第673話 数日ぶりの帰還

植物の国に戻る前にヒナを家まで送ろうということになり、力が強く同性である茨木に運搬を頼んだ。赤子だと扱い続けて魂のない器として完成してしまった布の塊はどうするべきだろう、同じ事態にならないよう処分するべきだろう、だがそんなことをしてヒナがどう思うか……


『頭領はん、ここでええの?』


『ぁ、うん』


『中置いてくるわ』


ヒナを抱えて塀を飛び越える茨木を見送り、手の中の布の塊を見つめる。これも投げ入れようか、処分してしまおうか、今聞こえた野太い悲鳴は何なのか、悩んでいるとサタンに布の塊を取り上げられ、燃やされた。


『………………ありがと』


僕では処分出来なかっただろうから、他の仲間達は強行はしないだろうから、僕と仲違いするリスクを押して処分してくれてありがとう。そんな意味合いの礼だったが、サタンは一瞬目を丸くした。彼のそんな表情は珍しくて、思わず笑みが零れた。


『ただいま頭領はん。なんや中におっさん居ってな、うるさかったから殴ってんけど』


軽い着地音と共に先程の野太い悲鳴の説明がなされた。


『ヒナさんのお父さんかな……ま、いいや。植物の国に戻ろ。えっと、近くの島まで行ってから飛ぶのが楽だし早いと思うんだけど』


以前妖鬼の国から植物の国に行ったのはロキの船でだった、そのせいで妖鬼の国からどこに船が出ているのか全く分からない。とりあえず船着場に行こうと一歩踏み出す。その瞬間に形見の石をぶら下げていた紐が切れ、服の中を通って地に落ちた。

拾おうとする間もなく局所的に地面が黒く染まり、盛り上がり、人の姿を取ったかと思うと石を拾って僕に渡し、そのまま僕を抱き寄せた。


『久しぶり、ヘル!』


引き剥がそうとした手に感じる滑らかな素肌、何とか引き剥がして見えた浅黒い肌、そして頭上の美顔。


『……兄さん? 兄さん! 何してたんだよ兄さん、今まで何で来てくれなかったのさ!』


『ごめんねヘル……お兄ちゃんは剥き出しの霊体だからテレパシーに弱いんだよ。旧支配者とかの思考に曝され続けるとボクは独立していられなくなっちゃう、顕現が吸収されちゃうんだよ』


『えっ……と、クトゥルフどっか行ったから来れた?』


『正解。よしよし、賢いねぇヘルは』


何故だろう、褒められたのに馬鹿にされている気しかしない。ライアーが軽薄だったり若干嫌味っぽいのは分かりきっていることだ。今の出来事はひとまず忘れて、植物の国に行って欲しいと伝えた。

