大神の集落にて悪魔の子を救出せよ

第390話 悪魔の子

兄はオファニエルから受け取ったメモを捲り、ため息を吐いた。僕に迷惑そうな目を向け、また深く息を吐く。


『……ハーフだからな。力もあまり目覚めていないようで見つけにくい。別れて探そう、見つけたら大声を上げろ』


『探す……ね、こんな真っ暗な集落で?』


点在する家々から漏れ出した光は僅かで、また街灯もない。フェルが灯した光がなければ足元すら見えないだろう。


「明日からにしませんか? 満月はまだですし」


『私は昼間では満足に動けないからな……そうだな、昼の間に見つけて、夜になるまで見張るか何かしていてくれ』


僕の提案にオファニエルは頷いた。扱いやすい性格の人は好きだ。


「分かりました! では今日はここで解散、明るくなったらここに集合、でいいですね?」


十六夜が元気に声を上げる。真夜中なのだからと手振りで諌めた。


『よし、目印に剣を刺しておく。月が昇ったらまたここに集合してくれ』


月の光を受けて輝く剣。オファニエルはそれを地面に突き刺し、完全に再生した翼を広げて天に帰った。

十六夜も「また明日」と言って去って行った。この辺りで宿が見つかるとも思えないが……まぁ、彼女なら心配する必要はない。


『はぁ……面倒臭い。変な仕事引き受けないでよね、報酬はあるの?』


「分かんない……多分、無いよ」


『あ、そ』


僕が今心配すべきなのは兄の機嫌だ。


「…………ごめんなさい」


『あ、ああ! 別にいいんだよ。ヘルがやりたい事なんだろ? 大丈夫、お兄ちゃん協力するよ』


「……無理しないでね」


『お兄ちゃんが悪魔の落とし子如きにどうにかなると思ってるの? 無理なんてしないよ。いや、出来ないよ』


僕が「兄は無理をしている」と思うのは魔力や体力的な意味ではなく、もちろん戦闘に関するものでもない。自分勝手な性格のくせに僕に協力しようとするところだ。それによるストレスが爆発する事が怖いのだ。


『さて、明日集合なんだよね? じゃあ今日はもうおうち帰ろっか。ほら、集まって』


再び魔法陣が地面に描かれていき、眩い光に包まれる。光が収まると、僕達は暖炉の前に立っていた。


『寝る……には早いね、夕飯は?』


「カフェで食べたばっかりだし……僕は要らないかな」


『そう? なら……フェル! お風呂用意して』


『しょーちのすけー』


フェルは杖を持ったまま部屋を出ていく。

兄は安楽椅子に腰掛け、膝の上に僕を誘う。このよく分からない行動にももう慣れた。僕は兄の膝の上に飛び乗り、自分の膝にアルを誘った。


『悪魔が置いていった子供を殺す、と言っていたな。天使の仕事にしては簡単過ぎると思うのだが……』


アルは僕の膝の上に顎を置き、椅子を揺らす。


「んー……通報だって言ってたし、あの国には今神父様居ないし……」


国連加盟国の魔物絡みの問題は大抵、その国に常駐する神職者や監視役の天使が担当する。牢獄の国には監視役が居らず、また今は神職者も居ない。だからと言って人間の助けを求める声を無視する訳にはいかず、役不足ではあるが遊撃兵のオファニエルが選ばれた──と言ったところだろう。


『悪魔が子供置いてくってどういう意味? わざわざ人界に捨てに来たってこと?』


「ハーフとか言ってたし、離婚したのかも……ぁ、待って、人間と悪魔って結婚出来るの?」


『…………酒食の国では出来たな。だが、そういう意味では無いと思うぞ』


アルは少し呆れたような、面倒臭そうな顔をしている。


『人間に孕ませたってことだろう?』


トールが椅子の背に手を置いて、椅子を後ろに傾ける。


『……だろうな』


『よくやるよな。お前はやったか?』


アルはじっとトールを睨み付けている。理由はよく分からないが、神にそんな目を向けてはいけない。僕はアルの頭を撫で、無理矢理に視線を僕に移させた。


『なら……母親は? 生きてるの?』


『死ぬのか?』


『いや、悪魔の子なんて産んでも殺すでしょ。天使に頼んできたってことは子供は生きてる。なら母親は死んでる。返り討ちにあったか、産む時に負担がかかり過ぎたかは分からないけどね』


兄はいつもトールと話す時は不機嫌になるのに、珍しくも声色が変わらない。トールがとぼけた発言をしていないからだろうか。僕が膝の上に居るから──なんて、自惚れはよしておこう。


