第151話 諦めるから終わるんだよ
目の前に並べられた料理はどれも見たことがないものだった。
見ただけでは味どころか材料すら分からない。
『お兄ちゃん食べないのー?』
「あ、いや、ちょっとお腹いっぱいで」
嘘だ、腹は減っている。
しかし死んでも腹が減るとは思わなかった、死後も案外面倒なものかもしれない。
『そっかー、じゃあヘル貰っていーい?』
「いいけど、そんなに食べられるの?」
『だいじょーぶ!』
椅子に膝立ちになって体を乗り出し、僕の前に配膳された料理を引き寄せる。
あの小さな体のどこに入っているのだろうか、なんて思うほどに大食いだ。
「あ、あのさ、この料理って誰が作ったの?」
気になっていたことを聞いてみる、それとなく……とできればよかったのだが、生憎とそんな話術は持ち合わせていない。
『んー? お人形さん』
「お人形さん……って、なに?」
『お人形さんはお人形さんだよ? 家事してくれてるの』
「そ、そっか」
意味のない会話、それは相手が子供だからなのか、世界そのものが曖昧だからなのか。
女の子はずっと一人だと言っていたが、お人形さんとやらでは孤独は解消されないのか? 食事を用意するくらいなら遊び相手にもなりそうなものだが。
『あ、そこにいるよ』
肉を頬張りながら、女の子は僕の背後を指さした。
振り返ると陶磁器の人形が立っていた、ヒトガタをしただけの物体が。
顔に凹凸はなく、手や足もよくよく見れば人とは違う。
機能性を追い求めたのだろう。
『お人形さんはねー、お父様に貰ったの。だけどお人形さんはお人形さんだったの、すごく残念』
「……どういう意味?」
『生きてないの、動くだけなの。毎日同じ時間に同じことするだけで、話しかけても返事してくれないし、すっごくつまんないの』
人形は食べ終えた食器を片付けている、そこに感情は介在しない。
魂を持った人形というのは聞いたことがある、だが今目の前にいる人形はそういった類の物ではなく、どちらかと言えば機械に近いのだろう。
「……お父さんって、どこにいるの?」
『アスガルドだと思うけど、今は分かんない。よくお出かけしてるみたいなの』
父親、か。
死んだ人間に贈物が出来るものなのか? 生前に贈ったのだろうか、それとも供物のような……考えても仕方ない、聞いた方が早い。
「ね、ヘルちゃんっていつからここにいるの?」
『最初っからだよ、生まれた時から』
「……何で死んだの?」
『ヘル、死んだことないよ? 初めからこうなの』
「言ってる意味がよく分からないんだけど」
生まれた時、ということは死産か? だが今は七、八歳の女の子だ。
死後も成長するというのか? いや、それよりも死んだことがないとはどういう意味だ。
死んでいないのなら死者の国にいるはずがない。
「えっと、ヘルちゃんは、その、ここに来る前のこと覚えてないの?」
『だーかーらー、生まれた時からここにいるの。生まれてすぐにここに捨てられたの』
「捨てられた……って、殺されたとかじゃなくて?」
『ヘルヘイムに投げ込まれたの、死んでないよ?』
「その時は、赤ちゃんだったんだよね? ここって成長……大きくなるの?」
『お兄ちゃんみたいな死んでる人はならないよ? ヘルは死んでないもん。まぁ、お兄ちゃんより少し大きいくらいになったら止めるけど』
やはり言っている意味が理解し難い。
僕の理解力の問題なのか、女の子の説明不足なのか、この世界が異常なのか。
「止めるって?」
『不老不死になれるリンゴがあるんだ、もう少し大きくなったらそれを食べるの』
「………ね、ヘルちゃんって、人間?」
『違うよ? ヘルは神様だよ』
「かみ、さま?」
『うん! 三兄妹の末っ子なの!』
頭がこんがらがってきた、いや初めからまとまってなどいなかった。
初めから……初めから考えよう。
まず僕は死んでいる、原因はいまいちはっきりしないが、おそらく家の倒壊に巻き込まれたことだろう。死んでしまいたいなんて考えていたような気もする。
そして目の前の女の子、彼女は死者の国に住む神……女神か、成長途中の女神だ。
僕は女神の卵に気に入られ、彼女の家に招かれている。
このままいけばずっとここで暮らすことになるだろう。
ずっと、か。
意識しないようにと考えないようにしていた''死''の文字が重くのしかかる。
時期も、場所も、全く予想外だった。
自分の死を予想する者などそういないだろうが、あの時の僕は覚悟もしていなかった。軽々しく死にたいなんて思ってはいたが、今、死んでから改めて思う。
死にたくなかったな、と。
アルと……もっと、一緒にいたかったな、と。
『お兄ちゃん? どうしたの?』
いつの間にか女の子は二人分の食事を終えて、僕の顔を覗き込んでいた。
可愛らしく小首を傾げ、丸い瞳に僕を映して。
「なんでもない、なんでもないよ、大丈夫」
『わ、ちょ、ちょっと……お兄ちゃん』
ほとんど無意識に女の子を抱き締める。
照れたような女の子の声、死体のように冷たい体。
相反する要素は僕を落ち着かせた、もう足掻いても無駄なのだと言い聞かされた気分だ。
生も、アルとの再会も、諦めよう。それ以外に選択肢はない。
そう決めた瞬間、ガタガタと机が……いや、家全体が揺れだした。
「な、何!? 地震?」
地震なら落ち着くまで机の下にでも隠れなければ、そう考えつつも僕の体は頭の言う通りに動いてくれない。
女の子を安全な場所に移さなければと腐り落ちかけた腕を掴んだ。
だが、女の子は微動だにせずあらぬ方向を睨んでいる。
「ヘルちゃん…? 何してるの、危ないよ」
いまいち強く言えずに、腕を引くだけに終わる。
女の子はこれまでとは違った低い声で、怨恨と憤怒に満ちた言葉を零した。
『……殺してやる』
「へ、ヘルちゃん? どうしたの、落ち着いて」
『生きてる、まだ生きてる? なら、殺さないと』
「ヘルちゃん! 何言ってるの! ねぇ……こっち見てよ!」
肩を掴んで、無理矢理振り向かせる。
女の子の瞳に僕が映り込み、僅かに目の色が冷たくなる。
微かに柔らかくなった表情に安堵し、もう一度女の子の名を呼ぶ。
『お兄ちゃん。ちょっとだけ、待っててね』
子供らしくない艶っぽい笑顔で、僕の唇に人差し指を添える。
その直後僕の体は何かに押さえつけられる。
背後の壁に叩きつけられ、手足を拘束され口を塞がれる。
吐き気を催す腐臭……これは、腐りきった肉の塊だ。
『静かに待っててね、お兄ちゃん』
視界の端に映る赤紫色の肉、血が流れていたであろう管。
その全ては僕を取り込む。
肉は僕を完全に包み込むと蠢きを止めた。
身動きが取れず目も見えず、鼻も口も塞がれている。
死亡理由の傷痕に潜り込むように腐肉は僕の体を締め付けていく。
鼻から口から侵入し、喉まで埋めた腐肉は嘔吐すら許さない。
指先を震わすことも出来ず、僕はこのまま潰されるのだろうと他人事のように予測した。
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