第701話 陶器の軍勢へ

咆哮を上げる顔の無い巨大なモノを見上げる僕の前に黒く細長い影が立つ。彼はナイの巨大な顕現を包むように立体の魔法陣を描き、ナイを消してしまった。


『…………兄さん?』


僕の呼び掛けに振り向く黒い青年。肌も、目も、髪も、何もかもが黒く、そして美しい。無表情の彼を眺めていると寒気を覚えた。


『……ヘルぅうっ! 無事!? 無事だね、あぁ良かった、ごめんね、お兄ちゃん最近夢弄っててさぁ! ごめんねごめんね寂しかったよねぇ!』


神学者を名乗り、たった今僕が殺したナイと全く同じ見た目をしたライアーは僕に抱き着いて泣き喚いた。崩れた表情と仕草はナイらしくなさを教えてくれて、ようやく安心した。


『ん……? うわっ…………ヘル? やっちゃったものは仕方ないけどもう少し隠す努力をしようね?』


ライアーはそう言ってツヅラを持ち上げる。


『あれ、瞬きした?』


『ごめん兄さんこの人まだ生きてるんだ』


手に浮かんだ魔法陣に嫌な予感がして慌ててツヅラを奪い返した。


『……ねぇ、あの大っきいナイ君どこにやったの?』


『海底に転移させたよ。こっちはどうする?』


ナイも顕れてすぐに海に捨てられるとは思わなかっただろうな。

ライアーが指差した先には僕が殺したナイが居た。正義の国の重要人物とか言っていたか、ここで死んだとなれば神降の国に迷惑になるし、僕がやったと分かればまた狙われる理由が増える。増えたところで……だけれども。


『……証拠隠滅お願い』


『ん、おっけー』


地面に染み込んだ血まで一瞬で消えるのを見て、ツヅラを奪い返すのが少しでも遅かったらどうなっていただろうと背筋が寒くなった。


『魔物使い君魔物使い君、零にマスク被せとかなさっむいまんまやで』


『あ、はい……意識失っても力出しっぱなしなんですね。ツヅラさんちょっと神父様のお腹乗せますけどいいですよね?』


『好きにしぃ』


寝ても放出しているのは疲れるだろうななんて考えつつ零を地面に寝かせ、マスクを拾う。留め具が複雑な上に零が無理矢理脱いだようで捲れているところもあり、初めて触れる僕には上手く被せられない。


「おーい新支配者どのー、片付いたかー?」


『とりあえずは大丈夫です』


国王が盾を構えたまま歩いてくる。盾には女の顔と蛇を象った装飾があり、僕には酷く悪趣味に思えた。


「ふーん……なぁ、神父どのその鉄塊で殴ったんだよな? 死んでないか?」


『えっ……? まさか、刀で殴っただけですよ?』


刃は当てていないし、零の頭部にも外傷は無い──あれ、おかしいな……陥没しているような……そんな感触がある。


『せやせや、鉄の塊で殴られたくらいやったら死なへんて』


「この人外共……死んでなくても多分重傷だぞ」


『…………にっ、兄さん?』


『はいはい、治癒ね治癒』


ライアーに治癒魔法をかけさせて、また後頭部を撫でる。凹んでいたり柔らかかったりする部分はなくなった。呼吸も確認できたので死んではいない。改めてマスクを被せ、留め具を全て留めると寒さがマシになっていく気がした。


『……ヘル? 終わったのか?』


『アル! うん、終わったよ、癒して……痛っ!?』


盾の影から顔を覗かせたアルに向かって屈みながら両手を広げると顎を突き上げるような頭突きが襲った。


『また貴方は私を除け者にして! 私がそんなに弱いと思っているのか!? 私が傍に居たなら貴方は大火傷なんて負わなかった!』


『い、いや、もう治ったし……それにほら、クラールが……』


『あぁ、クラールが居る。だから私は飛び出さなかった。貴方の判断は父親として正しい……とは分かっているが気持ちが治まらん!』


『分かったよもう……いくらでも頭突きしてよ……』


正しい行動をしたと評価されているのに頭突きを食らうなんて……と心の中で愚痴を言いつつ胸に頭突きを繰り返すアルを眺める。次第に頭突きの威力は下がり、四度目が終わると僕の胸にぐりぐりと顔を擦り付け始めた。


