第384話 望んでいた最期の仮初

僕達は地下に連れられ、格子で区切られた狭い牢屋に一人一人入れられた。端からアル、僕、フェル、兄、トールの順番だ。


「……何をする気なの?」

「……痛いのは嫌だよ?」


僕が双子を睨むと、その隣でフェルが怯えた目で同情を誘う。


「今度書く童話のシーンの参考にしたいんだ」

「意地悪な姉が末っ子を虐めるシーンだよ」


ウィルが僕の牢屋に原稿用紙を投げ入れる。僕はそれをフェルにも見えるように傾けて読んだ。



''姉は皮剥きを手に取り、それを末っ子の──にあてがいます''



皮剥き、というのは野菜の皮を剥く時に使う調理器具の事でいいのだろう。ジェイが持っているし、僕が想像している残酷なことも起こるのだろう。


「い、痛いの嫌だって言ったじゃないか! 僕はやだよ、僕は嫌! 別の人にして!」


フェルは格子を掴み、ガシャガシャと揺らし、身勝手に懇願した。

僕はカリカリと床を引っ掻き首を傾げるアルを一瞥して、格子の隙間から腕を伸ばした。


「僕にやって」


「……おや、双子のようなのに真逆の反応だ。興味深いね」

「それとも、やれと言ったら逆にやられないとでも思ったのかな」


「お願いがあるんだ」


「お願い?」

「どんな?」


交渉材料は無い。彼らは僕達の全てを思うがままに出来るのだから、見返りなんて与えられない。

だからあくまでも『お願い』だ。


「僕に何やってもいいから、アルは逃がして。本を書いてるんでしょ? 狼に用なんてないよね? 僕、自分で言うのもなんだけど、痛みには弱いし自分さえ良ければいい最低な人間だから、僕で遊ぶのは楽しいと思う。僕が居れば十分だよ、きっと……だから、アルだけは」