光と揺れを超えると視界一面の緑、どの辺りかは分からないが植物の国であることは巨大な木々が証明している。


『よし、じゃあ合流しよう。どの辺に居るかな』


『……ヘル、兄君に服を渡した方が良いと思うぞ』


『え? ぁっ……に、兄さん、えっと…………とりあえずこれで』


上着を脱いで渡す。肌着で歩くのは恥ずかしいし肌寒いけれど、隣を全裸で歩かれるよりはマシだ。


『……お兄ちゃん背が高いから臍上だし肩つっぱるけど、これ普通に着ていいの?』


『ぁ……うーん、腰に巻いて……』


『…………弟の服に股間擦り付けろって?』


『擦り付けろとは言ってないよ! もぅ! 要らないなら返して!』


上着を奪い返し、再び着る。ライアーには酔い潰れてカルコスに咥えて引き摺られている酒呑の上着を剥ぎ取り、羽織らせた。


『着物便利……』


無意識にそう呟き、セネカとベルフェゴールの居場所を探知して再びの空間転移……連続だとちょっと酔う。


『魔物使いくぅーん! おかえりおかえりおかえりおかえりぃ! 無事!? 良かったぁ……』


目がまだ眩んでいるというのに肩を掴んで揺さぶられ、再会を喜ぶ前にその手を払った。


「魔物使い君! 戻ったか、良かった。娘さんも無事……のようだね」


『ウェナトリアさん、すいません、色々と……』


互いの安否確認を終え、神虫を倒したことを聞き、ライアーに頼んで島を覆う巨大な結界を張ってもらった。


『じゃあ、ベルフェゴールは僕と一緒に。契約は切ってもらうことになるんですけど』


「分かった。では悪魔様……今までありがとうございました」


『ごつい優男からかぁいい少年に乗り換えだぁ! やったぁ! ところで、どやって契約切るの?』


悪魔というものは契約を重んじるもの、そう思っていた。いや、彼女は例外だ、例外だけで全体の傾向を考えるな。


『書類ないんだから切れろーって思うしかないんじゃないの?』


魔力に関することはほとんどがイメージ、感覚だ。


『ぅーん……しっくりこないから少年に手取り足取り教えて欲しいなぁ、ほらこうやってお姉さんの手持って』


『手持って、ひねる』


『痛い痛い痛いっ……ぁ、でもドS少年ってなかなかイイかも』


何だか面倒くさくなったので手を離し、魔物使いの力を使って無理矢理解消することに決めた。


『魔物使いの名の元に、ウェナトリアとベルフェゴールの契約解消を命令する……尚、不履行や違反に当たるものがあった場合、その罰則は全てベルフェゴールに──』


『ちょっ、ちょちょちょ何言ってんの少年!』


ウェナトリアの全身にあったであろう刺青のような蔦模様。腕でしか確認出来ないがその模様は彼の肌から剥がれて浮かび、ベルフェゴールの身体に吸い込まれた。


『痛たたたっ!? 契約不履行なんてしてないぃ! もぉ……ちょっとサボった時あっただけなのにぃ、厳しい……』


何か罰則があったらしい。心当たりがあるなら何も言うまい。


『じゃあ、ウェナトリアさん。僕達はこれで。色々と迷惑おかけしました』


「いやいやいや……助かったよ本当に。もう行くのかい? 大したもてなしは出来ないけど、もう一晩くらい居てくれても……」


『可愛い弟を待たせてるので……すいません。それじゃ、兄さん、お願い』


三度目の空間転移、到着はヴェーン邸の玄関。僕は靴を脱いで中履きに、アルは肉球を濡れタオルで拭いて、ひとまず自室へ。メルやフェルとの再会を喜ぶのは着替えてから、そう思っていたのだが、僕のベッドで蹲る影が一つ。


『……フェル?』


枕を抱き締め顔を埋めた黒と白の髪の少年の後頭部を撫で、肩に手を置き、そっとひっくり返す。珍しくもフェルは本当に眠っているようだ。


『……ただいま、フェル』


頬を撫でれば涙で荒れた肌と乾いた涙の感触が、不貞腐れたように閉ざされた瞼には腫れがあった。


『寂しかった? よしよし……いい子いい子、待っててくれてありがとう、ごめんね……』


頭を持ち上げて抱き締めると力が抜けていた手がビクリと跳ねて、僕の腕に添えられた。


『…………お兄ちゃん?』


『ただいま、フェル。いい子で待っててくれたね、ありがとう。寂しかったかな、ごめんね』


『……本物?』


『お兄ちゃんに偽物なんて居ないよ?』


僕の肩にしがみつき、体を持ち上げ、腕を首に回すとフェルは声を上げて泣き出した。


『遅いよぉっ! 帰って、こないっ……かと、思ってぇ、僕っ、僕……!』


『ごめんね』


『……すぐ、帰ってくるって、言ったからぁっ……毎日、毎日、ご飯用意して待ってたのに……どうして、作れなかった今日に…………ごめんねっ、ごめんねお兄ちゃん、ご飯用意出来てなくて』


泣きじゃくる愛しい弟の背を撫でて、出来る限りの優しいで「気にしないで」と投げかける。


『寂しかったよ……不安で、たまらなかった……帰ってこなかったらどうしようって、大丈夫かなって、そればっかりで…………手、震えて、今日ご飯作れなかった……きっ、昨日までは作れてたんだよ? 寂しかったけど、怖かったけど、ちゃんと作れてたんだよ?』


『ごめんね、お兄ちゃん遅かったよね。本当ならもう少し早く帰れたはずなんだけど、お兄ちゃん要領悪いから。不安にさせてごめんね、フェル』


『……今日一緒に寝てくれたら許してあげる』


『分かった。別に今日だけじゃなくてもいいんだよ?』


フェルは弱々しく首を振って、今日だけと繰り返して泣き続けた。

こんなにも僕を求めてくれる弟が居るのだから、愛しい妻も子も居るのだから、優しい兄だって居るのだから──僕はもう無価値なんかじゃない。

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