第772話 兄達の謎

朝のコーヒーを飲み終え、底に溜まった砂糖をスプーンで掬って食べる。コーヒー風味の甘さとザリザリとした食感がデザートにちょうど良い。

朝のリラックスタイム──になるはずなのだが、ヴェーンが無言で見つめてくるためにリラックス出来ない。


『…………何? ヴェーンさん』


用がないなら見るな、そんな感情を含ませて声を低くする。


「……綺麗だなーって」


『…………見られてると落ち着かないんだけど』


「いやお前が落ち着くかどうかは俺に関係ねぇよ、俺が興味あんのお前の目だけだし」


何気に傷付くことを言ってくれるな。そういえばヴェーンに目を奪われた後、色々と落ち込んで僕の価値は右眼だけだったんだとか思っていたが──まぁ、今でも大して変わらない。僕の価値は魔物使いの力や『黒』から奪ってしまったものだけ、性格などはむしろマイナスになっていると思っている。


『……血、飲む?』


襟を引っ張り、首筋を指でトントンと叩く。


「要らね」


『…………そう。僕、兄さんと話したいことあるから、向こう行くけど』


「いってら」


軽く片手を挙げて──何だそれは挨拶のつもりか? 何だろう、モヤモヤする。ヴェーンにとっての僕は本当に瞳だけなのか? 血すら興味が無くなっているのか? まぁ、ヴェーンからの興味なんてそんなに要らないけれど──


『ヘル、待て、私も行く』


『おとーたぁ、まちぇー』


椅子から立ち上がるとアルも立ち上がり、足にクラールが抱き着く。フェルに手拭いを濡らしてもらい、血や肉のカスで汚れたアルの口周りを拭う。


『む……ぅー…………そんなに付いているのか?』


『うん、すごいよ』


『…………はしたないな。幻滅か?』


出会った時からずっと食事の度に顔を汚していたくせに、何を今初めて口を汚したような言い方を。


『うぅん、全然。むしろ可愛いよ、生肉じゃなかったら舐め取りたいくらい』


『なっ……! もう、馬鹿……』


手拭いをフェルに返し、切なげな顔をしているアルの顎を持ち上げる。親指で唇をなぞるとアルは目を閉じた。


「朝っぱらからイチャつくなうぜぇ」


ヴェーンに頭を蹴られてアルの鼻筋に顔をめり込ませた。


『何すんだよ!』


「人前でイチャつくなってんだよクソうぜぇ! 俺ぁ婚期逃してる上にクソ淫魔に前後貞操奪われててめぇらガキ共家に抱え込んでんだぞ!? ちったぁ気ぃ使えクソガキが!」


『蹴らなくてもいいだろ! アル、大丈夫? 痛くない?』


『…………私は平気だ』


痛みはなかったようだが、かなり落ち込んでいる。恥をかかせてしまったかな……


「クソっ……髭も生えねぇガキのくせに俺より先に結婚して子供作りやがって……!」


ただの僻みで人の後頭部を蹴らないで欲しい。


『結婚したいならすればいいじゃん』


背を向けたままのフェルの呟きはヴェーンに深く刺さったようで、彼は黙り込んで机に突っ伏してしまった。


『……ど、独身貴族もいいと思うよ?』


後々面倒臭そうだし、とりあえず慰めておこう。


「うるせぇえっ! お前分かんのか、家族居ねぇのに家がずっとうるせぇこの感覚が!」


集団で強制的に居候した身だ、何も言えない。


『…………婚活、する?』


「今更できるか!」


今朝は妙に機嫌が悪いな。ついさっきまでは僕の瞳を見てご満悦だったくせに。酒でも飲んだか?

しかし今更とは不思議なことを言う。若そうに見えるのに……まぁ、ダンピールだ。人間の感覚とは違うのだろう。


「純血じゃねぇし純潔じゃねぇし淫魔トラウマだし……」


淫魔に対して苦手意識があるのはアシュのせいだろう。確かにメルやセネカと親しげにしているところはあまり見ないな。


「……覚えてるか? あの天然淫魔、初対面で俺の羽根引きちぎりやがったんだぞ?」


『その節は……僕も色々ごめんなさい』


トラウマはアシュからのものだけではないのかもしれないな。


「あぁもういいもういい、とっとと行けや」


誰のせいで留まっていたと思っているんだ。

リビングに行くため、足に抱き着いたクラールを剥がそうとすると、クラールは後ろ足で立って前足を広げた。


『おとーたぁ、ぁっこぉー!』


そんなに言われては抱き上げない訳にはいかない。


『おとーたん、ぁいしゅきー』


扉を開けるため片手で抱えていると、クラールは僕の腕に頬を擦り付けながらそう言った。

膝がガクガクする……へたり込んでしまいそうだ。何て可愛いのだろう。


『……ヘル、乗るか?』


『い、いや……大丈夫、ありがとう』


アルに憐れみの目を向けられたのでしっかりと立って歩く。リビングの扉は少し開いていた。


『……でさ、兄さん……』


そこから兄の声が聞こえ、ドアノブに伸ばした手が止まる。


『……ヘル?』


『しーっ……ちょっと静かに』


リビングに入ろうとするアルを下がらせ、その背にクラールを乗せる。僕はそっと扉の隙間からリビングを覗いた。


『希少鉱石の国で採れる魔石、あれは魔力を溜め込む性質があると言われてるけど、実は違う。スメラギって研究者がこっそり教えてくれたんだけど……ちょっと兄さん、聞いてる?』


