第394話 処女懐胎

ランシアとその腕の中の女の子は呆然と僕達を見つめている。またフェルに彼女達の傷の手当を頼んだら話を聞こう。


『なんでいきなり走り出すの!? どーして何も言わずにふらふらふらふらするのかな! それでよく神を名乗れるね尊敬するよ!』


『褒めるな、照れる』


『褒めてないよこのっ……この、あぁもう!』


トールに追い付いてきた兄は僕達に見向きもせず彼に怒鳴り散らしている。


「フェル、魔法お願い」


『弟使いがあらーい』


僕達はそんな兄から意識を逸らし、フェルは川辺でやったように魔法陣を描いていく。


「……あの人達は?」


どこか疲れたような、怯えているような、そんな表情でランシアは尋ねる。


「僕の兄とその友人です」


「そう……お兄さん、良かったわ」


「お姉さんこそ、その子は?」


「…………私の娘、グロルよ」


グロルの手足には無数の傷があった。それが投石によるものだけでは無いことは容易に分かる。グロルはその黒い髪の隙間から、僕に血のように赤い瞳を向けている。ランシアは金髪に青い瞳だ、肌の色も違うような──父親似か? 聞くのは無礼だな。


『……汝の傷は癒えたり。あぁダメだ足りない、もう一回……』


フェルが手を翳すとランシアが負った傷が肩から二の腕にかけてだけ癒える。言っていた通り、治癒魔法はあまり得意ではないらしい。この分では全治するまでに日が暮れてしまう。


「…………ね、ねぇ、にいさま。お願いがあるんだけど」


トールの胸倉を掴んだまま黙って睨み続けている兄のローブの裾を引く。兄の表情は途端に変わり、少し屈んで猫撫で声で「なぁに」と尋ねた。


「あの人達の怪我……治してくれないかな。あの、えっと、そしたら……良い情報、聞けそうだから」


『…………分かったよ』


兄はあからさまに不機嫌になりつつも、トールを突き飛ばすように離して母娘に手を翳した。詠唱も無く、空中に大きな魔法陣が一瞬で描かれる。魔法陣が眩く輝いて消えると、母娘の傷は完全に癒えていた。


