第359話 待ち侘びた食事

酒呑はとあるビルの屋上で結界を張り、集まってきた警官達をぼうっと睨んでいた。

鬼は悪魔とは違い、魔力がある限り傷が即座に再生する──なんて便利な生き物ではない。

だから、傷を治したいのなら術を使うなり縫い付けるなりして、自力で傷を塞がなければならない。


『酒呑様! 酒呑様、茨木です!』


その声と同時に振ってくる長髪を振り乱した鬼。

茨木は背負っていたリンを振り落とし、警官を蹴り倒した。


『おー、茨木……と、変態やないか』


「痛た……へ、変態!? 変態って言ったな今!」


転がって柵にぶつかり、すぐに起きあがって酒呑の言動に意義を唱える。

酒呑は苛立ちながらもリンの評価に「人間の割に丈夫」を追加した。


『なんや茨木。腕まだなんかいな』


『ええ、時間がかかるようで……ですが、凡庸な人間程度、この口があれば十分です』


『さよか。ほんなら頼むわ』


茨木は結界の前に立ち、銃を構える警官達に不敵な笑みを見せた。


『おい変態、流れ弾に当たりとうなかったらこっち来ぃ』


「あ、あぁ…………だから俺は変態じゃないんだって!」


酒呑を追ってきた警官は六人。一人は先程茨木に蹴られ、頭蓋骨を破壊されていた。

残りは五人、真ん中に立った警官が発砲の合図を送る。

茨木は警官全員の視線から弾道を予測し、警官の合図ではなく指先でタイミングを掴んだ。

弾丸が筒を出る寸前、茨木は姿勢を低く落とし真ん中の警官に飛びかかった。

目標を失った弾丸達は酒呑が張った結界に阻まれ、子気味いい金属音を鳴らした。


「弾を避けた!? っていうか……なんで俺達に当たらなかったんだ?」


『うっさいのぉ、結界や結界』


「結界だって? 驚いた、天使以外にも使える奴がいたんだな」


茨木は体当たりで転ばせた警官の喉笛に喰いつき、血の噴水を作り上げる。

四人の警官達は銃を構え直すが、まだろくな訓練を受けていない彼らは焦りもあってか狙いを外した。

右側にいた二人の警官も同じように喉笛を喰いちぎられる。


『八のこうべの水神よ……』


残りの二人は弾切れに気付き、慌てて弾を込め直す。

再び構えた時にはまだ茨木は警官達に背中を見せていた。

警官達は命中を確信する。


『……我が同胞を仇なす者に災いあれ』


引き金を引く直前、警官達の腕が膨らみ始める。吐き出された弾は振り返った茨木の右脇腹を僅かに削るだけで終わった。

腕の膨らみは歪で、痒みを伴い、警官達は服の上から腕を掻きむしる。


『…………助かりましたわ。おおきに、酒呑様』


『しっかり周り見ぃ。あんっの鉛玉結構痛いで』


酒呑は腹の傷を手で抑え、柵に背を預けたままため息をつく。

どんどんと膨らんでいく警官達の腕にリンは怯え、茨木は目を輝かせた。

腕はとうとう破裂し、赤子の指ほどの太さの蛇が無数に飛び散る。


「ひっ……ぅわああぁぁあっ!? 蛇!? 蛇ぃ!? 多っ、きもっ……ぅえ、ぉえぇ……」


『おい、隣で吐くなや』


「ま、まだ吐いてな……うっ、ぷ。気持ち悪い……」


蛇が苦手だったのか、はたまたその多さが生理的嫌悪を煽ったのか、リンは柵にしがみつき吐き気と戦う。


『流石は酒呑様やわぁ、ええ術使いはる。うちなんか術の類はからっきしやからなぁ、羨ましいわぁ』


『茨木。ええからはよ肉持ってき、腹減ったわ』


『はぁい、ただいま』


蛇は警官の身体から離れ、地に触れるとぶよっとした黒い塊に変わる。

肉が全て蛇に変わり、皮膚を破かれ、骨を露出させながらも二人の警官はまだ生きている。まだ肉が残っている手首から先も、神経も血管も繋がらない今は動かない。

茨木はそんな警官のうち一人を優しく蹴り転がし、胸に顔を近づけ、分厚い防弾チョッキごと皮膚を喰い破った。

肉を剥がし、時に貪り、露出した肋骨を噛み砕く。茨木は警官の胸を喰い破り、ビクビクと不規則な鼓動を繰り返す心臓を見つける。太い管を慎重に噛みちぎると、端を咥えて酒呑の元へ。


