第277話 救出成功

ヘルがいた倉庫の裏手、アルとベルゼブブが選んだ倉庫。

そこは競売の真っ最中で、雑な作りの舞台に冷たい光が集まっていた。

客は政界の人間を初めとした権力者、または研究機関の者達。

前者は奴隷として、後者は研究材料として、ナハトファルター族を買いに来ていた。


『さて、どうします? 殺しちゃダメって言いますよね、ヘルシャフト様は。私はその辺自信ないので、指示お願い出来ます?』


『そう思います。ですが私如きが貴方に指示を出す事は出来ません』


ヘルは殺生を嫌う、だがヘルのいない今なら何をやってもいい。

アルはそう思っていたし、ベルゼブブもその考えを察した。


『じゃ、救助任せますね。私は……お腹空きましたから』


『承知しました』


ベルゼブブが真の姿を解放すると共に、アルは闇に紛れる。

アルは既に買い手がついた者達を逃がすために裏手に回り、見張りと枷を食いちぎった。


「……なっ、何してる、撃て!」


開催者側の男達が銃を構える。鉛玉が飛ぶ、この国では一般的な武器だ。

ベルゼブブはその銃ごと数人を丸呑みし、吼えた。


「動くな! そ、それ以上近づいたら、こいつを殺すぞ!」


司会をしていた男が舞台に並べられた"商品"から最も価値の高いものを選び、頭に銃口を突きつけた。

男には襲撃の理由は分からない、仲間なのか、商売敵なのか。

どちらにしても最も価値の高いこの女なら人質たり得る、男はそう考えた。


「……構わないわ。ここで死ぬなら、そういうものなんでしょう」


「う、うるせぇ! お前は黙ってろ!」


影美は銃に怯えず、無表情のまま真正面からベルゼブブを見つめる。

不本意ながら今の目的はナハトファルター族の救助、ベルゼブブは男の言う通りに動きを止める。

空中浮揚し、咀嚼し、ベルゼブブは裏手に回ったアルが男を襲うのを待った。


「……動くなよ、動くな……ちくしょう、こんなバケモノ送ってきやがって、どこのどいつだ」


男はベルゼブブをこの国で作っている合成魔獣の一種だと結論付けた、襲撃は同業者の仕業だろうとも。

まだ生き残っている同僚に目配せし、発砲を促す。

ベルゼブブに向かって再び銃撃が始まる、火薬の音に跳弾の音、そして──窓が割られた音。

銃弾の雨の音に紛れて影美を人質にしていた男の腕が切り飛ばされた。


「……よし! やってくれベルゼブブ!」


影美を取り返したウェナトリアの声は銃声にかき消される──が、ベルゼブブには確かに聞こえていた。

瞬きを二度、三度すればもう終わり。

後に残るのは亜種人類と、合成魔獣、そして咀嚼する蝿の王だけ。


『裏手にいたものは全員解放した、これで全部か?』


「待ってくれ、今から点呼を取る」


倉庫は驚くほどに静かだ、それに争いの形跡も少ない。

壁や床に銃痕はあるものの、血や死体はない。

抗争があったとまでは想像出来ても、人が死んだとまでは想像が至らない。そんな有様だった。


『やっぱりド三流は不味いですね、ごちそうさま……いえ、お粗末さまでした』


「八、十……十二人、全員いたぞ」


『ならいい、ところで……どうやって帰る気だ?』


彼らに正規の交通手段は使えない、かといって自前の翅で空を飛べというのも無茶だ。

飛翔は歩行よりも体力の消費が激しい、植物の国まで持つわけがないし、何よりその道程で何にも見つからないと断言出来ない。


「ここまでは君達に運んでもらったが……十二人、私を入れて十三人ではそれも無理だな」


『何言ってんですか、植物の国でしょ? 私が飛ばします、ほら並んで』


「飛ばす……とは?」


『空間転移ですよ』


ベルゼブブが指を鳴らす、人間の拳ほどの大きさの蝿がどこからともなく湧き出して、ナハトファルター族を囲う。

大きな虫に悲鳴を上げる者もいれば、目を覆って蹲るものもいた。そんな中でも影美はぼうっと蝿を眺めていた。


「本当に助かる……あ、待ってくれ。ヘルシャフト君にも礼を言いたい」


『私から言っておきますから、さっさと行ってくださいよ。コイツらが上層部に連絡してないとも限らないんですから』


「…………そうか、なら、頼む。ありがとう、また助けられたな、今度は私が力になる。そう伝えてくれ」


『はいはい』


ウェナトリアが一歩下がる、蝿の群れは彼らを包んで飛び回る。

蚊柱を思わせるその飛行は次第に速くなり、そのうちに消え失せた。


『終わりましたー、っと』


『お疲れ様です、ベルゼブブ様。あの……何故この国や牢獄の国までに転移を使わなかったのですか?』


『行ったとこしかダメなんですよ、私のは』


『そうでしたか、失礼しました』


ベルゼブブが先程言ったように、この競売を開いた者達の仲間が来ないとも限らない。

アルは扉を鼻先で押し、隙間に頭を突き入れる。

体を使って扉を開けると、そこでは魔獣の大移動が行われていた。


『おお、そこにいたか兄弟!』


『……カルコス、これは』


『向こうの倉庫で魔獣が大量に捕まっていてな、解放した!』


『そうか。それはそれは……善い行いをしたな』


アルの適当な返事も意に介さず、カルコスは自分がいかに素晴らしいかを大声で説明する。


『もっと讃えろ!』


褒めろ褒めろと鳴き喚く仔猫。アルはその罵倒を口に出さず、この魔獣の群れをどこに向かわせる気かを聞いた。


『魔物使いのガキに操らせればいいだろう、適当に野生に返せ』


『貴様は、全く……』


『いいですね、訓練すれば美味しくなります』


談笑を始めた悪魔と魔獣、そしてこの後にはまた戦いが待っている。

誰が一番活躍したかを決める戦いが、主に一番褒められる者を決める戦いが。

だが、その戦いは待ちぼうけを食わされ始まることはなかった。


『……っ! ヘルシャフト様が呼んでいます! 行きますよ!』


『何? そんなもん聞こえんぞ』


『貴様は契約していないからだ! いいから来い!』


契約者の呼び出しに応じるのは、当然の如く契約した魔物だけだ。

ベルゼブブは腕の焼印が、アルは尾の刻印が、それぞれ熱と痛みを帯びる。


『緊急事態ですかね……仕方ありません、突っ込みますよ!』


『続きます!』


『……仕方ないな』


ベルゼブブは顔の前で腕を十字に組み、ヘルを待たせているはずの倉庫へ走る。

減速は一切なく、そのまま壁を破る。

アルもカルコスもその穴に飛び込む気でいる。

結界も何も張っていないただの倉庫が、悪魔の最高司令官の襲撃を防げるはずもない。

壁は虚しくも容易く破れ、魔物達を中に招き入れた。

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