第271話 魚との会話

ツヅラの話を三人にもして、喫茶店を出てツヅラの後を追う。


「どうして分かるのか聞いてもいいかな?」


「海だから、としか言えないな」


「海だから? 全く分からないんだが……」


ウェナトリアは不安そうにツヅラに話しかけている。

ツヅラは港に向かっているようだった、そしてその途中、零に会った。


「りょーちゃーん! あ、ヘルシャフト君。会ったんだねぇ」


「零、山から降りてきてたんか」


「今日は調子がいいからさぁ、冷気も抑えられてるんだぁ。ほらぁ、ぎゅーっ」


「抱き着くな寒い、本っ当に寒い! 冷たっ……痛い! 冷たい通り越して痛い! 離さんかこのボケ!」


抱きついては引き剥がされる零、冷気が抑えられているようには思えないが、本人がそう言うならそうなんだろう。


『……仲良いですねぇ』


「親友だって言ってたよ、僕もあんな親友欲しかったなぁ」


人間の、同い年の、近所の……僕にはそういった人がいなかった。


『知ってますか? 国連では神父は欲のない人間とされています。いわゆる三大欲求すらも』


「へぇ……そうなんだ。まぁ、そんな感じするよ」


零は欲深い人間ではない。ツヅラはまだ分からないが……神父なのだ、きっといい人だろう。


『食事は質素で、神に祈るため睡眠時間も短く、神への忠誠に他人は邪魔なため結婚も禁止です』


「他人は邪魔って……」


『本来なら他者との関わりを一切断つのが理想ですが、教えを広めるためにそれは出来ません。で、本題なのですが……結婚が出来ないため、神父は信徒や神学校の同級生と深い仲になることが多いらしいんですよ』