『…………アル?』


『ば、か……ヘルの、ばか…………どうして、そう、自分を……』


泣いているのだろう。

形が違うからなのか、アルの表情は分かりにくい。示してくれる感情は分かるけれど、今回のように怒りに扮した悲しみや隠そうとする心の傷は僕には読み取り難い。


『……ごめんね』


謝れば謝る程、心の距離は遠ざかる。


『…………クラールは?』


『……翼の中に』


アルの頭を抱き締めたまま、少し開いた翼の中にクラールを見つける。優しく叩くようにアルの頭を撫でると翼はまたクラールを隠した。


『寒そうに震えていてな……温めていたんだが自然現象ではなく神力を起因とする冷気だからあまり効果が無くて。貴方が遠ざかってから国王がやって来てな、盾を前に置かれると寒くなくなったんだ』


『この盾……? へぇ…………あっ、えっと、ありがとうございます王様』


「おう、女の子二人が寒さに震えてたら何とかしてやるのが男ってもんだ」


『その間ずっと下品な話をされなければ素直に感謝出来たのだがな』


格好良いと思ってしまった僕が馬鹿だったのか、庇う格好良さと性格は切り離して考えるべきなのか、とりあえず妻にそんな話を押し付けたことを怒るべきだ。


『どんな話したんですか』


「……いや、別に。そう怒るなよ新支配者どの」


『じーっと見ては「いやいや無理だろ」「いやキツいわ」と呟いた。傷付いた』


『は? 小烏おいで』


「待て待て待て待て違う違う」


そりゃ大して深く知りもしない狼なんて普通の嗜好を持った人間には「無理」だろう。だがだからと言って聞こえるように口に出すのは良くない、刺す。


『その後で顔を覗き込んで「どーやってするの」「体位は? 新支配者どの上手い?」と……』


『遺言どうぞ』


「待って待って誤解誤解」


『何が誤解なんですか! 国によっては捕まりますよ!?』


「俺の国でも新支配者どのの国でも合法なんだから俺無罪」


目上、年上、恩人、三拍子揃った男の胸倉を掴む日が来るとは思わなかった。


「いや、新しい扉を開きたくて。事前調査は必要だと」


『人の! 嫁で! やるな!』


「仰る通り」


カヤが吸ってくれて治まったはずの苛立ちが再発した。自分では温厚な方だと思っていたが、僕は本当は怒りっぽいのかもしれない。


「じゃあ新支配者どのに聞くけどさ、嫁さん常に全裸な訳じゃん、どこでスイッチ入んの?」


『本っ当に刺しますよ……?』


「気ーにーなーるぅーだーけー。じゃあこれだけ答えて。どうやってとかは何となく分かるけどさ、ヤったところで子供できるもんなの?」


これだけだと自分で言ったならもうこれ以上僕を苛立たせるようなことは言わないだろう。国王の服を離し、刀を影に落としてため息をついた。


『僕は魔物使いですから。魔物使いってのは魔物に命令聞かせるだけの能力じゃなくて魔力を支配してしまう力なので、魔力だけで動く魔獣にはかなり無茶が通るんですよ。しっかり見つめて声に出して強く願えば……できるみたいですね』


僕だって子供ができるなんて思っていなかったし、産まれてしばらくは信じられなかった。けれど僕に似た角も生えてきたりして、何より僕を父親と慕ってくれているから、理屈や事実なんてどうでもよくなった。


「…………つまり新支配者どのは女の子抱く時に孕めとか言っちゃうタイプってこっ……!?」


気が付けば手は握り拳を作り、国王の顎を突き上げていた。


『ヘル!? 殴るな! 一国の王が一国の王を殴るな、大問題になるぞ!』


『………………つい』


『貴方は短気だという自覚を持て! 認めたくないだろうが兄君に似ているんだ貴方は……! 特に私の事となると特に……私の、事に…………もぅ、仕方ないな、ヘルは……ふふ……』


僕の手に尾を絡めて止めたアルは説教を途中で崩し、嬉しそうに僕に擦り寄った。


『叱るんやったら最後まで叱りーな』


『そうそう、生首さんの言う通りだよアルちゃん。ところでさ、ヘル、国戻らなくていいの? やばそうだけど』


『…………兄さん空間転移お願い! 王様、殴ってすいませんアルとクラール守ってくれてありがとうございました神父様達お願いしますさようならまた後で埋め合わせします!』


アルを抱き寄せライアーの腕にしがみつき、頭を下げて早口で挨拶を済ませる。


「いいアッパーだったぞー、またなー」


『また会いに来たってなー』


光に包まれ、浮遊感が訪れる寸前、そんな返事が聞こえた。

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