第601話 ホストクラブ

ロッカールームを出て細い通路を歩いていると、トイレらしき場所から出てきた男とぶつかった。


『す、すいません……』


派手な見た目の淫魔だ、僕の苦手なタイプだろうと頭を下げたまま足を早めると、男は並走して僕の顔を覗き込んできた。桃色の髪を斑にライトグリーンに染めていて毒キノコに見える。


『ダメじゃんレディ、ここ関係者立ち入り禁止的なとこよ?』


『関係者「以外」じゃなくてですか……?』


『それそれ~、レディ高学歴ぃ』


初等教育すら修了していない、というか一日しか通っていない。いや、その前にレディという呼称に反論すべきか。ロキのようなおふざけなのか、本気で僕を女だと思っているのか、それによって注意の仕方も変わるが彼はどちらだろう。


『レディどこのテーブル? 君みたいな綺麗な子なら覚えてるはずなんだけどなぁ~、こんな奥まで迷い込んじゃうとかさ? 随分と隠れるのが上手い仔猫ちゃんじゃん?』


『いや……あの、僕……酒呑の』


『酒呑? あぁOROCHI君。彼指名ってかリアル知り合い的な?』


OROCHI……? 源氏名だろうか、本名と関連の無い名前を付けたな。


『えっと、まぁ……そうですね、知り合いです』


酒呑との関係を言葉で表すのは難しい。彼は僕を頭領だとか言っているけれど、同僚らしい男に妙な集団に属しているなんて思われるのは困るだろう。


『オー君今休憩中のはずなんだけど何か仕事出てんだよね~。レディ今日来店じゃなくオロ君に用ある感じ?』


『……そうですね、用あります』


早急にアルと合流しなければならない。一人で動いてもいいが、記憶が抜け落ちている今は一人では心細い。

男と話しているうちに細い通路を抜け、薄暗い証明と酒の匂い、それに男女の楽しそうな話し声が聞こえてくる。


『んじゃ呼んで……ぁー、ごめんねレディ、今オロ君太客来てる的な?』


『太客……? 確かに太い方ですけど』


『あぁいや見目は麗しい姫なんだけど? ってかそう扱わなきゃヤバいから合わせてくれると嬉しい的な? 太客ってのはすごいお金落としてくれるありがたーいレディのこと、あんま頼まないレディも大事な姫だけどね?』


無礼な思考をしていたのは僕の方か。大金を落としてくれる客は確かにありがたい存在だろうけど、僕の用事の緊急性もなかなか高いのだ。だが、無理に酒呑を連れ出してクビにでもなったら仲間内の収入源が一つ減る。もしアルが無傷で僕を待っていたりしたら損しかない。


『ん~俺今空いてるしとりあえずココ座らない? オー君空いたらすぐ呼ぶからとりあえず俺で時間潰し的な? あ、俺ブランシュね、よろしくぅ〜』


『いえ、結構緊急な用事で……どうしても酒呑が来れないなら一人でやりますから、もし酒呑が僕探したら外出たって言っておいてください』


『え、ちょちょ待ってレディ。緊急な用件ってどんなのどんなの。彼連れてくなら荒事じゃない? レディ一人はヤバくない?』


心配してくれているのだろうか。苦手なタイプではあるが良い人ではありそうだ。どう言い訳して振り切ろうかと考えていると、目の前に魔法陣が浮かび上がり、そこからにゅるんと芋虫のような玉虫色の物体が這い出てきた。


『……っ!? えっ……と』


ブランシュはその芋虫のようなものを素早く掴み取り、困惑の表情を必死に誤魔化し笑みを作った。


『あ、それ多分僕の弟のです。返してください』


『……レディの弟?』


彼は素直に手を広げた。芋虫は手のひらの上でうねって僕の肩の上に飛びついた。


『うぉぉキモィ…………レディ? 大丈夫?』


やはりこの芋虫はフェルの分身だった。帰りが遅い僕を心配したフェルが送ってきたのだ、そんな真似が出来るのなら通信蝿の代わりになるかもしれない──と思っていたが、どうやら伝言を行き来させることしか出来ないようで会話をするには手間がかかりそうだ。とりあえずアルとフェルとグロル、それにヴェーンの無事は分かった、全員元アシュ邸に居るそうだ。僕の無事と石の確保、それに酒呑と合流したことを覚えさせると、芋虫は魔法陣と共に消え去った。


