第389話 牢獄の国へ

フェルの頭を撫で回していると、ダンっと机の上に本が叩きつけられた。僕とフェルは怯えながらそれを置いた人物を見上げる。


『やぁ、楽しそうだね。またお友達? 増えたね……』


口だけは笑顔を作っているが、その瞳は憎しみに満ちている。


「にいさま。おかえり」

『おかえり、にいさま』


『…………ただいま』


空席から椅子を引っ張り、僕の隣に置く。疲れたようにどさりと座って、そのまま机に突っ伏した。

兄に倣って椅子を持ってきたトールに今までの説明を求める。


『エアが……頭を触ったら、えぇと……なんか、叫んでたな。しばらくしたら死んでしまった』


『痛覚操作かな。ショック死じゃない? もしくは飽きたにいさまが殺したか』


『知らん。で、エアはそいつを喰った』


説明されなくても良かったな。カヤの報告やフェルの予想で十分だった。

十六夜が二人の紹介を求め、オファニエルがトールを見て硬直する。


「こっちは僕の兄、こっちは……トールさん」


天使やその加護受者を前に「神様です」と紹介出来るほどの度胸は持ち合わせていない。それがこれから共闘する者達なら尚更だ。


「ヘルさん、兄弟が多いのですね! 一人っ子だと思ってました!」


『分かる、分かるよ。寂しがりで甘えたで、すぐ泣くからね。一人っ子っぽいよね』


「…………一人っ子の認識歪みすぎじゃないかな。あと! フェルは僕と変わらないだろ!」


『僕は君より開き直ってる』


「より悪いよ!」


フェルは何かと人を揶揄う癖がある。本当に僕の複製なのか怪しんでしまうほどに嫌味ったらしい。記憶消去と兄との暮らしで厭世的なところが増したのだろうか。


「た、楽しそうですね。それで、トールさん? は……なんだか、凄い力を感じます。それも神力を! も、もしや私と同じ加護受者では……!」


どう紹介すべきだろうか。十六夜はまだ分かっていないようだが、微動だにしないオファニエルが気が付いているのは分かっている。

創造主が自分以外の神性を神と認めていないなら、精霊と紹介すべきなのか。


『俺は神だ』


僕の悩みなど露知らず、トールは端的に自己紹介を済ませた。その言葉だけなら頭がおかしいと思えるほど、端的に。


「……ふぇ?」


『きっ……急用を思い出した! 帰る!』


「て、天使様!? 待ってください、牢獄の国は……」


『知らん知らん! 私は何も見てない! 何も知らない! あー何も聞こえなぁーい!』


成程、創造主以外の神と出会ってしまった天使はこうなるのか。

オファニエルはその翼に月光を貯め、足を掴む十六夜ごと浮き上がる。


「え……ちょ、ちょっとオファニエルさん! そんな無責任な……」


「きゃー! 浮いてる! 降ろしてください天使様ぁ!」


オファニエルを降ろせたらそれが一番だが、僕には出来ない。トールに頼んでも聞いてくれるかどうか分からないし、兄は先程から動かない。アルも物音を立てないから多分眠っている。

