第537話 消えたものの影
兵器の国──その物々しい名前に軍事的施設の多さ、兵隊の多さ、貧しく苛立っている民から発せられる宛のない憎悪……居心地の悪い国だ。
「止まれ! 貴様ら何者だ! 魔獣など連れよって……穢らわしい」
夜はまだ浅い、入国管理はまだ働いている。温和に審査を受けようと思っていたが、どうやら兵器の国は魔獣を受け入れていないらしい。まぁ、魔法を扱うからと兄を解雇したり竜を兵器として扱おうとして失敗していたような国だ。魔獣は愛玩ではなく軍事利用すべきという考えだろうし、近年は魔性そのものを排除しているなんて以前の時空で聞いた。
「アル、レヴィアタン、待ってて。話付けてくる』
門番は三人、うち一人は奥で立ったまま眠っていて、僕に槍を向けているのは二人。
僕は槍を透かし、黙っていた方の門番の頭を兜を抜けて掴んだ。そのまま壁に叩き付け、気絶させた。
『…………謝れ』
もう片方──そう、アルに向かって「穢らわしい」なんて吐いた門番の首を掴み、持ち上げる。鋭く伸びた爪と鎖帷子が擦れて不快な音を鳴らした。
「きっ、貴様……悪魔、か……クソっ!」
門番はもがきながらも懐から球を取り出し、それを地面に叩き付けた。火花を散らしながらパチパチと大きな音を立てる。
『僕は悪魔じゃない、多分鬼……それはどうでもいい。早く謝れよ、何が穢らわしいって? 誰が穢らわしいって?』
『……おい、ヘル…………やめろ』
『鬼って力強くてね、鎖帷子着てても首へし折るくらい楽勝みたい。試してみる? ねぇ早く謝ってよ。ごーめーんーなーさーいー、って。話せないの?』
『ヘル! 早く侵入してしまおう、この火薬は兵を呼ぶ為の物だ』
居眠りをしていた門番も起きて、アルに尾で殴られまた眠る。レヴィアタンは門番との諍いを見て機嫌を良くしたらしく、途切れ途切れの笑い声が背後から聞こえる。
『謝れって言ってるんだよ! 何をそんなに意地張ってんの? 五文字だよ五文字、五文字で命拾い出来るんだよ? 反省なんてしてないけどとりあえず言っておこうってことすら出来ないの?』
『ヘル! 意地になっているのは貴方だ、目立つのは危険だと言ったのも貴方だぞ!』
アルが僕の胴に尾を巻き付ける──が、すり抜けた。
『ヘル……!』
今だけはアルに触れられたくない、そう願っていた。アルは透過する条件を知らないはずだが、それを察したのか悲しそうな鳴き声を上げた。
『謝れよ……ほら、さーん、にーぃ……』
「ごっ、ごめん、なさい……」
『……ごうかーく」
集まってきた兵士の群れに投げ付け、角を消す。するとアルにも触れられるようになって、掬い上げられ門を飛び越えた。
アルは僕を乗せたまま素早く屋根を跳び時計台の中に入り込んだ。
『……馬鹿! 何故貴方はそう私の話を聞かないんだ!』
「…………だって……アルのこと穢らわしいって」
『魔獣なのだから当然だ。全く……そんな事で一々怒っていたら時間が幾ら有っても足りんぞ』
「そんな事って何。アル、言われ慣れるほど言われてきたの? 教えて、どこの誰に言われたの。全員僕が──」
『やめろと言っているだろう! 私は気にしていないし、それに……貴方は、その力を振るいたいだけだろう』
アルの怒鳴り声が時計台の中に響く。僕がその声に怯えたのを察してか、アルは声を小さくしてそのうちに黙った。時計の針が動く音だけが耳に届いている。
「……鬼の、力」
二階三階程度の高さまで容易く跳躍し、屈曲な男を片手で投げ、鋼鉄の鎧も引き裂く爪を持つ。透過能力と合わせれば相手の腕も武器も引き止める味方の手も透過して、一方的に蹂躙できる。
「…………にいさまの弟だなぁ……」
先程の行為を素晴らしいと感じていたなんて、他者を虐げることに酔ってしまうなんて、少し強くなっただけで調子に乗るなんて──これだから価値の無い出来損ないだと言うんだ。そんなだから誰からも嫌われるんだ。
「ごめんね、アル……気を付ける。これからは必要な時にしか使わないようにするから……」
『なんで?』
にょろ、とアルの頭の上に小さな海色の蛇が現れる。それは拙い声で僕に語りかける。
『力、あるなら。気に入らない、あるなら。すきに、する。それ、正解』
「…………レヴィアタン?」
口角が釣り上がったような錯覚を残して蛇は消え、代わりに蛇の鱗と同じ髪色をした少女がアルの横に座った。
『少し、でも、気に入らない、なら、力、使お』
『……駄目だ、ヘル。それは悪魔の常識であって人間である貴方には当てはまらない』
