第694話 排除すべき側近
街の美化のための清掃業開業、特色ある性風俗店の住み分け、性風俗店以外の飲食店などでの店員への接触禁止とその周知、昼間の観光の──
『……頭いたーい』
『これ王様の仕事なの?』
悩む僕の肩に顎を乗せて、ライアーは手元の書類を覗き込む。
『違うと思う……でも、何かやらされてる……』
『まぁ支持率は上がってるみたいだけど』
経営だの法整備だの、要領の悪い僕に出来る仕事ではない。
『王様がえっちなお店の視察ってどうなの』
秘書と言ってライアーに手伝いを頼んでいる。それでようやく書類を流し見する仕事以外も出来るようになった。このところ兄ばかりに構っていたからか拗ねていて、その愚痴や嫌味を言ってくるから心はすり減るけれど、仕事は順調だ。
『違法なことやってないか調べるだけだからね?』
『体験しないの? 税金で落とすよ?』
『しないよ』
道路補修は魔法で行って節約してはいるものの清掃業への支援や教育関連の事業にはどうしても金が必要で、その分は国民から集めなければならない。
『次何に上乗せするー? どうせ吸鬼はこの国出られないから貴族や経営者にも思い切っていいと思うなぁボク。でも個人的には思い切り格差作って庶民はギリギリ生存くらいが好みだなぁ、それで上流への反感煽ってさぁ』
『……流石邪神』
『えっ、ぁ、いや、今の嘘、冗談、冗談だから! お兄ちゃん邪神じゃないよ!?』
邪神ではあると思う──いや、邪神の型で作った僕の魔力の塊で…………まぁ、ナイと同じく趣味は悪い。
『今のところ何とか出来てるから税率はこのまま。病院の質上げたり値段下げたりしたいから、落ち着いたら保険的なの作って。やりくり出来そうになかったらその時にまた』
『はーい。ぁ、視察ここだよ』
フードを目深に被り直し、首元の紐を結び直す。営業時間外の風俗店に入り、店長から書類を受け取る。
『これ本当のこと書いてる? サービス内容とか時間とか誤魔化してない?』
『兄さん……』
『いやいや今まで見てきたとこほとんどやってたよ?』
調査内容は脱税だとか違法労働だとか麻薬だとか──娯楽の国は薬に緩いが酒色の国は中々厳しい。人間にとって淫魔と触れ合うこと自体刺激が強いのに、そこに更に薬を打てば発作を起こす……なんて悪魔らしからぬまともな判断だ。
『暴力沙汰は少ないけど麻薬関連の犯罪多いね……アシュは平和って言ってたけど、そうでもないかも』
『他の国に比べればマシなんじゃない? 悪魔ばっかりの割に犯罪内容も人間的だし』
『……まぁ、悪魔っぽいのって言ったら吸血鬼が人襲ってるくらいだけど……』
『恥晒しで私刑対象なんだろ? そういうの』
『うん……僕襲われた時はそんな感じじゃなかったのになぁ……』
酒色の国の吸血鬼の真祖、グルナティエがそうだったように純血に近い者ほど血液の購入や配給を嫌がる。だがグルナティエが討たれたこともあって彼らは吸血鬼の中でも少数派になり、嫌われることを恐れた混血の者達に私刑を受けることが多くなってきている。だが純血の吸血鬼はかなりの戦闘能力を持っていて、私刑は数と質の戦いとなり、毎度多くの死傷者を出す。
『ぁー……吸精鬼はみんな割と素直なのに……』
店長は大体吸血鬼で、店員は大体吸精鬼。
『吸血鬼めんどくさい……僕の血配れば落ち着くかな』
『王城に集られるよ』
王城とは元アシュ邸のこと、屋根の頂点に旗を立てて門の横にも小さな旗を添えただけだが、ライアーの中では改名に足りる変化だったらしい。
『今日の分の視察終わったし、帰ろ……』
『お兄ちゃんは書類整理あるから王城行くね』
『ぁ、うん、お願い。ばいばい兄さん』
ライアーに手を振って、姿が見えなくなったら踵を返して歩き出す……ヴェーン邸はどこにあったかな。このところ毎日元アシュ邸とヴェーン邸を行き来しているけれど、今日は何故か迷ってしまった。決して僕が方向音痴だからではない、僕は方向音痴ではないのだ。
『……あっ、王様だ~!』
『えっ嘘嘘、ホント!?』
迷った上にバレてしまった。認知阻害の魔法は僕の魔力属性を歪めているだけで、この特徴的なローブや長髪は誤魔化していないのだから仕方ないと言えば仕方ない。
『ねぇねぇ王様~、ウチの店寄ってってよぉ~』