だから僕はフェルに十六夜が落ちてきたら受け止めるよう頼んだ。


『お兄ちゃんは脆いからなぁー。分かった……寒っ!?』


渋々と立ち上がったフェルは自分を抱き締めてその場にしゃがむ。


「…………カヤ、かな」


待機中は何ともないが、動き出したカヤに身体を透過されると背骨が氷柱と入れ替わったかのような寒気を覚えるのだ。


『ヘルの知り合い変なのばっかり……』


「お兄ちゃんって呼んでよ」


『うっわぁにいさまの血を感じる』


オファニエルの頭上にカヤが姿を現す。カヤはオファニエルにのしかかり、彼女と十六夜を地に落とした。


『な、何をするんだ! 魔物使い、君か!』


「僕知りません」


僕は咄嗟に顔を逸らし、そう言った。


『嘘をつけ、さっきのは間違いなく魔性の類だ!』


「知りません」

『お兄ちゃんは何も知らないと思います』


立ち上がったフェルは僕が座った椅子の背に手を付いて、僕の味方をしてくれる。


『くっ……覚えてろよ……』


『冤罪は良くないと思いまーす。疑わしきは罰せず、が原則であるべきでーす』

「そうだそうだー、証拠を出せー」


考えを誰よりも理解している強力な味方を得て、自信が湧いた僕はフェルと共にオファニエルをやじる。


『そっくりだな……ムカつく。鳴神! 平気か?』


「天使様がとても重くて……」


『よ、鎧の分だ!』


「早くどいてください……」


オファニエルはすぐに立ちあがり、十六夜を助け起こす。その間も僕達は野次を飛ばし続けた。


『太ったんじゃないですかー』

「仕事真面目にやらないからー」

『どーせ移動も飛んでるんでしょー』

「歩けー」


『うるさいな君達は! なんなんだ急に!』


「……ごめんなさい」

『……大声出さないでよ』


けれどやはり怒鳴り声には弱く、大きくなった気が急速に萎んだ。


『よっ、弱いな…………全く、もういいから、早く牢獄の国に向かおう』


「誰が言ってるんだか……」

『誰が時間食ってたと……』


『何か言ったか!』


「何も」

『同じく』


目線を逸らし、移動するよとアルに声をかける。アルは欠伸をしながら机の下から這い出でる。兄も眠っているようだが、声をかける気が起きない。


「トールさん……その……」

『にいさま起こしてください』


『分かった』


トールは兄の襟首を掴んで頭を持ち上げ、額を人差し指で弾いた。兄は椅子ごと後ろにひっくり返り、飛び起きてトールに掴みかかる。


『何してくれてんの……?』


『弟達が』


トールは僕達を指差す。兄はトールを突き飛ばし、こちらを向く。その形相に怯えた僕達は共に顔を激しく横に振り、互いを指差し合った。

兄は黙って僕達の額に手を添えると、再びトールに掴みかかる。


『起こせとしか言われてないだろ何で殴った!』


思考を読まれたのだろう。兄が近くにいる時は兄の機嫌が悪くなりそうな考え事は出来ないな。


『……起こしただけだが』


『殴っただろ!? このっ……バ……』


『バ?』


『ば……こ、言葉は、ちゃんと、誤解がないように、伝えようね?』


『分かった。今度から確認しよう』


怒りで冷静さを失っていても、本気でトールに喧嘩を売るような真似はしない。兄が消化不良でストレスを貯めるなら、自分達で起こせば良かった。


『で、君達は……』


「鳴神・十六夜と申します! 天使様の加護を受けた月の天使です! よろしくお願いしますお兄さん、びっしぃ!」


その擬音語はやめて欲しい。兄が更にストレスを貯める。


『オファニエル。月の天使だ』


まともに名乗るかと思われたオファニエルも、十六夜と同じようなポーズをとった。


『……あ、そ。新しい情報は無しって訳。で? 牢獄の国に行くんだろ? 早くすれば?』


兄は僕とフェルの記憶を読んだのだから、そもそも自己紹介など必要無かったのだ。無駄にストレスを貯めただけ。


『冷めてるな……鳴神! 牢獄の国ってどう行くんだ?』


「え? 調べてないんですか?」


『来月の予定だったからな……この国から直通の船はないのか?』


「さぁ……」


この国は内陸部で、船着き場すら存在しない。

兄は舌打ちをして僕を抱き寄せる。


『……空間転移してあげる。分断されたくなければ、近くに寄りなよ。それと天使! 海に落ちたり崖に出たりしたくなかったら緯度と経度教えて」


石畳に魔法陣が描かれていく。僕が今まで見たものの中でも一二を争う大きさだ。魔法陣の光が増していき、目を眩ませる。光が収まった頃には僕達は別の場所に立っていた。


『んー……本当にここで合ってるの?』


『あぁ、この集落だ……と、ころで、その……』


眼前には切り立った岩山、背後には小さな集落。何度か訪れているが、こんな場所は知らなかった。僕が訪れた事があるのは城下町と零の教会だけ、あの町の他にも小さな町が点在していたのだろう。


『……私の羽、切れてないか?』


オファニエルの翼は短くなっており、その端は垂直に見えた。


『魔法陣からはみ出てたんじゃないの? 僕は近寄れって言った、文句は受け付けないしそれでも言うならトールが相手だ』


『あの白い羽の奴を殴ればいいのか?』


『君は脅しってものを理解して』


『…………文句は無い、すぐに再生するし……問題、無い』


文句も問題も大いにある、という具合の顔だが、トールを前にそれを言える者は居ない。少なくともこの世界には。


『魔物を殺すんだっけ? 早く行こ、どこ?』


僕から手を離して、オファニエルに歩み寄る。オファニエルは懐からメモ帳を取り出して兄に渡した。

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