第700話 神父の決断

僕はツヅラの車椅子を押してナイに当てつつ零の前に横付け、襟を掴んで自分の顔に引き寄せた。


『絶対聞いちゃダメです神父様! ナイがまともな取引持ちかけるなんてありえません、生贄だとかその時点でダメなのに相手はナイですよ!? 後で絶対ツヅラさんも似たような酷い目に逢います!』


『……せ、せや零、分かっとるやろ? 零は賢いもんな……こんな話あかんて、分かっとる……』


『酷い言いようだね、ボクは慈悲深い神父様、誰よりも優秀な神学者様、何でも出来る邪神様だよ?』


零の表情が分からない。鳥を模したマスクを奪ってしまいたい。けれどそんなことをすればこの場は冬の雪山よりも寒くなる、そうなればクラールが危険だ。

零は僕の手を優しく剥がし、ツヅラの乗った車椅子を丁寧に押しのけ、マスクの嘴が触れるくらいに近くナイと睨み合う。


「……零はねぇ、りょーちゃんを助けられるなら何でもやるよ」


『零! やめ言うてるやろ!』


『神父様! ダメです、絶対共倒れですって!』


ナイは聖人のような微笑みをより深く美しくして、零のマスクに両手を添える。


『あぁ……最高だよ零君。さぁ、受信感度を上げてあげる……』


零はその手を振り払った。


「……りょーちゃんが助かるなら何でもするよ。でもねぇ、零は零を捨てる気はないんだぁ」


『ふふっ、それもイイ! 人間らしい……! 愛を謳う神父だろうとこの程度!』


断った……という解釈でいいのか? 零はナイ話に乗らない決断をしたのか?

混乱する僕をよそにツヅラは歓声を上げる。


『……さて、じゃあ、親友に見捨てられた可哀想な竜一君? 壊れよっか』


ナイがツヅラに手を伸ばす──だが、その手は零に掴まれる。


『ん……? 零君、気が変わった?』


「……氷固、砕けろっ!」


浅黒い肌の手が彫刻に変わったかのように固まったと思えば、零がその手首を強く掴んで砕いた。


『……っ! キミ、何やったか分かってる?』


砕けて落ちた手の破片の断面は確かに赤い、だが血は溢れない。凍っているように見える。手首を奪われたナイの腕の断面からは血が溢れていた。


『全く親不孝な子達だよ! 誰が面倒見てやったと思ってるんだか。竜一君、キミに名前をあげて変身の仕方を教えたのは誰!? 零君、キミに勉強を教えてやったのは誰!? 誰のおかげで天使の加護まで与えられるくらい目立つ優秀さを得られたと思ってるの!?』


「感謝はしてるよぉ、ぷーちゃん。でもさぁ、それとこれとは別だよねぇ。それにぃ、ぷーちゃんのことを親だなんて思ったことはないよ」


急激に周囲の温度が下がる。手先が自然と震え、歯がガチガチと音を立て始めた。自分を抱き締めるようにして気温からの干渉を遮断し、氷で剣を作り出した零の邪魔にならないようツヅラが乗った車椅子を引っ張った。


『治癒……さ、零君、人間如きじゃボクをどうこう出来ないって教えてあげる!』


手首を再生させると無数の魔法陣を周囲に浮かべる。僕は刀でツヅラと人形の繋ぎ目を切って、生首を抱えて飛び退いた。それと同時に国王が見覚えのない神具を呼び出しながら零とナイの間に割り込む。