『ん、ごくろーさん』


あ、と開いた酒呑の口の中に心臓を落とす。酒呑は心臓を丸呑みし、屈んだ茨木の頭を撫でた。


『我が同胞に幸いあれ』


茨木の身体に出来た微かな無数の擦り傷が癒えていく。


『ほい、元通りのべっぴんさん』


『有り難き幸せ……』


『腹の傷もだいぶマシになってきたわ。いつも通り、残りは全部やる、好きにしぃ』


『はぁい』


酒呑はふらふらと立ち上がり、倒れた警官の心臓を抉る。茨木は胸がポッカリと空いた死体を貪った。

リンは食人の光景から目を背け、柵にしがみつき、じっと下の景色を眺めていた。そうでもしていないと気が狂ってしまいそうだった。


『……せや、忘れとった。のぉ変態、その袋なんや』


「…………ぇ、あ、あぁ……服だよ」


酒呑はリンが腕に引っ掛けていた紙袋を奪い取り、服の裾で血を拭い、中から洋服を取り出す。

一番に目をつけたのは白いブラウス。胸元にフリルが付いた上品で可愛らしいものだ。


『女もんか』


『うちのんです』


『……男もんか』


『うちのんです』


酒呑は眉を顰めながら次の服を取り出す。コルセット付きの厚手のロングスカートだ。


『女も『うちの』……男も『うち』…………さよか』


酒呑が次に取り出したのは黒いストッキング、太腿あたりまであるものだ。そして指に引っかかったのはガーターベルト。

酒呑は苦虫を噛み潰したような顔で茨木を見つめる。


『うちのん』


茨木はニコニコと無邪気な笑顔でそう言った。


『これ履くんか……』


『可愛らしやろ? はよ着ぃたいんやけど、この手じゃなぁ』


茨木は右腕を失くしてすぐ、片腕に慣れるまでは酒呑が着物の着付けを手伝ってくれていたことを思い出しながら上目遣いを仕掛ける。


『これは嫌や……』


酒呑は茨木の願いを察し、その上で断った。


『酒呑様のいけず』


『嫌や……』


『けち酒呑』


『嫌や……』


酒呑は全く同じ調子で言葉を繰り返す。


『アル中クズ野郎』


『嫌や……って待たんかいコラどさくさ紛れに何言うとんねん』


腹の膨れた鬼達がじゃれ合っていると、リンの携帯が鳴り響く。着信音を知らない鬼達は二人揃ってバッと振り返り、またリンを怯えさせた。


「で、電話電話……怪しいもんじゃないから。あ、すいません、はい、カーネーションです。え? あ……はい、はい、分かりましたー、はい、はーい、はいはい、では……はい、それでは、はーい」


少し高い声を作り応対する。


「えっと、イバラキ……さん? 義手出来たって……」


『あぁほんま? そらええわぁ。すぐ行かな……あぁでも、こーんな血まみれやったら行かれへんなぁ』


「買った服着ます?」


『せやねぇ……なぁ? 酒呑様?』


茨木は先程と同じように上目遣いを仕掛ける。


『下着は嫌や……』


『しゃーないなぁ。もぅ、ええ歳してワガママなんやから。ブラウスとスカートだけでええわ、酒呑様がさっき選んだやつ』


酒呑は「着せられる分際で偉そうに……」と思いながら、仏頂面で茨木の服を脱がす。


『貧相な体やからあんま見んといて欲しいわぁ』


「すいませっ……貧相!? それで!?」


『物理攻撃一辺倒やからそうなんねん』


素早くブラウスを着せ、スカートを履かせる。酒呑は器用にコルセットの紐を縛っていく。


「上手ですね……まさか俺と同じ趣味が?」


『あってたまるか!』


『酒呑様なんでも出来はるからなぁ。次靴下お願いします』


『嫌や言うとるやろがぃ! 腕つけてもーてから自分で履け!』


ブラウスのボタンを上まで留め、スカートのリボンを整えれば、先程までの屈強な男性の身体はどこへやら。細身の美しい女性が立っていた。


『あとは髪やな。角隠すように結い上げんと』


「あ、それなんですけど。同じ色のヘアバンド付ければ角も飾りみたいになると……」


リンは袋の中から深い赤色のヘアバンドを取り出し、酒呑に手渡す。


『ほー……ええもんやな。これやったら他の髪型試せるわ』


「ツインテ! ツインテ! ツインテールこそ至高!」


どんな髪型だ、と尋ねる酒呑。茨木の髪を二つに分けて上方でまとめるリン。


『アホか! くくるんやったら横や横!』


「サイドはバランス悪いんですよ! ねぇイバラキさん!」


『人の髪で遊ばんといて』


「すいません……」


『編み込みやったろ』


「反省しないなこの人……」


リンは先程の食人行為に怯えつつも、それを押し隠して鬼達と戯れた。

先の茨木の反応からして、怯え切って拒絶すれば殺されるだろうと考えていた。だから演技している。

そしてそのリンの考えは当たっていて、彼は自分でも分からない演技力という才能を発揮して命拾いをしていた。

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