『えーダメー、うち来てよぉ、サービスするからぁー』
露出の多い服装の少女達に囲まれ、勝手に腕を組まれ、顔を覗き込まれる。
『いや……今から家帰るから』
『一時間だけでも~』
『うちなら三十分でも』
『は? じゃあウチ十五分!』
『十分!』
『五分!』
奇妙な競りが始まった。今なら大丈夫かと干渉を遮断し、彼女達の腕と囲いを透過した。淫魔の少女達の群れを後ろに歩き始めると、また囲まれる。
『しっかり掴んでたのにぃ~!』
『王様の意地悪ぅー!』
先程僕を捕まえて言い争っていた二人は後ろになってしまったようだ。今僕を止めているのは別の子達。
『僕結婚してるし子供も居るから、そういう店行けないの。普通の飲食店とかだったら今度行くから今は離して』
『王様まっじめぇー!』
『いいじゃんちょっとくらい~』
『だーめ。ほら離して』
もし僕が誘いに乗ってついて行ったらアルの報復の対象は彼女達になるだろうけど、それを言っては脅しになるしアルの株も落ちる。
『ぁー行っちゃったー。でもお堅いの燃えるぅー』
『奥さんいいなぁー、奪っちゃいたーい』
これでモテたと調子に乗るのは馬鹿のすること。彼女達の誘惑は店に呼ぶためだし、僕にしつこく絡むのは僕が王の立場になってしまったから。その上断り続けるからムキになっているだけ。僕自身に魅力はない。
『おかえりなさいませ、魔物使い様』
淫魔の少女達を振り切ってカヤに乗り、ヴェーン邸前に辿り着いた。どうしてカヤを呼ぶことをもっと早く思い付かなかったのかと自分を馬鹿にしながら門に手を伸ばすと背後から声が掛かる。
『リリムが以前この辺りで消えたため、結界でも張って隠してあるのかと思っているのですが……当たりですか? 入れてくださいよ、魔物使い様。私はサタン様の側近、仲良くして損はありませんよ、私自身もそれなりに力を持っていますしね』
『マスティマ……何か用?』
『リリムやベルフェゴールも住んでいるんでしょう? 私が少し入ったくらい問題ありませんよね、どうしてそう殺気立つんです?』
今、周囲に人は居ない。彼女の声を聞いて最悪だと思ってしまったが、逆だ。これは好機だ。
『……っ!? 必須悪辣十項其の七、絞殺!』
魔力が実体化した縄が足に絡まんとする。だが、すり抜けた。
『なっ……!?』
『死ねっ!』
走りながら影から引き抜いた刀は正確にマスティマの首を捉え、丸い頭が放物線を描いて落ちて転がり、短い金髪が陽光を反射しキラキラと輝いた。
『あ、あの、其方は味方では……?』
『違うよ。小烏は影に入っておいて、天使相手じゃ霊体の君は危ない』
サリエルの鎌はカヤに通った。ラファエルはカヤを捕縛した。あれが彼ら特有の技によるものでなければ、天使との戦闘にカヤと小烏は出せない。
従順に僕の肩から飛び降りた小烏が影の中に姿を消したのを確認し、倒れた首無しの身体を踏みつけ、転がっていく頭部に刀を突き刺した。
『猫被りはいらない。分かってるんだよ、前世が君に殺されたってことはね。指輪を買いに行くとか言って、手下の悪魔も天使に殺させて、僕をたくさんの槍で刺し殺した』
『……前世の記憶をお持ちとは。重大な不具合があったようですね』
刀を持ち上げて刺した頭部を目の高さまで上げる。これまでと打って変わってギョロっとした瞳が僕を睨んだ。
『私、貴方を殺す気は今回はないんですよ?』
『今のところは、だろ。僕の仲間が増えたりしたら?』
マスティマは質問に答えず、にぃと口の端を釣り上げた。
『悪魔の王の側近で居るためには、私の正体を覚えている貴方には死ぬか記憶を失うかしてもらわなければ。殺すからと勝ち誇って喋ったのは失敗でしたね、天使に襲われて守り切れなかった演技でもするべきでした』
それをしていたとしても僕は前世の記憶をそのまま思い出した訳ではなく、前世の様子を見に行って知ったのだから、意味は無い。
それにしても首だけになって刀に貫かれているのに、死ぬか記憶を失うか──なんてどうしてそんなに自信があるのだろう。今余裕ぶるべきなのは僕の方なのに、僕の自信は萎み始めた。
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