第146話 生への執着


巨鳥襲来時、ロキの家。

突如として現れた鳥、降り注ぐ魔力を帯びた羽根。

普通ならば……普通の人間ならば、死んでいる。


アルは無事だった。

家の倒壊程度で傷を負うようなヤワな体はしていないし、怪我をしても一瞬で癒える。

本物の賢者の石というのはそういうものだ。


『……ヘル! ヘル、いるか』


倒壊時、アルはヘルと離れていた。

同じ部屋にはいたが、瓦礫は部屋の真ん中に陣取りアルとヘルを分断していた。

アルは隣に寄り添っていればと後悔する。


『怪我はないか? ……返事をしろ、ヘル』


アルの頭は嫌な想像だけで埋まっていた。

魔物使いというのは特別な力だが、身体能力や魔術に関しては全くの無能と言っていい。

普通の人間……いや、それ以下だ。

そんな彼が瓦礫の下で生きている可能性は極々わずかなものだ。

そしてもう一つ問題がある、アルの尾や翼が倒れた柱の下敷きになっていたのだ。

無理矢理引き抜くことは容易だ、千切れたって構わない。

だが、ヘルの位置を確認できていない以上、下手に動いて家を崩すわけにはいかない。


『ヘル、返事をしてくれ』


だから今、アルに出来るのは呼びかけだけ。

アルは心配と不甲斐なさで押しつぶされそうになっていた。




轟音とともに落ちてきた屋根は、僕の頭の上で静止していた。

訳も分からずその不思議な光景を眺めていると、不意に腕が痛む。

あの魔物につけられた傷だ。

尾を絡められて、その先の鉤爪が皮膚を浅く裂いて……その痕が奇妙な模様を描いていた。


「……魔法陣? 見たことある、ような」


兄が自らの体に彫った魔法陣の中にあったような。


「防護結界だよね。これ」


魔法陣を解読したわけでも、兄の教えを思い出したわけでもない。

今の状況、僕を囲うような光のドームを見ての推測だ。

このまましばらくは持つだろう、アルが来るまで程度なら。


脱出よりも身の安全の確保よりも、気になることがあった。

魔法陣を描いたのは魔物だ、間違いない。

アルを動揺させるためだけに兄の名を仮に付けたあの魔物。

魔法を扱う魔物なんて聞いたこともない、大して魔物に詳しくもない僕が言っても仕方ないだろうか。

だが、魔法はかなり特殊な術だ、使える魔物がいたなら知っているはずだ。僕も魔法の国の出身なのだから。


「まさか、まさかっ……そんなわけない、違う」


魔物の瞳を見た時の妄想が蘇る、あの魔物が兄なのではないかというふざけた妄想が。

魔法陣の件も、兄なら納得がいく。

だが納得がいかない件が多すぎる。


まず第一に兄が魔物になる理由だ、僕の怪物化が治まったことと関係があったとしても、納得がいかない。

それじゃあまるで、あの兄が僕の身代わりになったみたいじゃないか。

僕の兄なら魔物化した僕を喜んでいたぶるはずだ、壊れにくいと喜んで……いや、詳細な妄想はやめよう。


そしてもう一つ、防護結界を僕に施す理由だ。

兄ならばソラで魔法陣を描くことも可能だろう、魔物になってもその知識が健在だと言うのなら。

だけどそれじゃあまるで、僕を助けているみたいじゃないか。

何かあった時のために、なんて僕を心配して護ろうとしたみたいじゃないか。

ありえない、ありえない、兄に限ってそんなことする訳がない。


兄があの魔物になったなんて、やはり僕の妄想でしかない。

兄が僕のために行動してくれる、なんて馬鹿な願望と、それを無意識下に叶えようとした馬鹿な妄想。

そして何よりも僕が嫌なのは、兄があの魔物だったらいいのにと考えていることだ。

魔物になるほどに僕を愛して欲しいなんて馬鹿で自分勝手な願望。

魔物になっても僕を心配して魔法を施して欲しいなんて身勝手な願望。


「……違う、違う! 僕はただ、捨てられたくないだけだ、その、はずなんだ。

僕はそんな奴じゃない、そこまで求めたりなんかしない! 僕は……僕は、ただ……ずっと隣にいて欲しいだけで、時々撫でたりして欲しいだけで、僕のために何かして欲しいなんて、そんなことで愛を見せて欲しいなんて思ってない!」


