第684話 抑えられないからこそ

サタンの炎は憎悪と憤怒を表す。受け止めろと言っていたし透過すれば更に怒らせるだろう。激情型の対処の仕方は分かっている、今では楽勝。

僕は痛覚を消すことを意識し、両手を広げた。


『ぅ、わっ……思ったより……』


目の前で吼えられただけで皮膚が焼け焦げ、少し動くだけでボロボロと崩れていく。再生も意識しておいた方が良さそうだ、身体が完全に消滅したらどうなるのかまだ分からない。


『えーっと……サタン、ごめんね。気持ち分かるよ、僕もアルに何かあったら同じことするかもしれないし……っていうか本人に行かないでここで発散しようって思えるだけすごいよ』


痛覚消失も再生も今のところは問題ない。しかし僕の集中がいつまで続くか分からない、早く発散してもらわなければ。


『……ま、好きなだけ壊してよ。ここ君の家だしさ』


咥えて振り回され叩きつけられ踏まれ、そのうちに肺が破れて喉も潰れ、言葉を失う。身体を壊す度に漏れる汚い音は彼を満足させるに至るだろう。発散の為の暴力なのだから、痛がらなければならないけれど、あまり身体が動かないし声も出せないから演技しようがない。

炎と巨体による蹂躙は数分間続き、炎が弱まるとドラゴンはふらふらと縮まり、スーツを着た男の姿に戻った。やっと終わったかと再生を進めていると、サタンが疲れた様子で僕の傍に座り込んだ。


『……魔物使い』


『んー……待って、まだ動けない……』


喉を優先的に治し、返事を済ませる。


『…………悪い。ここまでする気は……』


サタンは僕を見て、玉座の間の荒れようを見て、自分の頭を掻き毟る。


『……相変わらず感情のコントロールが上手く行かん』


『みんなそんなもんだって、アルに行かなかっただけ僕は嬉しいしすごいと思うよ。よっ……と、ぁ、足まだだ。もうちょっと待ってて』


上体は起こせたが太腿から下はまだ生えておらず、立ち上がれなかった。


『……ねぇサタン、本当にメルのこと可愛いと思ったの?』


『可愛いとは思った』


『…………娘として愛してるのは本当?』


『いや?』


やはり。まぁ仕方ない。血が繋がっていようと他の何で繋がっていようと、愛情は作ろうとして作れるものではない。


『メルには気付かれないようにしてあげてね、喜んでるみたいだし』


『……責めないのか』


『加工しやすくするために言っただけなんだろ? それなら僕にとっては得しかないし、嘘はバレなきゃ嘘って決まらないから』


『…………ふ、ふふっ、ははは、いいな、魔物使い、面白い、そうでなくては。いいだろう、このサタン、貴様の為に嘘を貫くと誓おう』


よく分からないが気に入られたらしい。悪魔の感覚なんて理解したくもないし、気に入られたなら取り立てて言うことはない。


『ぁ、そうそう、レヴィ……っていうかオロチだっけ、あの蛇は?』


『分身が持ち帰ったモノのことか? アレならアスタロトに任せてある、悪魔に加工しようと思ったが奴に止められてな、何か見えたのだろうが教えてくれん』


『……アスタロトって部下なんでしょ? 命令すればいいじゃん』


縦長の瞳孔が微かに膨らむ。爬虫類らしいそれは僕に僅かな寒気を与えた。


『悪魔には三柱の魔王が居る。余、ブブ、そしてアスタロトだ。ブブもアスタロトも余が悪魔に加工したもので、我が子のようなものだ、悪魔は大抵そうだがな。中でもアスタロトは最も余の命令を無視する傾向が強い』


あの執事風の男がか? サタン様の命令で──なんて言うことも多かったのに。


『人界に呪いも出してないのに……そんなに強いの?』


『呪いは余のように感情や欲望が抑えられない悪魔が漏らしてしまう魔力であって、悪魔の強さを測るものではない。まぁ無駄に放出できる魔力があるということはそれなりに名があるということだがな』


アスタロトは感情や欲望が抑えられる悪魔ということか。それはとても悪魔らしくないし、非常に厄介だ。まぁ、味方なのだから問題はないけれど。


『彼奴は強いと言うよりは……そうだな、倒せないと言った方がいい。貴様もそうだな、その気になれば余の炎だろうとすり抜けてしまうだろう?』


『アスタロトも透過が使えるの?』


『いや、奴の属性は『観測』だ。過去現在未来全てを観測し、その結果を極小範囲で汲み出す。つまり……現在の奴を殺せたとしても、観測した結果に生きているアスタロトが居たなら奴は攻撃を受けたその瞬間にも無傷で立っている。つまり、過去現在未来全ての秒数、いや、秒よりも短い、まさに無数の奴を殺さなければ殺しきれない』