『…………一応』


『一応じゃダメ。こっち向いて。ちゃんと目を見て話そうよ、常識だろう? 兄さん』


兄がライアーのことを「兄さん」と呼んでいる……!? 危ない、驚きで叫ぶところだった。これは観察しなければ、兄とライアーが仲良くしてくれているのなら魔法などの面でとても有用だ。それに国家や戦術的な意味だけでなく、僕の心労も減るだろう。


『魔石はあらゆるモノを溜め込むんだよ。魔力だけじゃない、神力も溜め込むし、単純な熱エネルギーも溜められる』


兄の話も普通に興味深い。


『特殊な加工を施せば運動エネルギーすら溜められるかもって言ってて、それは研究段階らしくて、協力してくれないかって言われたんだけど、どうしようかな?』


『すればぁ……』


ライアーは鬱陶しそうな顔と態度だ。一応兄と目を合わせてはいるが、心ここに在らずと言った具合だ。


『希少鉱石の国に設置した軍事施設……まぁ軍備なんか欠片もないんだけど。僕の分身の待機用の建物の地下に魔石の研究施設作っててさ、そのスメラギって人が研究協力してくれる……っていうか合同研究? したいって。器具とかもくれるみたいだし、魔石に関しては素人だから専門家の知識欲しいし、是非招き入れたいんだけど、スメラギって人施設に入れていいかな。弟の友達だとか言ってるし……何か変だけど人間みたいだし、大丈夫だと思うんだけど』


兄にはスメラギが人間に見えているのか。まぁ、取り憑いているとはいえ人間の身体には違いない。グロルとアザゼルのような関係とは違って、スメラギに在るのはスメラギの魂な訳だし。


『勝手にす……待って、スメラギ? それって…………あの化物!? ダメだよ、絶対ダメ! 多分何か企んでる。絶対入れちゃダメだよ』


『化物……? 人間じゃないの? 人間にしか見えないけど』


『取り憑いてるんだよ! そりゃ思念薄ら乗ってるだけだから分かんないだろうさ! ボクが分からなかったのにキミに分かるわけない!』


思念が薄ら乗っているだけで人の身体をああまで作り替えてしまうとは、ハスター恐ろしや。

なんてふざけてる場合じゃない。そろそろ入ろう。


『でも……ぁ、弟ー、ちょっと聞いて欲しいんだけどさ』


扉を開けると立ち上がっていたライアーはソファに座り直し、笑顔を浮かべた。


『スメラギさんに取り憑いてるのはハスター、僕の友人。羊と劇を嫌わなければ多分温厚だし、割と平和主義者っぽい。入れていいよ、研究進めて』


『あれ、聞いてた?』


『ちょっとだけだけどね。にいさま……兄さんのこと兄さんって呼ぶようになってたんだね……何かあったの?』


兄の顔からいつも通りの自信ありげな笑みが消えていく。


『え…………嘘、そこから……ぁ、いや……その…………ぼっ、忘却まほ──』


『はい愛のない体罰!』


ライアーが兄の頭を引っ叩き、手に浮かんでいた魔法陣を握って消す。頭を叩く必要はなかったのではないか。


『……ヘル、君の記憶を消させるような真似はしないから安心して座っていいよ。フィナンシェあるよ』


『わぁ……金の延べ棒みたーい』


促されるままにソファに座り、隣に座らせたクラールにフィナンシェを与える。アルの口元にも持っていたが顔を背けられたので自分て食べよう。


『……待って兄さんにいさま溶けてない!?』


『あぁ、脳にダメージ与えたからね』


『酷くない……? え、大丈夫なの?』


『大丈夫だし大丈夫じゃなかったら治癒魔法かけるよ』


本当に愛がないんだな……まぁ、溶けてると言っても表面が水っぽくなっているだけだし、多分大丈夫だろう。


『……まぁ、それはいいだろ? 本題だ、ヘル』


『ぁ、うん……』


僕とライアーは同時に口を開いた。


『スメラギは危険だ、今すぐ付き合いをやめなさい』

『にいさま何で兄さんを兄さんって呼ぶようになったの?』


互いに互いの返事はせず、無言の時が流れる。クラールがおかわりを要求するまでリビングはアルが僕の膝で眠り始めるくらいに静かだった。

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