第130話 一万年越しの遊戯


気の向くままに……なんて言ったけれど、実際はそうはいかない。

名前を取り戻す方法は分かったが、それを実行することは出来ない。

だからとりあえず、その名前を奪った相手に会いに行くことにした。


名前が戻れば、本来の力も戻るはず。

名前と記憶を奪われてからは戦闘はできるだけ避けていた、相手に干渉するためには相手に干渉されなければならない。

だが、昔は違った。

名前さえ取り戻せば本当に僕の全ては僕の自由だ。

僕の意志の元に遂行される本物の自由。

名前さえ取り戻せば、無数に存在する過去と同じように、彼と対等に話せるだろう。

彼が死んでしまう前に、なんとしてでも名前を取り戻さなければ。


さて、少し整理しようか。

記憶が戻ったと言っても混乱はあるし、名もまだない。

一つ一つ丁寧に記憶の棚に納めていこう。


まず三つの人格に分かれていた時だ。

『白』と『灰』は僕の''自由意志''という性質を二つに分けた人格。

そして『黒』はその残りカス──本来の僕とも言えるが、記憶がない上に''顔無し''の顕現が中にいた。……訂正、僕じゃないやコレ。

その後天界に戻って神に人格を統合されて……その後も『黒』を名乗っていたか、アレも僕に近いけれど、''顔無し''の影響を強く受けていた。

希少鉱石の国にいた頃など、僕はほとんど外に出られなかった。


まぁ……このくらいでいいかな。

あの気味の悪い触手は引きずり出したし、僕は今本物の僕だ。

体内に何もいない、記憶も完璧、名を持たない以外に不備はない。



見る者全てを魅了する美しい人……ならざるもの。

黒と白と灰の混じった髪に、赤と黒の違った瞳。

儚げなその姿は人の庇護欲と嗜虐心を掻き立てる。

だが、何人たりとも彼女に触れることは叶わない。

彼女がそれを望まない限りは。


『やぁ、顔無し君。兵器の進捗はどう?』


『黒』はとある研究室に入り込み、重要な書類が積まれた机に座って部屋の主を待った。

部屋の主は無礼な訪問者に驚きも怒りもせずに微笑んだ。


『元に戻っちゃったみたいだね、まぁボクはどんなキミでも好きだから、別に構わないけど』


『元、ね。名前を返してもらえれば本当に元に戻れるんだけど?』


『名前を取り戻す方法はちゃんと教えたはずだ、これはゲームなんだよ、ボクの大好きなキミが行う、楽しいゲーム』


先程ヘルを解放した男は、白衣を脱ぎ捨てていた。

男の顔はヘルに会った時とは違い、目も鼻もしっかりと見えている。

黒檀のような髪に、深淵を思わせる瞳、浅黒い肌──まともな人間が見れば気が狂うほどに危険な美しさがあった。


『ゲーム……もうその話はやめるよ。進捗を聞きに来たんだ』


告白まがいの言葉を無視されても、男はその気味の悪い笑みを絶やさない。

愛の告白なんてする気もないし、そんな性格はしていない。

ただの軽口だ、だが嘘でもない。


『完成したよ、明日明後日には政府が発表すると思う。どうなるか見ものだね、どこに使うのかな?』


『そんなにすごいの? その兵器。この国は兵器を全く使わないって聞いたけど』


『そりゃもうすっごいよ、辺り一面吹っ飛ばして汚染するんだから。それに使わないなんてありえないよ、使わせるからね』


『……君らしいね、効力もその自信も』


『どうせなら使わなきゃならない状況に追い込んで、葛藤とかも楽しみたいけど……ちょっと急がなきゃだからなぁ』


『本当、最っ高だよ……君』


ため息混じりに呟く『黒』が尻に敷いた紙束の中に兵器の全てが載っているのだが、読む気はない。

そこまでの興味はないし、文字を追うのも億劫だ。


『んふふふっ、お褒めに預かり恐悦至極、なんてね。ところでさぁ、キミが面倒見てた……えっと、魔物使いの子がいたよね?』


『ヘルのこと?』


『それそれ。その子にさ、お薬あげたんだよね、そっちも見てみたくない?』


一瞬で完治する奇跡の秘薬──な訳がない。

あれだけの傷を一瞬で、何の代償もなく治るだなんて、馬鹿な考えだ。

男は薬をなんの躊躇もせずに求めたヘルを嘲る。


『薬って……ああ、アレ? やってくれたね、あの子がいなければ君が僕にやらせたいゲームは出来ないんだよ?』