「…………どういう意味?」


ニヤニヤと嫌な笑い方をするベルゼブブに、嫌悪感を隠さず会話の意図を聞く。


「仲良いですねぇ、零さんと竜一さん」


「あの、何が言いたいのか全然分かんないんだけど」


『分からないならそれで構いません、貴方様にはまだ早いということでしょう。私はただ邪推をして楽しんでるだけですから』


ベルゼブブの思考は全く分からないが、その意図の分からない会話のおかげで港までの時間潰しにはなった。


「よっしゃ、始めんで」


「頑張ろーねぇ」


ツヅラは袖を捲り上げ、気合を入れる。

零はそんなツヅラの左手をしっかりと握る。


「……手ぇ離し。でけへんやろ」


「えぇ……右利きなんだろう? 左手はいいじゃないかぁ」


「なんでそう手ぇ繋ぎたがるんや! 子供かアンタは! ほら離し!」


「零、天使様の加護で冷気を出しちゃうから、みんな近寄らないんだよぉ。雪華も長くは近くにいれないし、あの子は女の子だからあんまり触るのも……あれだし」


零は両手でツヅラの左手を握り、どれだけ振られても離さない。


「いいから離し! 両手使うんや!」


「……じゃあ頭掴んでていーい?」


「好きにせ……待ち、頭掴むってなんや」


零はツヅラの頭──耳の上あたりに手のひらを当て、指を少し曲げた。

確かに頭を掴んでいる。


「もうそれで構へんから、大人しゅーしぃや」


「はぁい」


ニコニコと無邪気に笑う零を見ていると、こちらまで笑顔になるというか、浄化されるというか。


『……仲良いですねぇ』


「何する気なんだろ、何あれ……バケツ?」


ツヅラはバケツの持ち手に紐をくくりつけ、海に沈めた。

その様子は釣りをしているようにも見えた。


「がーんばれぇ、がーんばれぇ」


「……零、気ぃ散る。ほんま悪いんやけどやめてくれへん?」


「じゃあ零は何すればいいのぉ?」


「あー……空見ぃ、雲あるやろ? 何やほら……猫に見えるとか、そーゆーん探しといて」


「分かったよぉ」


零は言われた通りに空を見上げる、あしらわれていると分かっているのだろうか。

幼い子供と疲れた父親を見ている気分だ、まぁ僕はそんな親子関係ではなかったから、本を元にした想像でしかないのだが。


「来い、来い…………来たっ」


ツヅラは勢いよくバケツを引き上げる、中には一匹の小魚が入っていた。

まさか、本当に釣りをしていたのか。

僕の心に小さな疑念が生まれると同時に、零がツヅラの顔を無理矢理上に向けた。


「りょーちゃん見て見てー、あの雲、羊みたいだよぉ。可愛いねぇ」


「大体の雲は見ようと思たら羊に見えるやろ……ったく、もう、首が……痛い……グキって、グキって鳴った、筋おかしくなったてこれ」


うなじを押さえ、痛がるツヅラ。

気の毒だとは思うが、今は気遣いをする暇はない。


「あの、なんで釣りしてるんですか?」


「……ちょっと待てよ。今聞くから……あ、どんな船とか見た目分かるか? 出来れば底」


「い、いえ、分かりません。見てもいないので」


「ふぅん? どっから出たかは?」


どこから、とは。植物の国からと言えばいいのか。

そう言ったら奴隷というのは亜種人類のことだと分かってしまう。

神は亜種人類を滅ぼそうとしている、神に仕える神父がその亜種人類を助けるような真似をしてくれるだろうか。

僕はそんな不安を抱えながらも、迷っている暇はないと自分を鼓舞した。


「…………植物の国、です」


「分かった。植物の国やな」


奴隷について、亜種人類について、二人の神父は何も言わなかった。

それは安心していいことなのか、分からない。


「……植物の国から出た船、奴隷商船。個人用とはちゃう大きな船……さぁ、どこ行ったか教えてもらおか」


ツヅラは魚に話しかけている。バスケを微かに揺らして、細かな波を作り、魚を跳ねさせる。


「……あの、何してるんですか?」


「しーっ、だよ。ヘルシャフト君。りょーちゃんはお魚とお話できるんだ。すごいよねぇ、零の同級生の中でお魚とお話できるのはりょーちゃん一人だけなんだよぉ」


にわかには信じ難いが本当でなければこんなに真剣に魚に話しかける訳がない。

僕が期待を膨らませるのとは反対に、ベルゼブブはツヅラの力を聞いて眉を顰めた。


『まさか……ガギエルの加護受者じゃ、いや、そんな気配は……』


どうやらベルゼブブは魚との会話能力に心当たりの天使がいるらしい。


「……ツヅラさん、加護受者なの?」


ツヅラにも零にも聞こえないように、ベルゼブブに耳打ちする。


『……いえ、違います。ヤハウェの神の力は感じません。ただ……何か、違う何かの……力が』


「違う何かって?」


『……ここのものじゃない、そんな違和感です。何かは全く分かりません。ただ……ただ、魚臭い』


ベルゼブブに分からないなら僕にはお手上げだ。

ベルゼブブの言う違和感、"ここ"が指す場所はどこだろう。

国か、人界という意味か、それとももっと広義なのか。


「……アンタは知らへんか」


ツヅラはバケツをひっくり返し、魚を海に返す。


「アイツは知らなかった、聞き込みを頼んだから……まぁ、しばらく待て」


「植物の国だからねぇ。早くても二、三時間?」


「遅ければ明日までかかるな」


『……急いでるんですけど?』


「なら自分でやれや」


バケツに結んだ縄を腕に巻き、まとめていく。

座り込んだツヅラの祭服は僅かに捲れており、足が見えていた。

ミイラのように細く、風にさらされた骨のように白く、足の爪は鋭く伸びていた。

神父の祭服というのは足首まで隠れている、零を見れば分かるのだが、その下には普通の服──まぁ正装ではあるのだろうが──一般的なシャツとズボンを着用している。

だが、足が……その青白く血管が透けて見える肌が見えているということは、下を履いていないということではないか。

……別に人の服装にケチをつける趣味はないが、少し気になった。

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