誰に対するものでもない自分のためだけの言い訳。

自分で勝手に外に出てもいない自分の考えを責めて、自分で否定して、勝手に叫んで、泣いて……そうやって今まで、人に迷惑をかけてきた。

人に嫌われてきた、捨てられてきた。

自分自身には変わる気もないのに相手には常に最善を求めて、少しでも足りないと裏切られたって喚いていた。


ピシッ、と高い音。

上を見れば結界にヒビが入っていた。

ガラスが割れる時のように、ヒビが蜘蛛の巣状に広がっていく。


「……割れたら、僕、死ぬのかな」


その方が世界のためなんだろうな、みんな喜ぶんだろうな、僕は死ぬべきなんだろうな。


「…………もう、いいや。どうでもいい」


結界は限界を迎える前に消えた。

割れた訳ではなく、消滅した。



魔法陣は魔力を変質させて放出するための装置のようなものだ。

紙や布に描いたものなら魔力を込めなければ効力を失う、逆に言えば魔力さえ切らさなければ半永久的に使えるのだ。

人に……人の肌に描いたなら、魔法維持のために使う魔力は術者の込めた僅かな魔力、それに描かれた対象の魔力だ。


ヘルは魔法を扱えない、だが魔法陣が魔力を吸い取るように設定すれば、魔法は発動する。

ヘルは魔力の量だけは並外れている、傷が癒えるまでは防護結界は展開される。

魔物と化したヘルの兄はそう予想して魔法陣を施したのだ。

ヘルの願望通りに、ヘルを護るために。

自分が人の姿を取り戻した時に、傷一つ無い状態で手に入れるために。


だが結界は消えてしまった。

消えるはずのない結界は、ヒビすら入らないはずの結界は、その効果を失った。

何故か? 答えは単純。

魔法陣が吸い取って使っていた魔力の主が、その生を諦めたからだ。

魔法陣の効果は魔力に混じった感情と矛盾した。

だから効果は消滅した。




ヘルの声が聞こえた。

泣いているような、混乱しているような、そんな声だった。

アルはヘルの位置を特定した、後はそこに向かうだけだ。

崩さないように翼と尾を引き抜いて、隙間を縫って、ヘルの元へ。

アルはどうすれば少年を危険に晒すことなく助けられるかを考え始めた、瓦礫の積み重なり方をよく観察して、どう動けば崩れないか計算して、そうこうしているうちに、近くで轟音、それに振動。

微かに舞い上がった砂埃、向こう側で……ヘルの元で、瓦礫が崩れたのだ。


『ヘル! ヘル、返事をしろ! 無事なのか? そっちはどうなっている、ヘル!』


聞こえるのは、パラパラという倒壊の痕跡だけ。

アルは痺れを切らして尾に噛み付いた。

引き抜くのも引きちぎるのも瓦礫を崩す恐れがある、ならば挟んだままにすればいい。

もっと早くこうすべきだった、とアルは後悔した。

瞬時に再生した黒蛇は翼を切り捨て、アルは自由に動けるようになった。

隙間に体をねじ込みながら思う、自分の体がもう少し小さければ……せめて普通の狼くらいの大きさならば、楽に行けただろうと。

毛を汚しながら進んだ先に、ヘルを見つけた。


『ようやく見つけたぞ、ヘル』


木材の突き刺さった腹に頭を擦り寄せ、アルはその銀の毛を赤く染めていく。


『ヘル……頼む、返事をしてくれ。なぁ、ヘル』


温度を失っていくヘルの手に、鼻先を擦り寄せる。

いつものように撫でられる未来を妄想しながら、アルは弱々しい鳴き声を発した。

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