの無傷のロキが浮遊していた。
『やっほ、かわい子ちゃん。ピニャータはお好き?』
『……っ、ばかに、するなぁ!』
ミカエルの翼に光が宿り、白い炎がロキを包む。振り返ったミカエルは地面に落ちたロキの焼死体だと思われた物がお菓子を詰めた袋だと気付いた。
『キャンディクッキーは嫌いかよ、じゃあ何がいい? お子様といえば……こうか!』
ロキは再びミカエルの背後に回っていた。ミカエルは今度は攻撃の前にまず振り返ったが、その目に映ったのは紫のパーカーを着た青年ではなく派手な化粧を施した滑稽なピエロだった。
『はぁーい? 風船欲しい?』
『このっ……おとなしく、ばつをうけろ!』
大剣がピエロの胴を貫くと何故かピエロの首がぱっくりと切れて、断面にあったバネが伸びてびっくり箱のようにミカエルに頭突きを仕掛けた。しかし大した威力ではなく、ミカエルは痛みすら感じていない。
『なんて言うか……悪趣味だね』
『……倒す気はなさそうだな。加勢したらどうだ? ミカエルは厄介だ、出来れば今潰しておきたい』
『おっけー、じゃ、ヘル。魔力お願いね』
サタンは僕の胴に腕を巻いたまま数歩後退する。骨と皮のコウモリにも似た屈強なドラゴンの翼で僕の顔から下を覆う──もしかして守っているつもりなのだろうか。
『根っこまで焼いてくれたおかげで土が扱いやすいよ……さ、死ね』
ライアーが指を鳴らすとミカエルの足元の土が抉れ、隆起し、無数の触手が形成された。巨大なタコやイカが地下に埋まっていたと考えさせるようなその触手はミカエルの剣に絡みつき、簡単に燃え尽きた。
『てめぇのが悪趣味じゃねぇかお子様にんな品性下劣な攻撃仕掛けるなんざよぉ!』
『聞こえてたんだ? っていうか何さ品性下劣って!』
いつの間にかライアーもロキのように自由自在に宙を舞っており、触手に妨害されつつのミカエルの剣戟を避けていた。
『見たところ火属性だし……じゃあ、水だね』
ミカエルを囲むようにして立体的な魔法陣が現れ、魔力によって生成された水が魔法陣から溢れ出す。水は容器もないのに金魚鉢のような形に固まって宙に浮き、ミカエルを閉じ込めた。溺れさせるつもりだろうか。
『お前水属性? 俺こっちの世界に縛られた時は火なんだけど』
『いや、兄属性。型的には土かな?』
水の中でミカエルが鈍重な動きでもがく。小さな子供の見た目をしてそんなふうに溺れられては心が痛む。思わず目を逸らしそうになったが、ミカエルの真上の雲が綺麗な円を描いて消えて陽光が降り注ぐ光景に目を奪われた。
空を覆う灰色の雲がミカエルの頭上だけ消えて陽光がミカエルを包む──異様だ。僕達にとってよくない何かが起こっている。
『……あ』
巨大な白い翼が高温の白い炎に包まれて、より巨大な翼になったかのように燃え上がる。水は一瞬で蒸発し、翼が揺れる度に羽根一つ一つから落ちる白い火の粉は既に焦げているはずの地面に燃え広がった。
『サタン、あれ……』
『天界からの神力の供給量が上昇しているようだ。目が眩むな……美しい』
僕の胴に回ったサタンの腕、骨ばった手に黒い鱗が生える。爪が伸びて黒く染まり、浅黒い皮膚が鱗に覆われていく。
『流石は神に似たる天使よ……熱く、眩く、美しく────何よりも余の怒りを煽る……』
僕を庇うための翼が黒い炎に覆われ、僕の皮膚を焼く。慌てて痛覚を消し、彼の腕の中で身をよじって彼と向かい合い、背伸びをして鱗の生えた頬に手を当てた。
『魔物使いの名の元に命令する、怒りを抑えろ!』
伸びて尖っていく口元に、裂けていく口の端に、鋭い牙に代わっていく歯に原始的な恐怖を覚えつつ、黒い線のような細い瞳孔に向けて命令を送る。しかし、サタンは首を振って僕の手から逃れ、僕を後ろに投げた。視界が黒く染まる。この黒は瞼の裏ではない、サタンの怒りと憎悪を顕す黒炎だ。
『うわっ……ぁー、もうどうしようかなこれ』
目の前に黒い手が広げられる。ライアーが空間転移で僕の前に来たのだ。僕はその手を掴んで立ち上がり、咆哮を上げる黒竜を見据えた。
『ルシフェル? を手懐けるとか言い出したのあの悪魔だろー? はぁ……まぁ、あの天使なんとかしなきゃってのは分かるけど』
『俺もう帰っていい?』
いつの間にかロキも僕の隣に来ていた。
『ダメに決まってるだろ! 自爆してもいいからアレ何とかしてよ』
最強の天使に最強の悪魔、僕が知る限り最低の邪神を型にした僕の兄に、アース神族最悪の悪神──役者が揃うなんて言葉じゃ収まらないな。
『ヘル、どうする?』
白い炎と黒い炎のぶつかり合いを背後に、ライアーが首を傾げる。
『一帯の土全部使ってミカエルを押さえ込んで。サタンは分身だから長持ちしないと思うから……』
そう言った直後、黒竜が大剣に吹き飛ばされる。翼をバタつかせ、尾で地面を抉って立ち上がるも、その顎に大剣の側面がぶち当たり、再び倒れる。
『……多分そろそろサタンは魔界に戻る。兄さんは代わりにミカエルを抑えて。ロキ、僕とロキの偽物を作って適当に高みの見物してるようにして、僕をルシフェルの檻の中に入れて』
『門番は倒さずに目的の物だけ頂くってわけか? 嫌いじゃないぜ』
『よし……じゃあ』
黒竜の首が切り落とされ、黒炎に変わって消える。何かに抱き締められた感触と耳元で囁かれた感覚を僕に与えて、黒竜は影すら残さずに消えた。
『……やって!』
土がめくれ上がる。視界が塞がったかと思えばロキに腕を掴まれ、次の瞬間には真っ暗闇に立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます