第622話 実戦形式

ウェナトリアの顎を的確に捉えたはずの僕の一撃はその直前で止められた。彼のうなじには触肢と言うらしい脚より少し短いものが生えている、襟元に隠れていた触肢が木刀の先端を挟んで止めたのだ。


『……ずるい!』


「ずるく……ない!」


『ぁうっ……』


額を指で弾かれ、木刀を落として額を摩る。


「私の脚が首にもあるのは知ってただろう? だからずるくはないし、実戦では狡猾さが勝敗を左右する。でも惜しかったよ、初めてでここまで出来れば上出来だ」


軍神なんて呼ばれる訳だ。彼の首を狙うことは出来ない、背後も勿論不可能、死角は人間よりずっと少ない。隙がない。


『ぅー……もう一回お願いします』


「素晴らしい! 木刀取ってくるよ」


僕が使っていた木刀も持ち手の部分が割れていた。強く握り過ぎたようだ。ウェナトリアが木刀を取りに行っている間、僕は木屑を足で端に寄せる。


『惜しかったなぁ頭領』


『ん……』


『拗ねんなや』


『……酒呑、好きな子の前でアレやって拗ねない自信ある?』


『…………男やなぁ頭領も』


打ち身を治し痛みを消し、身体の調子を元に戻す。

このままでは勝てない。訓練になっているのかすら分からない負けを重ねていくだけだ。


『……小烏、おいで』


影から小さな黒い鳥を掬い上げる。


『九十九神やないか』


『……つくもがみ?』


『百年経った器物の神、もしくは九十九年で捨てられた器物の妖、知らんとうてたんかいな』


小烏は翼を曲げて敬礼のようなポーズを取り、僕に眩しい視線を向けている。


『……取り憑いた妖怪じゃなくて刀から出た妖怪なんだね』


『私は妖怪ではありませんっ!』


『いや、こいつは九十九神や、付喪神とちゃう』


『煩いですよ鬼ぃ! 私はあなた方のような存在を切った刀──』


『の写やろ?』


怒っているのかバタバタと翼を振っているが、一向に浮かない。バッサリと切られた風切羽がやけに目に付く。


『小烏、刀に取り憑いてるんなら剣術分かるよね』


『取り憑いている訳ではございませんがお任せあれ!』


『……指示お願い。結ってるから髪の中入れるよね? 小声でお願いね』


結い上げた髪の中に小烏を突っ込み、木屑をどかしていただけのフリをしてウェナトリアの元に戻る。狡猾さが勝敗を左右すると言ったのは彼、これは戦力差を埋めるための必要な策だ。


「……覚悟はいいか?」


『はい!』


「よし。来い!」


『………………小烏、頼むよ』


とりあえず中段に構え、剣先をウェナトリアの右手に握られた木刀の剣先に触れさせる。


『……四寸踏み込み、二寸頭を下げ、腹部を突いて……』


『…………え?』


小烏の指示が思っていたのと違う。だが戸惑ってはウェナトリアに不審がられる。僕は意を決して踏み込み、頭を下げながら木刀を突き上げた。だが、当然の事ながら防がれる。


『……虎の方角に木刀を、身体を右に半捻り……』


『……っ、無理っ、無理無理無理ぃっ!』


小烏の指示は的確だ。完璧に従うことが出来たのなら十本の剣戟をいなすことが出来るのだろう。


『右膝を曲げ重心を移し、左足で床を蹴り一尺三寸後ろに跳んで躱し…』


『ぅ、わっ、わわっ……待っ、待って待って』


「動きはよくなった、だが……迷いが多い!」


『痛っ! くぅ……小烏、もうちょっと分かりやすく……』


細かな距離や角度を指示されても身体が反応できない。いや、聞いて、頭で考えて、身体を動かして──じゃ間に合わない。


『……っ、たぁ……』


「とと、やり過ぎたかな。悪いね、君が上達すればするほど加減が難しくなるんだ」


僕自身は上達なんてしていない、小烏の指示に四割程度の動きを乗せているだけだ。付け焼き刃すら出来ないなんて……


「……少し休むか?」


相手の攻撃を避ける練習は要らない、痛覚を消せば怯むことはないのだから。するべきは防御する相手に致命傷を与える練習だ。相手の動きを読み、心臓を、喉を、貫く。あるいは首を切り落とす。


『…………いえ、やらせてください』


必要なのは的確な指示でも剣術の才能でもない。確固たる殺意と慣れだ。


『主君、まず中段に構え……主君?』


持ち手は頭の斜め上に、刃先は顔の前に。


「…………よし。来い!」


背に揺れるのは蜘蛛の脚ではない、黒い翼だ。八つの目はなく光輪があり、男ではなく美女だ。

今僕の目の前に立っているのはウェナトリアではない、愛しいアルの血を浴びた堕天使だ。


『……ぁあああっ!』


「っ、速くなった……が、甘くなった!」


木刀を右手だけで持ち、側頭部を狙った木刀を左腕で砕く。実戦と同じと見れば左手は負傷し、再生までの数秒間使えない。左腕はだらりと下げて、三本の木刀を片手持ちで凌ぐ。


「冷静さを欠いて私に当てられるとは……思わないことだ!」


二本の木刀に十字を描くように胴を打たれ、踏ん張りも意味なく吹っ飛ぶ。


「ふぅ……木刀を取ってくるよ、少し……っ! 待ちは、しないか」


もう再生したと見ていいだろう。左手で二本、木刀を叩き折る。そして喉を狙う──が、再び触肢に止められる。一度飛びのき、二度も打撃を食らって赤紫に腫れ上がった左腕を見る。


『……主君、どうか冷静に。勢いだけでは辛い相手です』


左腕の骨に入ったヒビと筋肉の傷みを治し、両手で木刀を握る。


『…………冷静』


『ええ、冷静に相手の動きを読むのです』


小烏は僕が指示を聞かないと即座に察し、別の助言を与えてくれている。僕と違ってできた子だ。


『……それ、無理』


折った木刀は三本、残りは七本、武器を全て砕いてしまえばこちらのものだ。僕は再び突っ込み、防御のために身体の前に組まれた木刀を拳で割った。これで残り三本。


「魔物使い君……その戦い方、実戦ではするなよ」


腹に脚が叩き込まれる。嗚咽を堪え、その脚を掴む。するとその蜘蛛の脚は節からちぎれ、僕はバランスを崩した。髪を掴まれ、顔に膝が叩き込まれる。


「激情だけで剣を振れば守りが疎かになる。傷を負えば動きは鈍る。無闇に突っ込めば急所を狙われる、こうやってね」


顬、首、胸──木刀が同時に刺突を与える。


「…………やり過ぎたかな? 悪いね、こうでもしないと止まらなかっただろう?」


脳を揺さぶられ、足に力が入らない、視界が歪む。


『主君! 主君ーっ! ひっ、酷いではありませんか、訓練でこんな!』


小烏が髪から飛び出してウェナトリアに異を唱える。

鼻、歯……頬骨も折れているか、眼底も怪しいな。


「……すまない。治療は……えぇと、彼だったかな? 黒い彼、来てくれないか」


『ボク? いや、でも……ヘルはまだやる気みたいだよ? ボクは体調より意思を尊重したいな』


木刀を杖のようにして立ち上がる。脳震盪はそろそろ治まってきた、傷はまだ治さない、痛みも消さない、まだ戦いは終わっていない。


「…………魔物使い君」


『……僕、髪を掴まれて顔に膝蹴りされるのは慣れてます。お腹を殴られるのも、腕を折られるのも、小さい頃からされてきました。だから、まだやれます』


髪を掴まれたことによって結い上げは崩れてしまった。アルに血まみれの歪んだ顔は見せたくないので、ちょうどいいと髪を顔の前に垂らした。視界は悪いがゼロではない。


『……お願いします』


「………………来い!」


三本に減った木刀をウェナトリアは両手で一つ、二番目の脚に左右一つずつ持った。僕は木刀を下に構え、頭突きで手に持った木刀を砕いた。だが、それはウェナトリアの策だったらしく、僕は頭を掴まれてしまった。


「これで、首が落ちた。私の勝ちだな」


うなじに打撃を受け、手を離されると僕はうつ伏せに倒れた。


『主君、主君ー! 気をしっかり、主君!』


首が落ちた、か。その場合再生には何秒かかるのだろう。頭から身体が生えるのか、身体から頭が生えるのか、引っ付くのかも気になるところだ。

実戦だったとしてもきっと僕は死んでいない。けれど、今は負けておこう。

もう意識が保てない。

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