第129話 会遇
ベッドに縛りつけられてから何日経ったのだろう、いや何週間、何ヶ月。何年も経ったと言われても信じるだろう。
時間の感覚はない、体の感覚も薄い。
開かなくなった右眼に変わって、左眼だけで手を見た。
指はみんなバラバラの方向を向いて、動かそうとしても動かない。
右腕の、肘のあたりに刺さったこれは何だったか。
ああそうだ、夕食の時に噎せてしまった僕への仕置だったか。
美しく輝いていたはずのナイフは赤黒く錆びつき、僕の体の一部と化していた。
手はもう使い物にならない、足はどうだったかな。
右足は覚えている、何度も棒で殴られて傷ついて腫れ上がって、菌が入って……どうなっているのだろう。
見えてもいないのに紫になった足が瞼の裏に浮かんだ。
左足は……? 動かない、けれど何があったのか思い出せない。
毎日毎日殴られているせいだとしたら、印象が薄くても仕方ないかな。
……アルは、いつ来てくれるんだろう。
どうして来ないの。忘れてるの。
…………見捨てられた?
兵器の国の政府は、今とある兵器の開発に尽力している。
核、とか何とか。
科学技術などバカバカしいと常々思う、魔法ならば金も何もいらないのに。
ああ、凡人には出来ないのか。
「……ふん、非科学的なんて馬鹿なことを言うよ。国連から追い出された理由を理解出来ていないらしい。魔王に呪われてるくせに非科学的なんてよく言えたね」
兵器の国の政府は今、科学で解明できないモノを必死に追い出している。
たった今職場を追い出されたばかりの青年には、身体中に魔法陣の刺青があった。
魔法の国が滅びた今、魔法使いは彼だけだ。
この国は魔法使い唯一の生き残りを捨てた、その者の性格も考慮せずに。
『……そこの人間、止まれ』
路地の向こうから声が響く、人ではないモノの声。
青年はそれに臆することなく答えた。
「随分と無礼な口の利き方だね、まぁいいよ。何かな?」
ストレスを発散できる玩具も見つかったことだ、この魔獣に怒りをぶつけるよりも玩具にぶつけた方が気持ちいい。
青年はそう考えて温和に対応した。
『貴様からヘルの匂いがする、それも血の匂いだ。ヘルをどこへやった』
路地の影が大きくなる──いや、魔獣が黒い翼を広げて青年を威嚇している。
「……知らないね、勘違いだろう」
青年は直感していた。
この魔獣が玩具の言っていた''アル''だろうと。
ならば会わせる訳にはいかない、魔物使いが手に入らなくなる。
それだけは避けたい。
『シラを切るか、なら力ずくで聞き出すしかないな』
「間違いは認めなよね、まぁ、僕も力で訴えるのは得意だよ」
幾重にも重ねた衣を一枚脱ぐ、裏には無数の魔法陣が重なり合って描かれていた。
「このエアオーベルング様に逆らうなんて、愚の骨頂……って教えてあげる」
支配せよ、征服せよ。
幼い時からずっと頭の中で響く声、抑えようのないこの衝動。
魔法陣の描かれた扉が開く。兄が来たと直感し、僕は恐怖で目を閉じた、それが余計な暴力を産むと知っているくせに。
『ふふっ、ふふふふ。あははははっ』
……違う、兄ではない。
科学者のような格好をした黒い男だ。
顔は見えない──違う、見えているはずなのに分からない、認識できない。
『核兵器がさぁ、完成したみたいだよ。楽しみだねぇ……どう使うのか。ふふ、ふふふふっ、はははっ』
この部屋には兄以外入れないはずだ、そんな魔法がかかっていると聞いた。
たとえ侵入出来たとしても攻撃魔法が発動する。
何故この男はここにいる? 方法も目的も分からない、ないのかもしれない。
『至上の愉悦だ……最高だよ』
顔が分からないはずなのに、恍惚とした表情だと分かる。
男は僕の轡を外し、手を縛っていた縄も解いた。
『直接手を下すのは主義に反するんだよねぇ、でもここで君が絶えてもつまらないし、まぁこのくらいならいいかなって、ね』
「……ありがとう」
『……ふふ、んふふふっ。感謝するんだ? あははははっ』
「外してくれたから……あ、君は誰?」
『んー……誰かなぁ。誰がいい?』
拘束が解かれたとしても、この傷ついた体では部屋どころかベッドからも降りられない。
なんとかこの男に協力してもらって家を出なければ。
「ここから出してくれるような優しい人なら嬉しいかな」
『優しい? うん、ボクは優しいよ、うんうん』
「怪我をして動けないんだ、外まででいいから運んでくれないかな、お願い」
『んー、まぁボクは悪い邪神じゃないからねぇ。でも手を出すのは主義に反するんだ。だけど、お薬くらいならあげるよ? たちどころに全身の傷が治るお薬、いる? 欲しい? 使う?』
男が懐から取り出したのは小さな瓶だった、中には黒い油に似た液体が入っている、光の加減か虹色の輝きも見えた。
即効性の傷薬なんて、怪しいことこの上ない。
だが今の僕には躊躇している時間はない、兄がいつ帰ってくるか分からない。
「……欲しい」
『うん、じゃあ飲ませてあげるね、口開けて?』
男は優しく僕の顎を引いて、粘り気のある液体を喉に流し込んだ。
体が一瞬熱くなり、気がつくと傷は全て治っていた。
だが、劣悪な環境は僕を衰弱させていて、それは薬で治らなかった。
「ありがとう、なんとか、一人で動けるよ」
『這いずってねぇ……改良が必要かな。結構色々やったのになぁ』
ふらりと上体を起こし、ベッドから転がるように落ちる──と、男に支えられた。
『まぁこのくらいならいいかな。ほら立って』
男にしがみついて全体重を預けて、足だけに集中して家を出た。
活気のない街は僕のことなど気にもとめない。
「ありがとう、本当に……ねぇ、君の名前を教えて欲しいな」
僕を助けてくれた優しい人、男の印象はそうだった。
『んー、人間には発音できないと思うけど? 友人は''顔無し君''って呼んでたかなぁ。でもあれボクだけどボクじゃないし、可愛くないし』
顔無し……どこかで聞いたような、気のせいかな。
『あ、そうだ。ナイ君って呼んでよ。顔無しとかけてるんだ、可愛いし呼びやすいよね。流石ボク、良いの思いつくよ』
「分かった。あとさ、あの、僕……君に会ったことある?」
いつどこで出会ったかは思い出せないし、はっきりと姿が思い出せた訳でもない。
ただこの男の雰囲気はどこかで感じたような気がするのだ。
『気のせいだよ、きっとね。』
「そう……かなぁ? 」
『まぁボクの姿は一つじゃないし……ううん、何でもないよ、気にしないで。今のボクはただの科学者、か弱いから虐めないでね』
兄の家から離れた店の壁に、僕をもたれされる。
男は僕の髪をかきあげて右眼を見る、何かを調べるふうだった。
『んー、どうなるかな。まぁせいぜい足掻いてよ。お薬あげたんだからちゃんとボクを楽しませてよね』
「うん……? ありがとうね」
『ふふ、ふふふっ…………じゃあね』
顔の見えない黒い男、不気味な彼だが悪い人ではない。
僕を助けてくれたのだから、兄よりもずっと優しい。
人でなくても──いや、僕に優しくしてくれるのは人以外のモノばかりか。
離れていく彼の足音、見えなくなる影。
ずっと感じていたことだが寂しさが叩きつけられた気分だった。
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