『まもの、つかい。魔物、王。悪魔、主様』
レヴィアタンは「力を持っているなら自分勝手に振る舞え」「他者を力でねじ伏せろ」と、それが魔物使いである僕の責務だとでも言いたげだ。
その誘いのおかげで逆に冷静になれた。兄のようにも悪魔のようにもならないと誓いを新たに出来た。
「名前を返したらこの力も消えちゃうし……慣れちゃったら大変だよ」
この時計台で夜を明かそうとアルを抱き締め、目を閉じる。レヴィアタンの舌打ちが聞こえたけれど、彼女も僕の背にもたれて休憩を取った。
もう一度自分は最低の出来損ないだと頭の中だけで罵倒して、アルに直接的な危害が加えられない限り力を振るうなと暗示を掛け、暗闇に意識を手放した。
翌日、僕は時計台の隙間から街の様子を眺めていた。僕が暴れたせいか、元々なのか、兵士らしき者が大勢歩き回っている。僕は悪魔だと勘違いされただろうし、鬼だと名乗ったし、アルの姿は見られているし──国連に要請が出されて天使が派遣されるかもしれない。
「……アル、レヴィアタン。ここで待ってて欲しいんだ」
『何故だ?』
「僕は透明にもなれるし……加護を使えばアルも透明に出来るかなとは思うけど、まだ不安定だし疲れるし……情報収集は一人で行こうと思うんだけど、どうかな」
『ふむ……理に適っているな。しかし、一人で大丈夫か?』
「一人の方が見つからないし……あ、日が沈むまでに戻らなかったら探すか逃げるかして」
『日没か……うむ、分かった。それまでに無事に戻って来てくれると信じ、貴方を待とう』
アルは姿勢を正して座り、僕の腹に頬を擦る。粘っこく刺々しいレヴィアタンの視線が痛い。
「じゃあ行ってくるね。仲良くしてよ?』
見送りの言葉を背に時計台の壁をすり抜け、落ちる。翼を生やさずとも問題無く着地し、兵士の集団を抜け王城に向かった。
兵器の国は本来国としては成立しないはずの人の集団で、正義の国に属国として扱われ始めてようやく国らしい基盤が整った。他の国々と違って王権神授ではないため王族の力は弱く、所謂軍事政権というものになっている。
『城って言うか……研究所みたい』
事実、日夜兵器の研究が行われているようだ。制作は城の隣の大きな建物で、あの地下に竜が捕えられているのだったか。解放すべきだろうが、天使が来てしまっては逃がせない。本当に……僕はどうしてあんなにも感情的になってしまうのだろう、自分にとっても周りにとっても損しかない性格だ、治さなければ。
『…………正義の国と連絡取ってるとことかないのかなぁ』
研究室だけでなく王族が住む場所も実質的な支配者が居る部屋もあるはずだ。狙うべきは実質的な支配者の仕事部屋だろうか。
「──で、──から」
「──だろ? ──でさ」
重厚な扉の前、警備らしい兵士二人がお喋りに花を咲かせている。僕はその隣で壁に背を預け、堂々と盗み聞きをした。
「ちょっと前魔法の国滅びたじゃん。やっぱあの人巻き込まれたのかな」
「あの人って……魔術師? かなんかの人? 帰って来ないよな……まぁ扱い悪かったから逃げたのかもしれないし」
魔法の国の滅亡と、同時期に帰省し休暇が終わっても国に戻らない兄の話題になった。胸のあたりが痛む、息が苦しい……落ち着いて集中しなければ。透明化が不安定になったら大事だ。
「新しい司令官殿は科学崇拝酷いからなー、魔術便利なのに。ほら、あの……核だっけ? あの兵器が完成したら正義の国にも歯向かうかもしれないんだろ? やばいなー……国出てー」
「聞かれたらやばいこと廊下で話すなよな。でも……そうだな、俺も休暇取れたら海外旅行とか言って、そのまま逃げよっかな……」
どうやら兵器の国の危うさは国民や兵士達も分かっているらしい。
「どうせならまたあの人の下で働きたいよな」
「分かる……怪我も病気も一瞬で治してくれるし疲れも取ってくれるし……態度でかいけど優しいんだよなぁー」
兄の話だろうか。以前の時空では兄は兵士達に嫌われていたが……今は慕われる上司になれていたようだ。僕が完全な無能ではなくて性格が歪まなかったからだとしたら嬉しいし、虚しい。
この時空では兄は自分の才能を理解して他者を見下しながらも、下の者達に心を配る余裕があった。ゴミとして蹴散らすのではなく、手足として世話をしていた。
それが完璧な人間とは言わないけれど、僕にとっては最高の兄だ。その薄まった探究心と芽生えてしまった優しさのせいで死んでしまわなければ。
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