『……これでいいんだろ』


「うん、ありがとう。にいさま」


精一杯の笑顔を作って、兄の手を握り締める。


『……っ! ふ、ふふっ…………うん、どういたしまして』


機嫌が治ったようで何よりだ。


「あの……ありがとうございます。ほら、グロルも……」


「…………やっ!」


グロルはランシアの後ろに隠れ、兄を睨む。

何故だろうか、既視感という親近感というか、同族嫌悪にも近いものを感じる。流石にこんな小さな子供に嫌悪感は抱かないけれど、とにかく似たものが傍にある気がする。


「ごめんなさいね、この子人見知りで…………あの、ヘル君とフェル君のお兄さん……?」


『エアオーベルング。エアでいいよ、様を付けてね』


「……エア、様?」


ランシアは戸惑いながらも様を付ける。治療の恩と、その力を恐れたから、だろう。


『何?』


ランシアが従順だと分かったからか、兄は人間と話しているのに比較的上機嫌だ。


「ありがとうございます、何とお礼を申し上げていいか……」


『弟の頼みに応えるのは兄の義務だよ、君の為じゃないから勘違いしないで。ヘル以外からの感謝なんて尻尾が切れたトカゲより無価値だ、それに不快』


上機嫌だからか罵倒のキレもいい、トールに怒り切れずにいたストレスかもしれない。


『そうそう、聞いておこうかな。なんで君達そんな嫌われてるの?』


「…………家が近くにありますので、そこで……」


兄は周囲を見回す。僕とフェルは兄に倣って首を回し、住民達の粘っこい視線に気が付いて倣った事を後悔した。


『……ふん、まぁいいよ。お茶出してよね』


「ええ、もちろん」


ランシアに手を引かれたグロルは歩きながらも後ろを向いて、僕達を睨み続けている。若干の居心地悪さを感じながら、僕は兄の袖を引く。


「ねぇ、十六夜さんは?」


『鬱陶しかったから振り切った』


「そ、そう……」


兄は僕の手首を掴んで、嬉しそうに口の端を歪ませる。


『あんな間抜け、気にしなくていいだろ?』


「うーん……まぁ」


あれで結構頼りにはなるのだが、いかんせん騒がし過ぎる。今回僕は悪魔の子を引き取るか逃がすかするつもりだし、十六夜やオファニエルは居ない方が都合が良い。


「こちらです」


他の家々とは少し離れて、薄汚れた壁の家。質素なその中に入って、兄は遠慮なく椅子に腰掛けた。


『お茶はぬるめ、味はどうでもいい、お茶菓子は歯応えがあるやつ』


椅子が足りず、僕とフェルは兄の両隣に並び立つ。向かいにランシアが座り、トールは扉にもたれかかる。


『ん、良い温度。で? 早く話して?』


「はい。グロル、あっちで遊んでらっしゃい」


「やぁー!」


グロルはランシアにしがみつき、首を激しく横に振る。


『……小人、俺と遊……』


「いやぁぁぁー!」


大声で拒絶されたトールは無表情を保ったが、僅かに丸まった背から落ち込んではいるのだと分かる。


「……グロル、くまさんにケーキをあげてきて」


ランシアはケーキを模した布製のオモチャをグロルに渡す。グロルは首を縦に振って、奥の部屋に駆けて行った。


『面倒な子供だね』


「ええ……可愛い娘です」


硬くなっていた表情が僅かに柔らかくなる。


『は? ヘルの方が可愛いよ。手間かからなかったし、静かだし、何より僕に似てる。ほら見て可愛い、そっくり』


「や、やめてよにいさま……」


『ほら、兄様って呼んでくる』


「やめてよぉ……」


どうしてそこで張り合うのか理解出来ない。ランシアも困ったように笑っている。


『…………話逸れた? 何の話してたっけ。ヘル可愛い?』


『どうしてランシアさん達が嫌われてるのか、じゃなかった? あとお兄ちゃんは……ほっといたら死ぬからほっとけないってのが可愛いって錯覚するだけだと思う』


放っておいても死なないと反論したいところだが、また話が逸れるし多分僕は放っておかれたら死んでしまう。


「どうして……そうですね。あの子には……父親が、居ないんです」


『あぁー……まぁ、よくあるね。死んだの? 逃げられたの?』


「いえ、私も……あの子の父親が誰なのか分からなくて」


『……へぇ? 意外、清純そうに見えるけど』


「…………私が、異性との同衾の覚えも無いと言ったら……信じてくれますか?」


この話は兄に任せた方が良さそうだ。僕は兄に出されたお茶菓子を齧って暇を潰すとしよう。


『単細胞生物には見えないけど、分裂でも出来るの? なんてね……処女懐胎って訳?』


「分かりません……でも、あの子を身篭る前、不思議な夢を見ました。外を歩いていたら、黒い翼を生やした……男にも、女にも見える、綺麗な人が居て…………その眼は、山羊のようで、その眼に睨まれて……そこから先は覚えていません。朝起きたら、お腹がとても痛くて、昼頃には膨らみ始めて」


ランシアの話を聞いて、兄は小さな声で「当たりだ」と言って口元だけに笑みを浮かべた。


「……あの子は、その日から三ヶ月で生まれました」


『ふぅん……大きさは?』


「普通の子よりも、大きくて。たまに……血まみれで帰ってきたり、鶏の首を持っていたりして、それでっ……町の人達に気味悪がられて」


『なるほど、悪魔の子ってのはそれか』


悪魔の子という言葉に反応して、ランシアは机を叩いて立ち上がる。


「あの子は、悪魔なんかじゃっ……!」


『……実はね、天使が来てるんだよ。正確には夜に来る』


「天使……? この国には、来ないんじゃ……」


『来る。悪魔の子を殺しにね』


「……そんな。違う、あの子は、グロルは! 本当は優しい子で……」


僕が考えていた、悪魔の子の母親はどういう者かの予想は外れていた。アルの言った通り、慈悲深い善い人だ。羨ましいことに。


『で、もう先遣隊はここに来てる。そう、僕達』


「ぇ……」


『多分その辺にいると思うけど、黒い長髪の女は天使の加護を受けた者だ。でも、僕達は違う。僕は魔物使いの一派だ、つまり……魔物の味方、君達の味方、仲間の魔物が危ないから天使に協力したフリをして助けに来た』


一派だ、なんて。兄の口から出た言葉とは思えない。僕は道具のはずなのに、そんな僕が長のような口振りなんて。ランシアを安心させる為の方便でも、兄に認められた気がして嬉しい僕は、本当に救いようのない愚か者だ。


「えっと……グロル、は……」


『守ってあげる』


「……ありがとうございますっ!」


『…………でも、変なんだよね。あの子供……魔性をそんなに感じないんだ。本当に悪魔の子かどうかは分からない。まぁ、人間ではないことは確かだけど……』


「……ま、守ってくださるんですよね? あの子は……」


『ああ、今回は一応ね。でも魔物じゃなかったらその後は知らないよ、引っ越せば? 娯楽とか酒食とか他人に無関心でいいと思うよ』


魔物ではないと分かればオファニエルは手を引くはずだ、それなら僕達の力は必要無い。それどころか不当に虐げられているとして天使の保護を受けるかもしれない。

どちらにせよ、夜にならないと行動は出来ない。

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