第194話 三者三様
多くの人で賑わう商店街。
多くの人と言っても、何も歩くのに苦労するというほどでもない。
走るのには向かないだろうが、普通に買い物を楽しむ分なら丁度いい人の量だろう。
黒いローブに身を包み、顔を隠し、手を縛られた僕。
余程怪しく見えるのだろう。ローブで視界の半分以上が遮られて、道行く人の顔は分からないないのに視線だけは刺さるほどに感じる。
『野菜かぁ……んー、甘いほうがいいかな、ヘル?』
食材を調味料に浸す僕には素材の味など関係ない。
それもこれも兄が妙なものばかり食べさせたせいで舌が鈍くなって、食材本来の味や薄い味付けを感じられなくなったのだが……兄はそんなことは知らないのだろう。
たとえ知っていたとしても、気に病むことはないだろう。
とりあえず頷くと、兄は店主を呼んで会計を頼んだ。
僕の隣では店員らしき人が野菜を袋に詰めている。
店員は兄の様子を伺いつつ、そっと僕に話しかけた。
「……君、大丈夫? その人、本当に知り合い?」
誘拐か何かだと思ったのだろう、店員は助けが必要なら頷いてと心配そうな目を向けた。
だが、それに気がついた兄が縄を思いっきり引っ張った。
兄の体の正面まで引きずられ、足がもつれて膝立ちになった。
『ヘルに何か』
兄は冷たい目で店員を睨む。
「……どうして縛ってるんですか」
店主は関わりたくなかったのにと頭を抱えた。
『小さい子って、目を離すとすぐにどこかへ行っちゃうからね。傍から見れば酷いことをって思うだろうけど、この子のためなんだよ』
「そんなに小さい子じゃないでしょ!? 大人しいし、怯えてるように見えるし、さっきだって引っ張られて転けてたじゃないですか!」
『……何が言いたいの?』
「その子、攫ってきたんじゃないのかって疑ってる」
ああ、やはりそう思っていたか。
店員は僕を見ると手を差し出した。
「君! 本当のことを言うんだ、そうすれば助けてあげられるから!」
助けてあげられる……? 誰から? 兄から?
僕は出来ることなら兄とも一緒に居たいと思っている、最優先はアルだけれど。
だが兄が僕を虐め続けるのなら、逃げたいとも思っている。
助けるなんて気軽に吐いて、善い人なんだろうな。
きっと大事に育てられたのだろう、いい友人を持っているのだろう。
相手を見誤った正義感は身を滅ぼすだけだというのに。
兄から"お気に入りのオモチャ"を奪える人間などいないというのに。
「僕の、兄です」
「…………え?」
「兄です、僕の……本当に。兄弟です」
嘘はついていない。
「きょ、兄弟? 弟を……そんな、酷い扱いしてるのか? それならなおさら──」
『……鬱陶しいなぁ! 君みたいな履き違えた正義感持ってる奴、嫌いなんだよ!』
履き違えた? 違う、この人は本当に善い人だ。
僕を助けようというのだって間違えてはいない。
間違えているのは、兄が普通の人間だと思っていることだけだ。
『……そういえば、お腹空いてたな』
店主は兄が渡した金を持って奥へ引っ込んでしまった。
ああいう人の下では働きたくないな、なんて呑気に考えたり。
そんなことを考えてる場合じゃない、店員が兄に喰われてしまう。
せっかく僕を気遣ってくれた人を、そんな目に合わせるわけにはいかない。
「に、にいさま! お腹空いたなら早く行こうよ! 僕もお腹空いたし……早く、にいさまの作ったごはん食べたいな」
手は使えないから頭を背に擦り寄せて、焦りながらも噛まずに伝えた。
『……そう? そうだね、早く他のも買って帰ろうね』
僕の期待通りに兄は店員から興味を失い、縄を引いて店を出た。
僕は何度も躓きながら、振り返って店員に頭を下げた。
兄が何の料理を作るつもりかは知らないが、バランス的に考えて次は魚か肉など、主菜に値する物だろう。
そんな僕の予想は当たって、兄は肉屋の前で立ち止まった。