『…………大丈夫です。用事もなくなりました』


『消えた……ぁ、用事なくなった? んじゃ俺ことブランシュで時間潰す?』


名前を覚えさせようとしているのか? まぁこういう仕事なら必要か、少し鬱陶しいけれど。

緊急の用事がないとはいえ別に時間が有り余っている訳でもない。いや、全員揃ってからしたい話が幾つかあるから、帰ってこないことの多いホスト勤務の者達に伝言を残すべきだろうか。


『潰すほどの時間はありませんけど。じゃあ、とりあえず酒呑が空くまでお願いします』


『おけおけ、何か飲む? ってか頼んでいい?』


『僕お酒飲めないんで……』


人の居ないカウンターのような席に通され、ノンアルコールカクテルとやらを出される。味は繊細なようで僕の味覚には拾えないけれど、きっと美味しいのだろう。


『ここ昔BARで、前はここがメインだった的な? 俺そん時から居るからカクテルは得意よ』


『……綺麗ですね』


液体なのに色が階層分けされるのは何故だろう。何か魔術でも使っていたり……いや、そんな気配も無いな。


『オリジナルいっちゃう? レディの目めちゃくちゃ綺麗だし、それに合わせて的な』


『目……』


『……あれ、目の話気に入らない? ものすご綺麗よ?』


『いえ、目が好きな吸血鬼に抉られたことがあって。綺麗って言われると、どうにも』


『……それ、まさかアリスト──あぁいやでも今は両目無事みたいで良かった。これオリカクね』


一杯目を飲み終えるとグラスが交換された。二杯目は様々な色がゆっくりと混ざっていく不思議なオリジナルカクテルだ、確かに僕の目に似ている。


『そーそ、レディ。髪床つきそうだし編み込みとかやった方が良くない? その方がマジ姫だし』


『……そうですね、編むのはちょっと面倒ですけど。何かしないと踏みそうです』


立てば足首までは来るだろうか。髪を持ち上げて毛先を見れば埃が絡んでいた。


『生え際から先っちょまでキレーに真っ白でなんか神秘的?』


とうとう生え際も白くなっているのか、少し前までは生え際だけは黒が残っていたのに。統一されて嬉しいような、黒が消えて寂しいような。

それにしてもよく喋るな。


『ってかレディ……ぉ? オロ君終わった的な? ちょい待ち姫』


三杯目を出してグラスに桜桃を浮かべ、ブランシュは机の隙間を抜けて行く。数十秒後に帰ってきた彼は酒呑を連れていた。


『……おぅ頭領、何や待たせたようやの』


『急に出て行くのやめてよね、話まだあったんだからさ、もう解決したけど』


『さよか』


酒呑はカウンターに肘をつくと僕が飲んでいたカクテルを何の断りもなく飲み干した。


『……酒やないやないか!』


勝手に飲んだ上に文句を言うとはどういう神経をしているんだ。


『ちょちょオロ君、レディのお酒飲んじゃダメっていつも言ってるじゃん?』


『うっさいわボケ』


『ごめんねレディ、もっかい入れるから』


『いえ……もう大丈夫です』


香りと見た目は楽しめたが繊細な味は僕には分からなかった。


『れで……? れでぇって……女やっけ?』


『どったのオロ君。レディはレディ。淑女な姫様のことよ、これも前言ったやつ的な?』


『頭領男やで。嫁もおる』


『…………え?』


彼の人柄から何となくは分かっていたけれど、やはりロキのようなおふざけではなく本気で女だと思っていたらしい。僕はそんなに男らしくないのだろうか。


『…………君そういう知り合い多くない? ローズ君もそんなじゃん?』


『……頭領は茨木と違うて女装してへんやろ。自分の目ぇおかしいだけや』


『教育係に向かって…………まぁ、男でも何でも姫様は姫様的な? 対応変えちゃ、メッ、よ』


『滅多におらんし客やったらちゃんとやるわ』


教育係だったのか。古株のようだし、軽薄な割に芯もある。酒呑の教育は大変そうだけれど頑張って欲しい。


『……てか既婚者っての驚きなんだけど?』


『そういや式まだやな、いつ挙げるん』


『落ち着いたら考えるよ……』


『へー……ここ貸しても良き的な? 総出で盛り上げわっしょい的な?』


『嫌やわ鬱陶しい。頭領、式挙げるんやったら場所と人はしっかり選びや』


『二次三次ならぴったりじゃん?』


挙げるかどうかも分からないし、僕達が落ち着く時までこの店やこの国が無事かどうかも分からない。

まぁ、もし無事に挙式が果たせるのなら──二次会にでも貸してもらおうか。

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