『大丈夫だよ、そのあたりはちゃんと考えてる。キミのゲームは滞りなく進むからさ』


『……なら、いいけど』


『あの薬、昔は君で試したっけ、楽しかったなぁ』


『もう二度とゴメンだからね、麻薬よりタチが悪い。まぁ君特製の薬なんだから仕方ないけどさ』


昔日に思いを馳せ──素早く現在に戻ってくる。

それほどまでに思い出したくない過去なのだろう。


『試飲は自分でやりなよね、ちゃんと人間の体でさ』


『人間の体で……あの薬を?』


考え込むような仕草をして、程なくして笑い出す。


『それはそれは……んふふふっ、イイかもねぇ。ふふ、ふふふふっ』


『うわ……冗談のつもりだったんだけどな、相変わらず趣味がおかしいね』


『ふふふふふ……キミは、ボクの趣味は嫌い?』


『好きだよ、大好きさ。当然だろう? でも、巻き込まれるのは気に入らないな』


『んふふふっ。嬉しいねぇ、ボクもそんなキミが大好き。キミを巻き込むのもね』


心にもないことを言い合って、笑い合う。

何万年も前から変わらぬ関係。

愛も思いやりも存在しない彼らだったが、''好き''の言葉は本心ではないが嘘でもなかった。




路地裏にて、人の範疇に収まらない人と無限に近い魔力を手に入れた魔獣がぶつかり合う。

無数の魔法陣を体と衣に刻んだ青年に隙はない。

本物の賢者の石から作られた合成魔獣に終わりは来ない。


「防護結界展開、反射魔法発動」


青年が口を開く度に衣の魔法陣が輝き、魔法が放たれる。


『小賢しい……人間風情が』


「その人間を追っかけてるのはどこの犬かな、それもあんな出来損ないをさぁ!」


『ヘルのことか? 貴様は随分と死にたがるな』


主を侮辱するなど万死に値する。

アルはその翼を広げ、尾を振るい、周囲の建物を崩した。

土煙が青年の視界を奪い、瓦礫が防護魔法を集中させた。

その隙を狙いアルは青年の腕に喰らいつき、そのまま引きちぎった。


『もう一本も貰おうか、私は今腹が減っている』


「……君、馬鹿だよね。まぁあの出来損ないのペットなんだから仕方ないけど」


腕と共にちぎれた衣に描かれた魔法陣が光り、黒い炎が吹き出す。

アルを包み、羽根を散らし身を焦がした。


「痛覚くらい消してるに決まってるだろ? 治癒魔法も完備、腕の二本や三本何ともないよ」


痛覚がない生き物が欠陥品とされるのは、病気や怪我に気づかないからだ。

青年が自身に描いた魔法陣には、再生魔法も蘇生魔法もあった。

欠損が即座に修理されるのなら、痛覚など必要ない。

青年は生まれて以来痛みを味わったことがなかった。


「ん、治ったかな。君も……だね、しぶといなぁ」


賢者の石は無限の力を秘める。

傷の再生など朝飯前……だが、アルには痛覚があった。

アルは痛みを感じてこその生き物だと思っていたし、主を奪われた自分の不甲斐なさを罰するには丁度よかった。


『ヘルはどこだ、どこにやった。何をした』


「力ずくで聞くんじゃなかったの?」


『そのつもりだ……が、首が落ちては話せんのでな。貴様もここで私を負かせば教えたとて問題ないだろう?』


「それが負け犬の遠吠えってやつ? ちょっと違うかな。でも言い訳だね」


いくら魔法に長けていようと、傷を癒せよようと、魔獣の速さには追いつけない。

アルはそう考えてヘルの居場所を聞き出そうとしていた。

ここで時間を食ってはヘルがどうなるか分かったものではない、ただでさえもう一週間が過ぎている。

逃げ出す訳ではない、一時撤退でもない。


「そうだね、僕の家のベッドの上に縛ってあるよ。目は片方潰したし、指は全部折った。足の骨も結構砕いたし、皮膚も肉も大分抉ったよ。とっっても楽しかった、可愛かった、本当にイイ玩具だよ。ああ、安心してね。壊してもそのまま放っておいたりはしないから、何回でも治して遊ぶからさ」


アルは青年の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。

怒り狂い、我を失って青年に突進する。

自責と殺意に満ちた咆哮は、深い愛を表していた。

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