僕は人通りの多い道を通ろうと苦戦している荷車に道を譲るため、兄の真後ろに立った。
だが僕一人がどう動いたところで変わらないらしく、荷車は完全に足を止めてしまった。
兄は珍しく迷っているようで、ガラス越しに真っ赤な肉を見つめている。
店員は僕を見て一瞬顔を顰めたが、すぐに目を逸らし笑顔を作った。
……良い対応だ、きっと長生きする。
「んー……この体になってから人間以外の肉が全部同じに見えるんだよね」
どうせ兄は食べないのだから、僕に聞けばいいのに。
僕の望み通りの物を作るのは気に入らないのか、兄は僕に何が食べたいかなど聞く気もない。
兄の視線が完全に肉に移り、僕の監視が薄れた。
その瞬間、僕の腕を縛っていた紐が解け、布が風に煽られて飛んでいった。
兄の魔法が解けた? 兄が解くはずはない。だが兄以外の者に兄の魔法が解けるはずがない。
そんな馬鹿な、兄がそんな失態をやらかす訳がない。
混乱していると背後から口を抑えられ、どこかに引き込まれた。
何かに乗り込み素早く布を被る、隣に果物が詰まった木箱が見えた。
赤い布……この模様は、確か僕の後ろに止まっていた荷車が荷物にかけていた布の模様だ。
ならここは荷台? 何故……誰が、どうして。
疑問は尽きない。
「……大人しくしてろよ、気づかれたくなかったらな。見つかって死にたいならそれでいいけど、俺を巻き込むなよ」
聞き覚えのある低い声、同じ人物のものであろう手は僕の口を抑えたままだ。
その声と体温に安心して、警戒を解いて身を任せた。
『……ヘル? ヘル、どこ……どこに行ったの? ヘル、お兄ちゃんの声が聞こえたら返事をして』
外から心配そうな声が聞こえた、心の底からの感情が込められたそれは、僕の体を反射的に動かした。
「っのバカ……!」
伸ばしかけた僕の手を抑え、足が胴に絡められる。
布の微かな隙間から見える兄の足が、こちらを向いて止まる。
だが、兄が荷台を調べる前に荷車が走り出す。
どうやら道が開いたようだ、兄は荷車を追うことはしない、そこまでの疑念はなかったようだ。
「はぁー……もう、終わったかと思った。やめてくれよ、本当」
拘束が解かれ、僕は後ろを振り返った。
「すいません、つい。あの、ハートさん……どうして僕を?」
「……別に、見つけたからってだけ」
「この車なんですか?」
「知り合いに協力してもらって、この荷車に乗って国を出ようと思っていてね。ここじゃ獣人は暮らしにくそうだからさ」
ハートは荷箱から林檎を二つ取り、一つを僕に渡した。
ハートは林檎を食べようとはせず、爪で皮を削って文字を彫っている。
「……何してるんですか?」
「別に、お前はさっさと食えば?」
大人しく従ったふりをして、ハートの手元を覗き込んだ。
林檎を齧りながら目を細めて文字を読む。
『捕食者へ ─ 城壁 北 主砲下 ─ 被食者より』
ハートはそれだけを林檎に記し、爪で自らの指を傷つけると傷口に滲んだ血を文字の跡に擦りつけた。
そしてタイミングを見計らって荷台の外に放り出した。
林檎は大通りを横切り、路地の手前で止まる。
「何だったんですか? アレ」
「林檎だよ、バラ科の落葉高木、その果実。見て分かんないの?」
「……バラなんだ、じゃなくて、何に使ったのかって」
「どうでもいいだろ。俺は角が布に変なふくらみを作らないように気を使うのでいっぱいいっぱいなんだよ」
ハートの頭に生えた巨大な角は辛うじて布に触れていない、木箱の高さを超えないようにハートが体を縮めているからだ。
僕にはこの狭さは丁度いいのだが、背の高い彼には大分と窮屈だろう。
「……ほら、もう出るぞ」
進行方向から鎖が巻き取られる音が響く、不快な金属音は数を増し、城門を開いていく。
音が消える頃、荷車はまた走り出し、僕は布の隙間から城壁を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます