第771話 後始末はしっかりと

深夜、ヴェーン邸、静かな暗闇の中で僕は起き上がった。ぐっすりと眠っている妻子から透過を使って離れ、一階に降りる。


『…………にいさま、来て』


ローブを羽織り、靴を履き、玄関の扉を眺めながら呟く。


『神降の国の病院、猫の獣人が居る部屋』


後ろに立つ者の気配を感じたら振り向かずに呟く。すると暗闇に眩い魔法陣が構築され、浮遊感を味わう。再びの暗闇──いや、微かに窓から月明かりが入っている。


『……死にかけだね。これ治すの?』


鬼の力を使い、暗闇に目を慣らす。そうすれば真っ暗な病室で眠るミーアを見つけられる。点滴に呼吸器……全く乱れていない布団から見るにまだ目を覚ましていないだろう。


『記憶を改竄して欲しい』


『治さなくていいの?』


『うん、刺したのは僕だから』


兄にはミーアを刺したことを話してもいいだろう。誰かに漏らすことはないし、そのことで僕を軽蔑したりもしない。


『ふぅん? なんで?』


『ムカついたから』


『ふぅん……で、どう記憶弄るの?』


苛立って刺したのは事実だ。その他に理由はない。復讐だなんて大義名分も要らない。兄にそんな取り繕った理由を話す必要は無い。


『この傷の理由、それに、僕とアルに関する記憶』


『分かった』


ミーアの頭部の上に魔法陣が浮かぶ。眩いそれから目を逸らして窓から空を見る。


『……この子君のこと好きだったんだね』


『月が見えないね……』


今日は新月ではない。雲が隠してしまっているのだろうか。


『あはっ、全然興味無いんだね。記憶消去終わったよ、次に君を見たら初対面だと思うし、どうして病院に居るのかも分からない。きっと目を覚ましたら傷のショックで刺された時の記憶が飛んでるって思われるね』


月のない夜空を眺めているうちに記憶処理が終わったようだ。空間転移の魔法陣を構築する兄の隣で、横目でミーアを見る。


『…………ごめんね』


君を愛している人も居るのに、君の未来を潰す覚悟もないのに……でも、死んでないんだからマシだろう? 君はクラールを殺したんだ。なかったことにした時間とはいえ罪は消えない。僕が君を刺した罪も消えないけれど、僕は罪悪感を抱かない、明確な罰すら与えられない、自分への違和感を抱えて生きていくことが僕への罰だ。それでどうか手打ちにしてくれ──そんな意を含ませた自分勝手な謝罪。


『ただいまー……それじゃ、にいさま。また明日』


『うん、いつでも頼ってね』


希少鉱石の国に送った三体の分身の操作もしているだろうに、兄の様子は前と変わらない。相変わらず化物じみた優秀さだ……あぁ、今は本当に化物だったか。

透過で自室の扉を抜けるとベッドの上に妻子は居なかった。カーテンを開けて月明かりの元に座っていた。実体化して近付くとアルが振り返る。


『ヘル、何処に行っていたんだ?』


『ん……ちょっとにいさまに呼ばれて。ほら、希少鉱石の国の件で』


『……そうか。クラールが目を覚ましてしまってな、あやしていたんだ。ついさっきまで吠えていたんだぞ』


アルの隣に座ってクラールを抱き上げる。


『……わぅ?』


僕の手の匂いを嗅ぎ、舐め、膝の上でクルクルと回ってから丸まって寝た。


『おとーたぁ……おやしゅみー……』


僕が離れたから目を覚ましてしまったのかななんて自惚れつつ窓を見上げる。先程まで雲に隠されていた月が静かに輝いていた。


『月……』


『あぁ、つい先程まで隠れていたな』


『…………綺麗だね』


『あぁ、貴方の隣だと格別良い』


僅かに欠けてはいるけれども、ぼうっとした頭にはぴったりの燐光だ。アルにもたれるとアルも頭を傾けて僕の頭の上に乗せた。


『…………何か、満月に見える……』


眠る前の閉じかけた瞳に月の光がぼやけて丸く見えた。




翌朝、太陽に照らされて目を覚ます。僕達はカーテンを開けたまま窓の前の床に座って眠っていた。すっかり足が痺れてしまっていたので、朝食のためにダイニングに行くのには難儀した。


『おはよー……今日は人居ないね、みんなどこ?』


『おはよう、お兄ちゃん。ご飯もうちょっと待ってね。何か最近メルさん王城に泊まってるし、帝王さんも王城辺りうろうろしてるんだよね。ご飯作る手間減っていいよ』


メルが王城に泊まっているというのは初耳だ、呪いに何か問題でもあったのだろうか。ベルゼブブが王城辺りに居るのも呪い関連なのだろうか。朝食を食べたら行ってみよう。


『行ってきまーふ!』


『ぁ、セネカさん、行ってらっしゃーい……随分急ぐね』


『今日鍵番なんだってさ』


セネカは生卵をハムに包んで流し込み、焼く前のトーストを咥えレタスを二枚鷲掴みにして走っていった。レストランまでの道で転ぶことに夕飯のデザートでも賭けておこうか。


『……グロルちゃんは?』


『そのうち来るんじゃない?』


グロルが朝に起きていないのはそう珍しいことでもないが、アザゼルとの統合がいつ終わるのかは気になるところだし、顔は出来る限り見せて欲しい。


『羊の悪魔さんはずっと寝てるし、ライアーさんとにいさまはダイニング、他に聞きたい人は?』


フェルは少し呆れた様子でフライパンを持ったまま振り返った。料理中に話しかけ過ぎたかな。鬼達と獣達はホストクラブに泊まり込みだろうし、後居場所が分からないのは──


「おはよー……ふぁぁ、眠ぃ……」


──ヴェーンだったが、今来た。半分とはいえ吸血鬼、朝に弱くて当然だ。


『あれ、起きてきたんですか。ご飯要ります?』


彼が朝食の時に居るのは珍しい。フェルは彼の分の朝食を用意していなかったようだ。


「んー、いや、トマトジュースでいい……」


『じゃ、それ淹れますね』


「お構いなくぅー……ふわぁ、ぁー……だりぃ」


『お兄ちゃん、ご飯できたよー』


朝食を受け取り、もそもそと食べ始める。アルは床、クラールは椅子で食べているし、二人とも貪るような食べ方だから話せない。フェルはトマトジュースを用意しているしヴェーンは席が離れている上に机に突っ伏しているし──人が居るのに静かな食卓というのは寂しいな。


『……ねぇ、にいさまと兄さんよく一緒に居るみたいだけど、魔法の研究でもしてるの?』


『知らない』


会話のキャッチボールが出来ない、僕によく似ている。いや、する気がないのか? トマトジュースは机に置かれたが調理器具の洗浄を始めた、忙しい朝はまだ終わらないようだ。にいさまもフェルも僕に気を使って僕の前では食事を取らないし、調理器具を洗い終えたら他の家事を始めるだろう。兄弟の楽しい会話は期待出来ない。


「…………なぁー、魔物使いー……」


会話を楽しめなかったのでトーストの耳部分の食感を楽しんでいると、離れた席に居たヴェーンがトマトジュースを持ってふらふらと隣に移ってきた。これで会話が出来る。


『何? ヴェーンさん』


「こっち向いて目ぇ見開いてくれ」


『……ぁ、うん』


目が見たいだけか。そういえば最近血は渡していたが目を見せてはいなかったな。彼が眼球蒐集家だということも忘れかけていた。


「はぁっ……綺麗……」


寝惚けているのか何なのか、人の瞳を見てトリップしないで欲しい。それでなくても血を飲んだ後のぼんやりとした彼を見るのは微妙な心持ちなのに。


「あぁ……もう何か、これアレだ、崇拝だわ、めっちゃ綺麗……日に日に増してくな……」


『……あんまり見られると恥ずかしいんだけど。もう僕再生できるし、えぐってもいいよ?』


「お前のは魔力あっての輝きだから取ったら鈍くなるんだよ!」


そういえばそんなこともあったな。


「…………あっ、目ぇ閉じるなよ」


『無茶言わないでよ、乾くんだからさ』


足を刺されたり目を抉られたりしたのに、普通に仲良く出来ている。僕のこういうところは僕自身も不思議だと思う。まぁ、近頃はアルもヴェーンを警戒しなくなったし、過去のことは水に流そう……吸血鬼って流れる水が苦手なんだったか。


『……ヴェーンさんって川に漬けたらどうなるの?』


「え……? 溺死……?」


吸血鬼的な意味での苦手ではないようだ。泳げないのかな? 吸血鬼はよく半吸血鬼を馬鹿にしているが、弱点の弱点らしさが薄まるのは半吸血鬼の強みだと思う。


「何でそんな急に恐ろしいこと言い出すんだよ」


『吸血鬼って川越えられないって聞くし……』


「あぁ……吸血鬼的な弱点か。確かに川は……」


『越えられないの!?』


「なんでちょっと嬉しそうな顔すんだよ。ヒュンッってするけど越えられるわ」


そりゃ自分とは違う生態の生き物と意思疎通ができるなら好奇心が湧いて嬉しそうな顔にもなってしまうだろう。しかし不快にしたのなら謝らなければ。


『ごめんごめん……ひゅんって何?』


「なった事ねぇか? ほら、玉だよ玉」


『あー……高い所とか』


「いや俺はそれ平気だな」


吸血鬼は蝙蝠のイメージがあるし、魔物の身体能力があれば高所にも恐怖は抱かないのか。


『自力で飛べるようになってからは割と慣れてきたけどさ、その前……人間の頃とかアルに乗る度に……』


『朝食中に下の話をするのはやめてもらえないか!』


『うわっ、ご、ごめんごめん……』


勢いよく頭を上げたアルがぶつかってガタッと椅子が揺れた。後頭部を思い切り打っていたが大丈夫なのだろうか。


『全く……これだから男は……貴方だけは違うと思っていたのに』


「男兄弟に挟まれてんだったらちょっとくらい慣れてろよ」


『慣れているから嫌なんだ! あんな低俗な猫共と違って私のヘルは純粋な良い子だ、下世話な話を振るな蝙蝠め』


「……お前夫っていうかコレ扱い息子だろ」


確かに子供扱いはされるけれど、私の子……なんてよく言われるけれど──反論が思い付かない、コーヒーを飲んで無視しよう。

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