第355話 缶と石の製作者共

光のない方へない方へと進んで行くと、路地は次第に狭くなっていく。

室外機や配管に阻まれ、歩くことすら困難になってきた。

ここまで来れば大人には追いかけられないだろう、そう考えつつも僕は路地の奥を目指した。


横に歩いても腹を擦るようになった頃、行き止まりが見えた。

袋小路は少し広くなっており、配管に腰を下ろすことも出来た。足は伸ばせないが休憩にはなる。


「……どうしよう」


何度目かも分からない意味のない言葉を呟く。

ため息をついて、改めて周囲を見回すと行き止まりの壁に小さな扉を見つけた。僕でも身を屈めなければならない程の小さな金属の扉だ。

使われているとは思えないが、ここから警官が僕を捕まえに来るかもしれない。開くかどうか確かめて、開くなら移動するかどうにかしなければ。


「…………っ、あ、開いた……」


開いてしまった。

僕はそのまま身を屈めて頭だけを中に入れ、何の建物なのかだけでも知ろうとした。

灯りはなく、窓もないらしく、中は真っ暗だ。だが微かに赤や緑の電光が見える。


「工場……かな」


大きな音からそう判断し、もう行かなければと頭を引き抜こうとする──が、胸倉を何かに掴まれ中に引きずり込まれた。

僕を掴んだものに触れると、人の手とは思えない感触が帰ってくる。肌の硬さも指の本数も何もかもが人とは違う、虫や甲殻類に似ているように思えた。


「はっ、離して! 離してよ!」


僕がそう叫ぶと、グチャっと何かが潰れる音が聞こえて、僕を引きずる手が消えた。

悪寒が走り、耳元で咀嚼音が響いている。


「ぅ……ふっ、ひっく……もう、やだ……やだ……」


その場に蹲って自分の体を抱き締める。

すると何かの足音が聞こえて、襟首を掴まれて、僕はまたどこかに引きずられて行く。

乱暴に台の上らしき場所に投げられ、緑色の暗い電灯が点滅した。

明滅が終わり、暗さに慣れた僕の目の前にいたのは異形の者達だった。


「ひっ……!? な、なに、なに、誰!?」


渦を巻くような楕円形の頭、個体によって数が違う鉤爪の生えた手足、蝙蝠のような一対の翼。どこか甲殻類を思わせるその見た目は僕を混乱させるのに十分過ぎた。


「や……いや、やだ、アル……」


彼、いや彼女、どう呼ぶべきかは分からないが、彼らはじっと僕を観察しているようだった。

一番近くにいた個体が僕の首に手を伸ばす。

その鋭い鉤爪に何をされるのかと怯えて目を閉じたが、いつまで待っても痛みはやってこない。

恐る恐る目を開けると、鉤爪に僕のネックレスが引っかかっていた。


「……っ、それに触るな!」


特に抵抗されることなくネックレスは僕の手に戻ってきた、だが鉤爪に引っ掛けたのか僕の手のひらは薄く切れていた。

彼らは頭に生えた触覚を揺らし、頭部の色を変え、お互い見つめ合うように首を回している。

相談しているのか? 内容は僕の処遇だろうか。


ネックレスを握り締めて怯えていると、また別の個体が増える。

彼はゆっくりと首を前に倒す。お辞儀だろうか……と、反射的に頭を下げながら考えた。


『──初めまして』


「は、初めまして……」


『会話は可能か』


「え……? ぁ、えと……僕は大丈夫」


喋った。正直な感想はそれだけだ。

彼の口がどこかは見た目には分からないが、彼は確かに人の言葉を操った。


『その石は何処で』


「え……え、と、兄さんに貰った」


『兄さん』


彼の声はどこか無機質だ。抑揚がなく、速度も一定で、よく言えば聞き取りやすいのだが、やはり気持ち悪い。


「あ……実の兄じゃなくて、そう呼んでただけだけど。ライアーさんっていう人」


『見ても』


「…………触らないでね」


僕は自分でも驚く程に正直に質問に答えていた。その上、自分からネックレスを見せるような真似までした。


『──間違いない。これは我らの輝く石』


後ろで見物していたらしい者達の頭部の色がコロコロと変わる。


『歓迎しよう。使者よ』


「へ……? し、ししゃ?」


死者?

今からお前を殺します、と?


『さぁ使者よ。我らに神託を』


「し、しんたく?」


言葉の意味が分からない。

混乱していると、後ろに控えていた者達が僕を台に乗せたまま持ち上げた。

そのまま別の部屋に連れて行かれる。解剖でもされるのか……という僕の予想は外れ、僕は柔らかいソファに移された。


「…………あの?」


『人間の好みに合った部屋のはずだ』


「あ、はい……居心地いいです」


『神託を』


「な、なんなんですか? そのシンタクって……」


何かを求められているらしい。そしてそれを求められている限りは僕は丁重に扱われるようだ。

それを渡してしまったら──どうなるのだろう。

目の前の彼はシンタクを渡すまでは動きそうにない、と思っていたが、外の物音に反応してすんなりと部屋を出ていった。

物音が気になったのと、どうにか逃げられないか考えたのとで彼の後を追った。


『何用だ人間共。去れ』


「うわっ……」

「おい!」

「す、すいません」

「気を付けろ、この国のVIPだ」


この建物の正式な入り口らしい扉が開いている、僕が入ったのは裏口だったのだろう。

その扉からは暖かな光が射し込んでいた。射し込む陽光を嫌ってか彼は扉の影で応対している。


「あー……監視カメラの映像からですね、とある事件の重要参考人がここに逃げ込んだのではと」

「十中八九犯人ですね。中を調べても?」


『断る』


訪ねてきたのは警官だ。

逃げられないかと扉の近くの柱に隠れたのが間違いだった、二人組の警官の内一人と目が合ってしまった。


「あっ! あ、あそこ!」


警官は銃を抜きながら中に押し入り、僕に向かってくる。

だが、警官はその途中で足を止めた。


『二十八、BO、アルコール中毒、性交渉の経験無し、遺伝型の病気無し』


警官の身体がゆっくりと崩れ落ちる。首の後ろに穴が空いて、そこから血がどくどくと流れ出していた。声は一言も発さなかったが、手足は痙攣している。

医学知識のない僕でも警官はもう助からないと分かった。


「…………とんだ失礼を。申し訳のないことでございます。後にお詫びを……」


もう一人の警官は殺された相棒に目をやることもなく、そそくさと扉を閉めた。

再び闇に包まれる建物内、僕の腕を引く鋭い鉤爪、生臭い血の匂い。全てが恐ろしく、不快だった。



人間の好みに合った部屋、に戻ってきた。

やはりと言うべきか、明るい場所で見ると彼の鉤爪に血が付着していた。警官の首を穿いたのは彼の鉤爪だったのだ。


「…………僕も殺すの?」


『貴方は使者』


「どうやって殺すの? さっきの人と一緒?」


『貴方の痛覚は働かせない』


痛みなく殺してやるから安心しろ、とでも言いたいのか。


『貴方は追われている』


「誤解だよ……僕は何もしてない。勝手に腕が取れたんだ」


『貴方は追わせない』


「…………どういう意味?」


彼の言葉は端的過ぎて理解し難い。けれど、今のところは丁重に扱われているようだから、これを長引かせなければ。

彼の求めているものを渡さないように、何も話さない方がいいかもしれない。

僕は沈黙を決め、彼から視線を外した。

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