第171話 職人鴉

朝、いや昼に起きた時、アルは隣に居なかった。

代わりだとでも言いたげに放置された朝食は冷めきっている。

端が固くなったパン、挟まった味気ないハムにしなしなのレタス。


食べ終わると皿を重しに置かれた紙を見つけた。

アルの書き置きらしい。


──出かけてくる、夜には戻る。──


蛇がのたうち回ったような字だ、どうやって書いたかは知らないがアルの体で書いたのだから仕方ない。

右下の判代わりの肉球印が可愛らしい。


「………今日は寝てろってことか」


動かない左足を睨む。

昨日は無理矢理外に連れ出されたが、倒れたことで事実上の外出禁止となった。


「行くなって言われると行きたくなるなぁ」


行くなと言われてはいないが、その思いは書き置きから伝わる。

今日の僕は反抗的だ、何をしてでも外に出てやる。


まずはベッドから降りなくては、これは簡単だ。

寝返りでそのまま落ちればいい。

しっかりと受け身を取れば痛くも──ドンッ


痛い。


まぁ今のは失敗だ。気にしないで行こう。

さて次は部屋を縦断しドアを開ける。

右足は動くのだから問題ない、ドアノブを支えに立ち上がる。

よし、歩けない訳でもない。

左足も感覚が薄くて動きが鈍いだけで、歩行に支障はない。


足が太腿の付け根辺りから痺れた時を想像してもらいたい、そのまま歩いた時どうなるかを。

歩行自体に問題はないだろう? 捻挫したりはするかもしれないが。


ああ、その通り。捻挫するかもしれない。

足の感覚が鈍いから地面が分からずに足首を捻って……転ぶ。


僕の場合、その転んだ場所が階段だった。


「だ、大丈夫ですか! お客様……お怪我は!?」


バタバタと駆け寄る宿の店主。

彼は狐の獣人だろうか、立派な尻尾が揺れていた。


「……大丈夫です、構わないで」


「あ、あの、出かけるのでしたら杖か何かをお持ちになった方が……」


「構わないでったら! ……あ、すみません。でも大丈夫ですから、気にしないで」


全身が痛い、特に右腕が。

利き手は転んだ時に頭を庇うのだ、勝手に。

強く打ったせいで腫れている、放っておけば大きな青痣になるだろう。


店主の制止を振り切って宿の外へ……出たはいいが行き先を決めていない。

また公園にでも行こうか、いや、ミーアに会ったら気まずい、やめておこう。


アルは昨日今日とどこに行っているのだろうか、何の用事があって僕を放置しているのだろう。

僕がこんなに痛がってるのに。


「よォ、ダンナ。ンなとこで何寝転がってんだ」


「……ほっといてよ」


「そうもいかねェ。ここァ俺の家ン前だ」


「え、あ、ごめん」


もたれかかっていたのは木の扉の前だ、この少女の家らしい。

少女の腕には黒い羽根が生えており、服も黒で統一していた。嘴のように尖ったマスクも黒。

鳥人……カラスだろうか。


「……まァ待てやダンナ、ここァひとつ迷惑代ってことで寄ってけや」


「え? あ、お金ないですすいません」


「金払えたァ言ってねェだろ。俺の店の手伝いしなってンだ」


「み、店?」


「どうせヒマだろ? 駄賃はやるからよ、グダグダ言うなやウブなネンネじゃあるめェし」


「いやちょっと何言ってるか分からな……は、離して! やだっ……」


家の中に引きずり込まれ、座らされたのは長机の前。

木の香りが漂う不思議な部屋だ。

床には木屑が散らばり、壁にはネックレスやらが打ち付けられている。

長机の端には妙な人形が並んでいた。


「あ、あの……何ここ」


「俺の店、ンの裏方だな」


「何のお店なの?」


「まァちょっとした木の細工だ。からくり人形は中々の人気だぜ」


「へぇ……コレとか? すごいね」


「そりゃ全自動くるみ割り人形だ、巻けば動くがくるみとくるみ以外の見分けがつかねェらしい」


人形の作りも獣人の国らしい、動物の耳や尻尾が生えた人形達だ。


くるみ割り人形……巻くのは、あぁ、コレか。


背中についたネジを回すと、カタカタと動き出した。

歯車の音がどこか懐かしく心地良い。


「くるみくるみ……ねェな、コレでいいか」


少女は人形の前に木片を置く。

すると人形の手が伸び、木片を口に運ぶ。

がきんと音が響いて木屑がパラパラと落ちていった。


「わぁ……すごい」


「こンな感じでくるみを拾っちゃ割るのサ、まァまだくるみの見分けがつかねェンだが」


人形に木の実を見分けろというのも酷な話だろう。

くるみ割り人形は俯いて木片の残りを吐き出している。

そして僕の指を掴んで……ん?


「うわぁっ!?」


「手ェ出してちゃ危ねェぞ、見分けつかねェンだからよ」


「見分けつかないって……僕の指砕こうとしたよ!?」


「砕けてねぇンだからガタガタ言うなィ」


「言うよ……あ、止まった」


口を開いたまま止まる人形、机の端に置き直すと良い具合に収まった。


「ダンナにゃヤスリがけをしてもらいたい、なァにそう難しく考えるこたねェさ、擦りゃイイんだから」


「う、うん」


少女が木からくり抜いてナイフで成型したパーツにヤスリをかける。

擦る度に平らになり、ツルツルとした感触になるのは面白い。

黙々と続ける作業は好きだ。

僕がヤスリがけに夢中になっていると、扉を叩く音がする。


「開いてるぜィ、勝手に入ンな」


「はーい、昨日ぶりに遊びに来たにゃー」


「おゥ、寂しかったぜィ。我が友よ」


聞き覚えのある語尾に顔を上げる……昨日会った獣人の少女が立っていた。


「ミーア……?」


「あ、ヘルさん! 具合はどうにゃ?」


「あ、大丈夫……だけど」


やはり気まずい、まさかまた会うことになるとは思わなかった。


「なんでィ知り合いかィ。あ……あぁ、アレか、ミーア、とうとう好ィ人見つけたって訳か」


「にゃ!? ち、違うにゃ! 何言ってるにゃ! 昨日ちょっとお話しただけにゃ!」


「顔が真っ赤だぜィ」


「にゃー! コルネイユが変なこと言うからにゃ! だいいちこんなつるつるハゲ嫌いにゃ!」


ミーアは手と尻尾を振り回して抗議する。

それにしてもつるつるハゲとは誰のことだろうか、この場にその言葉に当てはまる人物はいないと思うのだが。


「ヒッヒッヒッ、そうかィそうかィ。まァどうでもいい、ゆっくりしてきな。俺ァチョイと花でも摘みに行くからよ」


パタパタと手を振って少女は作業部屋を出た。

舞い落ちる羽根が床に積もっていく、よく見れば木屑に黒い羽根が混じっている。

掃除をする気はなさそうだ。

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