第383話 双子の作家
''あぁ、どうしたことでしょう。しっかりと鍵がかかっていたのにも関わらず、ドアノブを握ると扉は簡単に開いてしまいました
──中略──
なんともはや不思議なことに、彼に向かってくるあらゆる凶器やそれに準ずるものはサラサラと崩れ、塵に還ってしまったのです''
ゆっくりと開いた扉の向こう、そこには先程会った双子の男達が立っていた。フェルが放った火かき棒も振るった斧も、彼らに触れる直前に砂のように崩れて消えていった。
『……っ、崩れた!? 我は我が敵を討ち滅ぼすものを求めん。黄衣の──』
フェルは杖を掴み取り、詠唱を始める。空中に描かれていく魔法陣を見て、ジェイの背に隠れたウィルが分厚い本に筆を走らせる。
''なんともまぁ不思議なこと。けれどそれは当然のこと。彼に向かう悪意は全て消え去る。歯向かう彼らの魔力など効くはずもなかったのです''
魔法陣が円と成り、淡い光を放つ。
『……汝、切り刻まれるべし。裂風!』
魔法陣から風が巻き起こる。裂風はその名の通り、風を操り旋風を起こし真空を作り出す魔法だ。人間ならば重度の裂傷を負うはず、だった。
『…………え? そんな、発動はした……はず』
『フェル! どけ!』
兄は僕をローブの中に隠し、自分の周囲に無数の小さな魔法陣を浮かび上がらせた。
『雷槍!』
無数の魔法陣から無数の電撃が放たれる。雷槍は凝縮した魔力に雷の属性を付与して撃ち出す魔法だ。速さも威力も申し分無しで、今の量なら人間は炭化してしまうだろう。
そのはずだった。けれど、双子はかすり傷一つ負っていない。
『フェルが弱いって訳じゃなかったみたいだね。結界は見えないし、無効化……? 魔封じの術の応用かな……』
兄は魔法が効かなかった事に驚きながらも冷静に分析しようとしていた。
「…………本だ。みんな、あの本を取り上げて!」
僕は文字を綴り続けるウィルの姿を見てルートを思い出す。獣人の国の肉食の村で虐殺を行ったあの男を。彼の力は、確か、文章を作ることで相手に幻覚を見せるものだった。
「おや、僕達を知ってる子が居たみたいだ」
「作家としてなら嬉しいかったんだけどね」
アルもルートを思い出したらしく、目視という条件に反抗する為翼を広げて僕を隠した。
僕の言葉を信じて一番に動いたのは兄だった。
兄の腕が溶け、鎌のような形に再度固まる。部屋の灯りを反射するその刃はまるで濡れているかのように美しい。
『……悪いね、物理も得意なんだよ』
刃がジェイに触れる。けれどジェイの身体は二つに分かれず、兄の腕がサラサラと崩れていく。
「悪いね、両方とも効かないんだ」
「筆は魔法よりも剣よりも強い、だね兄さん」
''あぁ、これは良くない。人間の姿を偽るなんて、そんな卑怯者は罰せられるべきだ! それが世の常であり、物語の肝でもあり、読者の悦びでもある。
しかし彼らは物語の登場人物ではない。登場人物を作る為の土台に過ぎない。だから彼らは人間でなくてはならない。魔法を扱うことも、腕を鎌に変えることも、そんな特別なことは何も出来ない人間でなくてはならない。もちろん、彼らの連れる獣もただの獣でなくてはならない。翼を広げたり、尾を振るったり、言葉を操ってはいけないのだ''
崩れて消えた兄の腕が再生する。それと同時に僕の視界のほとんどを埋めていた黒い翼が消える。
「アル!? アル、アルどうしたの!?」
アルの翼が消えてしまった。蛇の尾も消えて、一般的な狼の尾になってしまった。その上身体も随分と縮み、僕の腰あたりに頭が来た。
「アル……? アル、返事は? アル!」
僕はその場にしゃがみ込んで、アルの頬を掴む。するとアルは一言、ワンと鳴いた。
「アル……?」
アルの異変に戸惑う僕の耳に、絶叫が届く。兄がジェイの前で座り込み、手をぺたぺたと床に這わせていた。
「おや、盲目だったのかな」
「うぅん、童話の主人公には良いかもね」
兄は手探りでフェルの足を見つけて掴み、僕の名を何度か呼んで少し落ち着いた。フェルは困惑したように僕と兄と双子を順番に見て、それから杖を置いて兄を宥めるのに集中した。
「魔封じどころじゃない。魔性そのものが消えた……? そんな馬鹿な、そんな……」
兄は魔法を封じられた上に人間に戻り、アルはただの獣になってしまった。魔性そのものを奪われたとしたら、僕の魔物使いの力も消えている。今は役に立たないから緊急性は低いけれど──
嘆く暇も喚く暇もない、魔性を奪われたとしたら、そもそも魔性が無いものに頼ればいい。
「トールさん! あの本、あの本さえ奪えば逆転出来るんです! お願いします!」
そう、神に敵う人間など居る訳がない。
「…………身体に違和感がある」
「え……? ま、まさか、そんな馬鹿な。だってあなたは神様で……」
「考えるのは面倒だ、お前の願いを聞こう。本を奪うんだな」
「え? ま、待って、違和感って何……」
トールは僕の静止が聞こえなかったようで、堂々と歩いてジェイに向かい合う。いつも持っている槌は暖炉の傍に置いて。
「やめておいた方がいいよ。腕が崩れるよ」
「悪意を持った攻撃は効かないんだ」
片足を引き、軸を作る。足、腰、肩の順に体重を移し──拳をジェイの顔面に叩き込む。ジェイはウィルに支えられ、何とか倒れずに済んだが鼻血を垂らしていた。
「な……ど、どぅなっで……」
ジェイが状況を理解する前に、トールが再び拳を繰り出す。顎を的確に捉え、真上に突き上げる。
「いけてる……! トールさん! 本!」
「分かった」
どさりとジェイの身体が床に落ちる。僅かに見えたウィルの字は乱れていた。
''金髪の男、突如身体の力が抜ける''
三度目の拳は床に着いた。トールは突如膝を折り、ゆっくりと頭を垂らしたのだ。
「……悪意が無かった、って? そんな人間がいるなんて…………ぁ、神様って呼ばれてたね。アレ、本当?」
ウィルは万年筆を挟んで本を閉じ、トールの髪を掴んで頭を持ち上げた。
「本当に神様なの? 創造主……な訳無いよね、精霊かな?」
「…………頭を使うのは嫌いだ」
「えっと……?」
「だが、使ったぞ」
ウィルはトールの不審な言葉に後退り、本を開き筆を構える。
「人界で物質化している以上、俺は人界の理には逆らえない。逆らうには神力が必要。それは魔物も人間も同じで、魔力を使って空を飛んだり風を起こしたりしている。それが突然出来なくなった……つまり、お前らの能力は──」
トールはぐったりと身体を壁にもたれさせながらも、流暢に言葉を紡ぐ。こんなにも長く彼の声を聞くのは初めてかもしれない。
「──現実改変だ」
ウィルは驚いて目を見開き、また万年筆を本に挟み、それを小脇に抱えて手を叩いた。パチパチパチ、と小馬鹿にしたような音が部屋に響く。
「ご名答。だからどうだ、という話だけれど」
ルートとの争いの後、僕の傷を癒したラファエルは言っていた。ルートには兄弟がいて、彼らはルート以上の力を持っていて、それは幻などではなく本物の現実改変で、死神兄弟──なんて呼ばれていると。
現実を改変する。常識を変える。書いたことが全て本当になる。彼らが「空に向かって落ちる」と書けば、万物は地面を離れ空の彼方へ吸い込まれていく。
死ぬと書かれたら、死ぬ。そんな相手、まともに戦って勝てる訳がない。
「……何が目的なの」
僕はゆっくりと、筆に注意を払いながら、ウィルの目を見つめて歩を進める。アルは尾を振りながら僕の手を舐め、着いてくる。姿や言葉だけでなく、知能まで下がっているような……
「僕の、僕達の目的は一つ。優れた物語を作ること」
''殴られて気絶していた彼は何事も無かったかのように立ち上がる''
「……その為にはリアリティが必要だ」
「林檎の絵を描く時は林檎を見ながら描くよね」
ジェイがムクリと起き上がり、ウィルの前に並ぶ。彼の顔に傷は見当たらず、血も付着していなかった。
「どんな状況に陥った時、どういった性格の人間はどう動くのか」
「それを調べる為、君達を使わせて欲しい。もちろん、拒否権は無い」
窓を破り、甲冑達が入ってくる。レプリカの槍や剣を僕達に向ける。
僕は仕方なく両手を頭の上に挙げ、投降した。
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