第217話 竜と化す
絶え間なく響く轟音、閃光。
アルは岩の陰に身を潜め、じっと機会を伺っていた。
ヘルと離れ離れになってしまった、早く合流しなければ。アルの頭はその考えでいっぱいだ。
突然、咆哮が大気を震わす。
アルが岩場から顔を出すと、焔をまとった巨大な竜が目に飛び込んできた。
よくよく観察してみれば、その竜の背にはリリスの姿もある。
『まさか、あれが真の姿か……!』
人の姿をとる悪魔のほとんどは、人に化けている。
真の姿は獣であったり、虫であったり、あるいは人界の生物には例えられないものであったり。
例えばマルコシアス、彼女は普段女性の姿をしているが、本気になれば狼に変わる。
レヴィアタンも海蛇が真の姿だったのだ。
焔を吐き、尾を振るい、牙を見せつけているあの竜はサタンの真の姿だ。
アルは早々にそれを察し、事態収拾のための行動を始めた。
吐いた焔は雷に押し戻され、振るった尾は槌に弾かれる。
サタンの怒りは溜まるばかりだ、相手に傷を負わせられず、全く発散されない。
怒りからか、焦りからか、サタンは目の前の神性に夢中になっていた。
涼しい顔で槌を振り回し、攻撃を弾くトールに。
サタンは注意散漫になっていた。
背後から忍び寄る影の気配を感じ取れなかった。
それはリリスも同様だ、本来ならサタンの死角を補う役目を持っているはずなのに、彼女は無礼な神性と便利な夫の戦いに目を奪われていた。
リリスの胸を貫くのは蛇。叫び声を上げさせないように首筋に噛みつき、サタンの背から飛び降りる。
アルは暴れるリリスを押さえつけ、吠えた。
無いはずの澄んだ夜空が見えるような、素晴らしい遠吠えだった。
『リリス! 待て、今……!』
人間ならば致命傷、悪魔ならば大怪我。
サタンは一瞬怒りを忘れ、リリスに首を伸ばした。
魔力を分け与え、傷を癒す。
彼らしくもなく、一つのことだけを考えてしまった。
『……美技だ、狼』
鼻先がリリスに触れるかというところで、稲光がサタンの視界を奪う。
直後、脳天に槌を振り下ろされ、意識も奪われた。
『ちょっ……だーりん!? な、嘘、負けたの!?』
竜の角に背を預け手首を振るトール、アルはその横に駆け寄り、ヘルを追いかけたい旨を伝える。
『俺もエアを追いかけたい、まさか身代わりにされるとは思わなかった。まずは上に戻る……ん?』
ちぎれかけた首を押さえながら、胸の真ん中に空いた穴はそのままに、リリスはトールの腕を抱き締め、指に指を絡ませた。
『おにーさん、とっても強いのね。好きになっちゃいそう』
『……は?』
『ね、私とイイことしない?』
リリスは意図が分からず呆然とするトールの首に素早く腕を絡ませ、顎を引き、唇を重ねた。
口を無理矢理開かせ、舌を入れた──と、トールはリリスを引き剥がし、突き飛ばした。
竜の頭の上から落ち、リリスは微笑みながら呟いた。
『私ね、女を下に見るような男は嫌いなの。だからだーりんみたいな悪魔は割と好きだけど、神はみーんな傲慢だもの』
トールは口を押さえ、喉を引っ掻き、鳩尾に爪を立てた。
『神はぁ、みーんなぁ、大っ嫌い!』
硬い岩盤に叩きつけられても、リリスは笑っていた。
神を欺けたことに、神を嘲けることに、至上の喜びを見出して。
『おい、どうしたんだ? 毒……か?』
トールは地上に帰るのに必要不可欠だ、アルは足元を忙しなく回り、前足で膝を撫でる。
『狼、俺の腹を破れ』
『……な、何を言っている』
『早くしろ!』
珍しくも激昴したトールに萎縮し、アルの耳が垂れる。
アルは慌ててトールの腹に牙を立て、何度目かの噛みでようやく皮を剥がした。
『違う……もっと、中を』
鼻先をねじ込み、ぬるぬると血に濡れた内臓を見つける。
アルは消化器官が奇妙に蠢いていることに気がつき、それを喰い破った。
アルが顔を離すと、トールの腹から一匹の蛇が零れ落ちた。
『してやられた、か? あんな粗末な色仕掛けに引っかかるとは、所詮は貴様もただの男か』
『……不意打ちだ、あんなもの。いきなりで訳が分からなかった。お前に言われるまで色仕掛けだなんて気がつかなかった』
『ほう、鈍いな』
『そういえば……美女に化けたロキに似たようなことをされたことがある』
『まさか、嵌まったのか』
『さて、魔界の出口を探すんだったな』
トールは破れた腹を槌でなぞり、傷を治していく。
体の損傷だけでなく、服まで元に戻った。
『なぁ、どうなんだ。気になる、聞かせろ』
『竜が起きる前に探さなくては……何か目印はあるか?』
『ああ、階段のようなものがあるはずだ。見た目は違うと思うが、機能は同じだ』
『分かった。階段だな』
『見た目は違うぞ? それと……騙されたのかどうかだけ聞かせてもらえないか?』
トールは岩壁に手を触れると、そこから電流を流した。
すると、少し離れた場所の岩が崩れ、洞穴が現れた。
『探知した、階段だ』
『素晴らしい! しかし……長くなりそうだな』
どこまでも続き、曲がりくねり、"階段"に終わりは見えない。
『だが行くしかない。さて、時間潰しに話をしてもらえないか? 先程のものなど、私はとても気になっている』
『……寝室まで行ったところでバラされ、とりあえず殴った。翌日には全員が知っていた。それだけだ』
『そうかそうか! 案外と好色漢だな』
アルは楽しそうに笑い、顔をトールに向けたまま先導する。
『美女の誘いには乗りたくなるだろう、いかに怪しくとも。お前はそんな経験はないのか? いや、美女ではなく美しい獣か』
『私以上に美しい女も魔獣もいないさ』
アルはそのまま無言で数分歩き、突然立ち止まった。
『どうした、急ぐんだろ』
『まさか貴様……私を男だと思っていないか?』
『違うのか』
『…………私は女だ。失礼な奴だな』
二人はそれから無言のまま──いや、時々に下世話な話をポツポツとし、地上を目指す。
『しかしなんだ。ヘルとは先のような品の無い話は出来ないからな、中々に楽しいぞ』
『話せばいいじゃないか、子供と言っても幼くはない』
『私が嫌だ、そんな話をするヘル』
『……面倒な奴だな』
気を使わなくていい、守らなくていい、二人は気楽な時間を楽しんだ。
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