『兄君は分かっていないな。腹の中に何ヶ月も居るのだ。悪魔だろうと望んでいなかろうと、そう簡単に自らの子を殺したり出来るものか』


『分かってないね狼さん。僕の母親は何度かヘルを殺そうとしたよ? 悪魔でもないし、望んでいた子だけどね』


「…………自分の血を引いてるのに思ってるのと違ったんだもんね、仕方ないよ……」


父は始めから不干渉だったが、母は僕が無能だと分かってすぐは精神が不安定になって、よく暴れていた。兄が居なければ僕はとっくに母の手で殺されていただろう。


『子供……なぁ。頻繁に自分の子に丸呑みされている義兄弟ならいるが……』


『あ、その話は今いらないよ』


『そうか』


アルはバツの悪そうな顔をして、僕の太腿の間に鼻先をねじ込んでくる。


『育てさせる為に暗示かけた、とかもあるかな』


『……愛情深い母親という可能性は』


俯いたまま瞳だけを上に向け、アルは今にも消え入りそうな声を出す。


『愛、ね。自分の望み通りでないものにそんな感情向ける人間がいるとは──待てよ、望み通り……だったとしたら? 悪魔崇拝だったとしたら……』


『…………ヘル、兄君。貴方達は……もう少し、純粋な物の見方をだな』


「無理だよ。アルだって葉っぱしか食べちゃダメって言われたら無理だって言うでしょ」


アルは僕の喩えに納得していない様子だったが、僕から離れて暖炉の前に丸まった。僕にはそれがふて寝に見える。


『悪魔崇拝だったとしたら教団敵に回すかもだし、僕は母親死亡説を推したいな』


「じゃあ僕もそれで」


どうせなら明日の作戦を立てておきたかったが、ただの背景推察の遊戯に終わった。結論が固まったところでフェルが「風呂の準備が出来た」と呼びに来た。




久しぶりに落ち着いて風呂に入った僕は、身体の熱が逃げないうちにベッドに潜り込んだ。アルはまだ毛や翼を乾かしている最中で、フェルは僕と交替に風呂、このベッドに熱源は僕しかいない。


『ヘルー、歯磨きは?』


頭まで被っていた布団が捲られたかと思えば、そこには寝間着に着替えた兄が立っていた。


「持ってきて。もう出たくない」


『……仕方ないね、口開けて』


この程度のワガママなら言うのも怖くないくらいには兄を信用してきた。


『浄化魔法変質…………はい終わった、おやすみ』


一瞬口の中に冷たいものを感じたが、その後には爽やかさが残った。兄は布団を戻すと灯りを消して部屋を出ていった。

入れ替わりにアルが入ってきて、隣に潜り込んでくる。


『もうここに居たとはな。歯は磨いたのか?』


「うん」


『口を開けろ………………ふん、完璧だな。一体何時の間に……まぁ、いい。もう眠れ』


大きく柔らかなベッドの上、アルを抱き締めて眠る。こんな日々が続いたなら、僕はどんなに幸せだろう。


『…………なぁ、ヘル』


「何?」


眠れと言ったくせに話しかけてくる。アルにはそういうところがある、僕はそういうところも好きだ。


『私には居ないが、母親というのは無償の愛を与えてくれるものだ』


「そんなのが居るのは運がいい人だけだよ」


『……かもな。でもな、ヘル。私は……私の貴方への愛は、それに近いと思っている。勿論本質は違うがな。私は貴方の為なら身を滅ぼしたって構わない』


「ふーん……」


その言葉は嬉しいけれど、フェルと初めに出会った時の事もあって今は信用し切れない。

けれどやはり、嬉しい気持ちは溢れてくる。僕は素っ気ない返事をしながらもアルを抱き締めていた。


『……ヘル。私は貴方に知って欲しい。無償の愛の存在を、貴方はそれを享受するに足る存在だと。だからな、ヘル。私は貴方に家族を持って欲しい』


「居るじゃないか……」


『…………あんな、紛い物ではなく。血と絆が繋がった本当の家族を……』


「紛い物……? 紛い物って何? にいさまが、フェルが、紛い物だって言うの?」


抱き締めたその腕でアルの首を絞める。けれど、僕の力では大した意味はない。アルにとっては強く抱き締められただけだろう。


『……そもそも、彼等は真っ当な生き物ではない』


「君がそれを言うの?」


『…………ああ、そうだな。私は合成魔獣だ。だから……私でも駄目だ、本物の人間と…………幸せになって欲しい』


「………………そう」


僕が今まで感じてきた幸せは紛い物だったのか。アルはそう思っていたのか。

僕にとってこの家の暮らしは理想に最も近いものなのに、アルはそれを紛い物だと言うのか。

ああ、何故だろう。とても温かいはずなのに、先程までは温かかったのに、今は寒くて仕方ない。

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