第270話 神父の友人
頭が痛い。
零が僕を庇って大怪我をした記憶が──
アルが僕を庇って死んだ記憶が──
何度も何度も瞼の裏を駆け巡る、赤い光景がいつまでも消えない。
赤、てらてらと、不気味に光を反射する赤。
生物らしさを象徴し、生理的嫌悪感を煽る赤。
あの赤が瞼の裏に焼き付いて、消えない。
『ヘルシャフト様? どうなされました』
「……なんでもない」
『私の上に乗れ、ヘル。体を冷やしたからな、私で暖を取るといい』
ベルゼブブに無理矢理アルの上に乗せられ、僕は仕方なくアルの背に跨る。
そのまま姿勢を崩して、アルの首に腕を巻く。
『……大丈夫か』
「平気だよ、大げさだな」
「……すまない、貴方を守るなどと言っておきながら、貴方に辛い思いばかりさせている」
「何だよ、急に。僕はそんな……」
『……ヘル、貴方の心を痛めつけているのは、他ならぬ私だ。責めてくれて構わない、恨んでくれて構わない、憎んでくれて構わない。だが、私は……貴方を誰よりも愛している、貴方に尽くす、貴方を守りたいんだ』
「何……何だよ。僕、アルを憎んだりしないよ。僕も、大好きだから。そんなこと言わなくていいよ」
『……ああ、そうか。そうだな。すまない』
僕とアル以外には聞こえない、いや、聞かせない秘密の会話。
ぎゅっとアルを抱き締めて、目を閉じた。
アルの鼓動と呼吸だけを耳に感じて、アルの温もりだけを体に残して、僕はゆっくりと自分を隠す。
過去の記憶も、今の思いも、全て心の奥底に隠す。
冷静に話をするために──
「おお、久しいな……英雄の、おや? 死んだはずでは……」
「お久しぶりです、大臣。今日はお願いがあって参上しました」
「願い? ああ、言うがよい」
王の間の下の部屋で大臣を見つけた。
大臣は前に見た時に比べれば健康そうだ。
「……奴隷商船の航路を教えてください」
「ど、奴隷!? 何を言っておる、わしはそんなもの知らんぞ!」
『奴隷って言ってもさ、亜種人類のだよ』
ひょこっとと僕の肩から顔を出し、ベルゼブブは兵士達と話した時のように幼い声を出す。
「あ、亜種……? どちらにしても、わしは船のことなど分からん」
『……本当に?』
「嘘は言っておらん!」
声を荒らげる大臣の胸倉を掴み、ベルゼブブは打って変わって低い声で脅しをかける。
『嘘言ったら、食べちゃうよ?』
人間のものではない細長い棘の生えた舌を出し、大臣の首元で揺らす。
「知らんと言ったら知らん!」
「ベルゼブブ、やめなよ。乱暴だよ」
『はいはい、じゃあどうぞお上品に聞いてくださいよ』
「……すいません。ちょっと血の気が多くて。貨物船に偽装してるかもしれません。お願いします、友人が捕まったんです、友人の姉も、捕まったんです」
「そうは言われても……本当に知らんのじゃ、そもそも牢獄の国は国連加盟国の中でも異質で……関わりある貿易船ならともかく、加盟国だからという理由で他国同士の……ましてや奴隷商船など、分からんよ」
「…………なら、航路を調べられる場所とか」
大臣はしばらく考える素振りを見せたが、首を横に振った。
「牢獄の国はつい最近まで魔王のものじゃった、そう簡単にはいかん。他国は魔王を恐れて牢獄の国を孤立させておった、現国王が関係回復を図ってはいるが……」
眉尻を下げ、次第に小さくなる声。
それらは僕に大臣の言葉を真実だと信じ込ませるには十分過ぎた。
何も得られないまま城を後にして、僕達は城下町の喫茶店で再び会議を始めた。
『これなら船を直接追った方がよかったんじゃないですか?』
「とっくに出発して追えるものではなかった、仕方ないよ」
「僕なんかの提案じゃ、やっぱりダメでしたね……」
「ヘルシャフト君のせいじゃない、そう自分を下げるな」
下げるな、と言われても。
何の手がかりも得られなかったのだ、卑下もする。
椅子の下のアルを撫でて気持ちを落ち着かせていると、ふと隣の席に座っていた男に視線が流れた。
見るからに不健康そうな青白い顔、骨と皮だけに思える細い体を包んでいるのは紺色の長い祭服……零と同じ、神父の服装だ。
「……あの、すいません」
ベルゼブブとウェナトリアは次の策を考えるのに必死だ、僕は勇気を出してその男に話しかけた。
「何? 誰アンタ?」
男はサンドイッチを頬張りながらこちらを向く、海のような深い青色の髪の隙間から覗く見開かれた目が少し不気味だ。
「ヘルシャフト、です。あの……零さんの、お友達の方ですか?」
「ヘルシャフト……ああ、聞いてるよ。零が言ってた、確か……魔物使いやったっけ?」
独特な抑揚……を無理矢理矯正したような話し方。妖鬼の国で会った鬼達を思い出した。
「あ、はい。そうです」
サンドイッチを食む口に並んでいるのは鋭い牙。いや、見間違いだ。そんなはずはない。
国連の審査がある神父に人間でないものがいるなんて、ありえない。
「……あの、お名前を伺っても?」
「竜一だよ、
「あ、はい。じゃあ……ツヅラさん」
「おう、で、何かあったん?」
ツヅラは最後の一口を飲み込むと体ごと僕の方を向いた。
食後のコーヒーを飲む指は細く、爪は鋭い。
「……知り合いが、奴隷にされそうで、船を追っかけたいんですけど、どこに行ったか分からなくて」
「マジか、想像以上だったわ」
「今、城に……大臣に、聞いてみたんですけど、知らないって」
骨ばった手は死体のような色をしている。血が通っていない、あの暗く冷たい色だ。
「そらなぁ……大臣はちょっと違うって」
「零さん、もしツヅラさんを見かけたら頼ってみたらって、言ってたので……声をかけました。すいません」
ツヅラはコーヒーを飲みきり、僕の隣に席を移す。
足元を見てみれば、ツヅラが裸足だと分かった。
零の力が届いていないとはいえ、裸足で歩き回るような気温ではない。石造りの床は氷と肩を並べるほどに冷たい。
「……船っちゅーたな?」
「はい。奴隷商船です」
「海やな?」
「……海、だと思いますけど」
「じゃあ分かる。俺に任せな」
に、と笑うツヅラ。
僕はきっとそんな彼とは対照的な、間抜けな顔をしていただろう。
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