「うぅん、君は本を読まないね?」

「童話の悪役は長子に継母、そして狼と相場が決まっているよ」


「お願い! お願いだよ、僕に何したっていいから、アルだけは……!」


「そういうお願いの仕方、インスピレーション湧いてくるよ」

「兄さん? 聞いてやる気? ぁ……あぁそうだ、いい使い道がある! その事だね!」


ジェイはウィルと目を合わせてニッコリと笑う、それに返すようにウィルも同じ笑みを作る。


「よぅし、決めたぞ。僕はピーラーの方をやるよ。双子の片割れ君はそのワンちゃんを連れてこっちにおいで。ウィル、この子達を外で観察しておいで」


僕とアルの牢屋の扉が開く。ウィルは僕達を先導する。どうやら僕への責め苦は別室で行うようだ。

枷などは無いが、ここで逃げても意味は無い。どうせすぐに捕まって、僕もアルも時間をかけて殺されてしまう。


「こっちだよ」


先程下りてきた階段を今度は上がっていく。扉を何枚か越えて、僕とアルは数分ぶりに太陽を拝んだ。


「…………逃がしてくれるんですか?」


「そのワンちゃんはね」


信用していいのだろうか。僕は疑念を残しながらも機械的に「ありがとうございます」と頭を下げた。

魔力も知性も無くしたアルを逃がしても、助けを呼ぶことは出来ない。ただの狼を野に放つだけだ。けれど、それはきっとアルにとって新たな幸せになるだろう。


「……アル、おいで」


僕にはやらなければならない事がある。人間と魔物の架け橋とならなければならない。けれどそれは存在意義を見出したいだけの身勝手で、善でも正義でも何でもない。

存在価値が無ければ生きていてはいけないと思っている。だから夢だと騙っただけ。僕が本当にやりたいのはアルを幸せにする事だけ。

『黒』との約束も守りたいけれど、彼女にもう一度指輪を渡したいけれど、一番は何かと聞かれたらそれはアルの幸福だ。


「大好きだよ、アル。愛してる……」


アルは真っ直ぐに僕を見つめ、不思議そうに首を傾げる。


「…………行って」


街の外を指差す。けれどアルは首を反対に傾げ、それから僕の足に擦り寄った。

僕は地面に膝をつき、アルの前足を太腿に乗せる。そうするとアルは嬉しそうに僕の頬を舐めた。

ダメだ、僕の言うことを聞く知性すらない。まぁこれはこれで──


「待ちなよ。まだ逃がしていいって言ってないよ」


「…………何をすればいいんですか?」


「はい、これ」


ウィルは僕に大きな包丁を手渡す。


「……アルを、刺せって言うの?」


「違う違う。刺すのは君自身。自分のお腹だよ」


「自分の……腹?」


それなら、いいか。魔物使いの力を失ったら僕は本当に無価値な人間なのだから、僕は死ぬべきだしそれでアルを救える、御の字だ。

僕はウィルの説明を聞く前に、自分の腹に包丁を突き立てた。


「……っ、ぅ、あ……」


冷たいものが中に入ってくる。けれどその冷たさは一瞬で、次の瞬間には熱さが襲ってきた。ウィルは僕の行動の早さに驚きながらも本を開き、スラスラと物語を綴った。


「狼は悪役だと言ったね。そして狼は肉食。なら、人間を食べるシーンがあると思わないかい? 僕はそれを書きたい」


アルは腹を押さえて丸まった僕の頬をまだ舐めている。

僕の腹に刺さったのは包丁のほんの先端で、身体を丸めて患部を手で押さえているから、そこまでの出血は無い。だが、アルはその血の匂いに反応した。


「さぁ、見せておくれ。狼に食べられる人間の姿を。愛する者に食われる感情を」


ウィルが再び一文を記すと、僕の身体は勝手に動く。仰向けになって、手足を伸ばした。止血されなくなった腹からはどんどんと血が溢れてくる。


「ほら、ほら、美味しそうだろう? 食べてご覧、君のことが大好きな、君が大好きなご主人様のはらわたを!」


僕は達観したつもりでいながらも、その実状況を楽観視していた。心のどこかで助けが来ると思っていた、アルが僕を喰らうはずがないと考えていた。だから腹に刺さった包丁も、手の支えがなくなって倒れる程度の刺さり方だった。

包丁が石畳にカランと音を立てる。アルは鼻を鳴らしながら僕に前足を乗せた。


「……アル?」


分かっている。僕を食べたくないんだろ?

大丈夫。きっと誰か来てくれるから。

また二人で色んな景色を見よう。

大丈夫、助かる。この傷だって治してもらえる。だから、ねぇ……そんな眼で僕を見ないで。僕に牙を見せないで。


「……っ、ぅあぁああぁあっ!? アル!? やめっ、痛いっ! いやあああぁああっ!」


細長い傷口を押し広げ、皮を破り、内臓を一直線に目指す。


「あれ、愛してる仔に食べられてるのに、そんなものなの? もっと、こう……愛おしそうに見守るのかと、腹に潜る頭を撫でるのかと、思っていたけれど……」


アルに喰われるのは望んでいた死に方の第一候補だ。けれど、こんなに痛いなんて予想していなかった。


「やめろっ! やめろよアル! 僕っ……が、分からないの!? アっ……ル、やめろって……」


「…………覚悟は出来ていなかったみたいだね。失望だよ。でも、そうか……そう食べるんだ。よしよし、いい作品になるぞ……」


アルは鼻先を振って僕の腹の中に潜っていく。何かを見つけて引き摺りだし、美味しそうに噛みちぎろうと首を振る。


「っああぁあぁぁ! ぃ、たいっ! 痛い、ゃ、アル! 痛いよっ!」


「んー……腸、かな。そう引っ張るとそうやって出てくるのか…………挿絵も描けそうだな」


「ふっ、ぅ、あ……ころ、す…………殺してやる、殺してやる、絶対に……殺してやるっ!」


「……さっきまで大好きだとか愛してるとか言ってたくせに。はぁ、君はただの人間だね、つまらない……けど、普通じゃなきゃ読者の共感を得にくいし…………まぁ、及第点か」


勝手に石畳を引っ掻いた爪は剥がれてしまった。靴が脱げても気にせずに叩きつけ続けた踵は砕けてしまった。

それでも僕はウィルに怨みをぶつけ続けた。


「殺してやる、殺してやる……僕と同じに、その腹、引き裂いて…………中身、引き摺り出して、殺す。殺してやる……殺してやる殺してやる殺してやるっ!」


喰いちぎった僕の一部を飲み込み、再び僕の腹を抉ろうとしたアルは何故か後ろに飛び退いた。その理由はすぐに分かった。

アルが食んでいた部分より少し上、胃の下あたりから蔓が伸びていた。


「…………は?」


ウィルは僕の腹から伸びた不気味な蔓に放心する。細く長く伸びた蔓に打たれたウィルは隣の家まで吹っ飛び、塀に叩きつけられ気絶した。

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