『…………ちょっ……と、何言ってるのか分かんない』


過去現在未来全てを殺さなければ──いやいやいやいや、不可能だろう。というか理解があまり出来ない、時間だとか空間だとかの話は苦手だ。


『……アスタロト、殺す、不可能……OK?』


『僕そこまでバカじゃない!』


『ふっ……冗談だ。そうだな、魔物使い、貴様雷を見たことは?』


例え話でちゃんと説明してくれるようだ、やはり根は優しい。


『空が光るのと音が聞こえるのでは時間差があるだろう?』


『あぁ……えっと、それで雷との距離測れるんだよね?』


『それが分かっていれば話は早い。そう、音と光の進む速さが違うから、その差異で距離が分かる。音は雷が落ちた近くに居たものはすぐに、遠くに居たものは少し後に届く。だが光は人の感覚ではほぼ同時』


この辺りまではまだ理解出来る。懐かしいな、幼い頃、雷を怖がっていたらそれを面白がった兄に間近で落とされて……嫌な思い出ばかりだな僕は。


『ある者は光が見えてから一秒後に音が聞こえたと言い、またある者は三秒後だったと言う。雷は同じものだ』


『二人の居た場所が違ったんでしょ?』


『そう。では、雷が落ちてから二秒後には鳴り終わった音とこれから鳴る音があるな?』


『……いや、音は一回しか鳴ってないよね?』


『事象はな。だが、その二人の主観を合わせれば音は二つあったことになる』


何を言っているのか分からなくなってきた。一度しか落ちていないなら一度しか鳴っていないだろう。


『場所が違ったから時間差があっただけでしょ?』


『あぁ、そうだ。雷は一つだが、観測結果は二つだ』


『……そりゃ二人居るんだから。合わせて話しちゃおかしくなるよ、別で話さないと……』


『それがアスタロトの能力なんだよ魔物使い。過去現在未来、全て同時に観測する。だからアスタロトにはアスタロトが大勢見えている、それを汲み出す。だから奴は何があろうと無傷だ、怪我を負う前の、死ぬ前の自分を観測し、それを汲み出す』


『……何人も居るのと同じじゃないか……何人も居る? 待って、じゃあナイ君もそれ?』


『ナイとやらは知らんがアスタロトはそうだ。使うならそれを念頭に置いた上で、奴は罰を回避できるから命令を聞かないと知った上で、冷静で嘘吐きだと分かった上で使えよ』


ベルゼブブの忠告は正しかったのか……悪魔なのだから裏切るとは思えないけれど、信用は出来ない。彼女が嫌っていた理由がよく分かる。


『無敵じゃないか……なんでそんなのが居るのに戦争とか負けたのさ』


『戦闘能力そのものは低いからな。彼奴、攻撃は大して出来ない、今言った能力も自分専用だ』


『……僕があんまり強くないのと一緒かぁ』


相手からの攻撃を透過して一方的に攻撃を仕掛けられたとしても、相手の再生能力を上回る破壊が出来なければ勝てない。


『悪魔にはそういうややこしく使いどころが分かりにくい力を持つ者が多い。余やブブのように単純で強力な者は少ないぞ、だから……魔物使い、余の部屋でゆっくりと悪魔について教えてやろう。いつかは貴様が指揮するんだ、ほぅら……おいで』


『え、ちょ……ここでいいじゃん、メル帰ってくるかもだし……』


『リリスの着せ替え人形にされたら数日は戻れん。余の話し相手も同じくな。何、茶も酒も珈琲も何でも用意してやる、菓子も肉もな、リリスとはあまり話が合わないんだ、貴様は話し相手になると分かった、ほら行くぞ』


数日だって? それは困る、せめてアルかフェルに伝えなければ。クラールの世話を任せっきりなんてよくないし、何よりメルと出かけて数日戻らないなんてどんな嫌疑をかけられても言い訳出来ない。


『一旦帰らせて! 一旦……アルに言ってから……』


『あまり甲斐甲斐しくし過ぎると尻に敷かれるぞ、男には放蕩癖があるくらいが丁度いい』


『そんな訳ないだろ子供まだ小さいのに!』


『冗談だ』


『なら 下 ろ せ よ!』


魔物使いの力は中途半端に通じて、抱えられていた僕は引き摺られるように変わって部屋に連れて行かれた。

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