「ここでやり合ってもらっちゃ困るんだよなー」


『……ん、出力調整ミスったかな』


盾らしいその神具は魔法陣から放たれた光線全てを止め、零を守った。


「国王様? ありがとう……今のは礼を言うよ。でも、下がっててもらえないかなぁ……」


「ここでやり合われちゃ困るんだって。で、邪神様……とか言ったな、本当に正義の国のVIPなのか?」


『ん? うん、ぶいあいぴーぶいあいぴー』


「……もし、ここで戦闘が起こったって知られたらそれだけでやばい。死んだり怪我したりなんてもっとやばい。神父どの、個人的な喧嘩にこの国を巻き込む気か?」


「分かったよぉ……じゃあ、場所を変えるっ!」


零は国王を押しのけて盾の前に上体を突き出すとナイの胸に手を当て、巨大な氷塊を作り出してナイを吹っ飛ばした。


「このデカいのだけでも迷惑なんだけどなー……獣人は危機察知能力高いからもう全員逃げたと思うけど……ぁー、どうしよ、面倒臭い……」


ナイを追って走る零には何も言わず、氷塊を眺めてただ肩を落とす。国王はナイとの戦闘には手を出さない、いや、出せないだろう。なら零の援護は僕がやらなければ。


『神父様! ナイは殺すとまずいんです! 手足落として喉潰すくらいで止めてください!』


『おっそろしいこと言いよるわ……』


ボヤくツヅラを抱えて忠告を叫びながら零の元に走る。無数の氷柱を弾丸のように撃ち、その全てを結界に止められる零には疲労が見える。明らかに動きが鈍っている。


『あかん……魔物使い君、零止めたって。呪い逆流させて出力上げとる、あんなんやったら死んでまう!』


『分かりました……えっと、ぁ……小烏! 峰打ち!』


刀を反対に持ち、刃では無い方……峰で零の後頭部を殴る。走ってきた勢いもあってかなりの威力だったはずだ。


『…………躊躇あらへん……怖っ……』


刀を影に落とし、倒れる零の胴に腕を回す。左手に生首、右手に神父……絵面としても重量としても中々のものだ。


『待ってよ、まだその子は必要なんだって』


魔法陣が目の前に現れる。避けきれない──だが、零を翼で庇うことは出来た。


『……あれ、あぁ……そっか、キミに名前横取りされたんだっけ? 天使で精霊で鬼で魔物使いで……? てんこ盛りだねぇ』


右の翼が燃えて半分程炭になってしまった。背中や肩辺りの皮膚も同じく黒焦げだ、動かないし痛い。


『ま、魔物使い君……? 平気? やないわなぁ。もうやめ、俺渡したらええんやから、魔物使い君がそんなんやらんでええんやって』


『黙っててくださいよ……あなた、渡したら……またあのタコに会わなきゃならないっ……! あんな痛みも、悪夢もっ……もう懲り懲りなんですよ』


クトゥルフの信奉者としてのツヅラと違いがあり過ぎる。ツヅラへの怒りも恨みもあったのにそれは今の彼にぶつけられない。おかげで苛立ちが溜まる。


『やっぱり火ってダメだよねー、氷相手ならいいかなって気もしたんだけど。キミが相手なら……そうだね、透ける気がないなら電撃とかどう?』


『……っ、る、さい…………うっとぉしい……!』


零とツヅラを抱えているせいで両手が塞がってイライラする。焼け焦げたせいで動かなくなって痛みと熱をいつまでも与えてくる背中や肩周りに腹が立つ。


『痛いっ、熱い、寒いっ…………全部、全部っ、全部! お前が来なきゃ何もなかったのに!』


『……雷槍』


無数の魔法陣から雷の性質を持った力が放たれる、僕には支配出来ないものだ。ナイも一応は神性だから魔力ではなく神力なのだろう。網膜を焼くような輝きは僕の眼前に展開された結界に阻まれる、ローブに仕込まれた頑丈なはずの結界は容易く消える。しかし、ナイがローブの魔法に干渉して解除するその一瞬で、苛立ちに満ちた僕の魔力を全て受け取ったカヤがナイの喉笛を食いちぎった。


『………………ぉ? き、消えた? 助かったん……? 死ぬか思た……』


雷槍という名の魔法は消えた結界から僕に届く前にナイが絶命したことで消えて、僕の前髪に静電気を与えてふわりと膨らませただけに終わった。


『…………ぁーあ、殺しちゃった。どうしよ……』


得意気に鼻を鳴らして擦り寄るカヤの向こう、噴き出した血は色を変えて泡立ち、異空間との門となって鉤爪が顕れる。

すぐに全体像を拝むことになるだろうナイの別の姿、これを倒すのは多分不可能だし、押し返すのも大きさの差で無理がある。

何より、憤怒に満ちた魔力をカヤに全て吸われた僕はもうやる気がなくなっていた。

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