第95話 君がため 惜しからざりし 命かな


御簾の向こうに御前様は居た、影から見るにいつも通りの崩れた座り方だ。


『どういうつもり?』


『生きて帰ってくるとはの、酒は飲ませたか?』


『馬鹿みたいにぐびぐび飲んでたよ。で? どういうつもりなのかって聞いてんだけど。随分と危険な真似をさせてくれたよねぇ』


僕は相変わらず『黒』に抱かれたままだ、下ろせと言う気力も暴れる気力もない。

通称お姫様抱っこ。恥ずかしいが、まぁ悪い気はしない。

大切にされているような錯覚を味わえる。


『この国を以前支配していた邪神が倒れ、倒した者もどこかへ消えた。

邪神を切った刀……天羽々斬は盗み出したが、私に扱えそうもない。

妖魔を統べ、人間をも統べ、この国を私のものとする、それが私の望み。

その為には邪魔な鬼が二体もいる、それを片付けさせた迄よ』


痛む頭にも御前様の言葉はするりと入り込む、冷たい彼女の声は酔いを覚ましてくれるようだ。


『あの大酒飲みは簡単に落とせたようじゃな、あとは大嶽丸だけ……さて、色仕掛けでもするか? 鬼は騙されやすいからの』


くすくすと御簾の向こうから楽しげな笑い声、企みをする意地の悪い笑いだ。


『騙しは十八番ってわけ? 人を巻き込まないでよね』


『私は非力なのじゃ、許せ』


『僕達は今日限りで仕事を辞めさせてもらうよ、退職金もらえる?』


『そうくると思うたわ。金はやらん、出ていくならさっさと出ていけ』


『あ、そ、冷たいね』


ぼんやりとした視界に『黒』の嘲るような笑みが映る。

『黒』は僕を横抱きにしたまま、荷物も抱えて屋敷を出た。

適当な宿を取り今夜はそこで眠る、僕は布団に転がされた途端に眠ってしまった。



朝、いや昼か。

窓辺に小鳥が止まって可愛い歌を歌っている。

二日酔いのせいで胡乱だった世界が晴れていく。


『おっはよー、朝食兼昼食でもどう?』


「……食べたい、けど吐きそう」


まだ吐き気は収まらない、口を押さえながらそう答えた。


『上向いておけば出てこないよ、きても戻る』


「……僕死なない? それ」


『寝てもないのにそうなったら……情けない死に方だね、葬式では笑ってあげるよ』


無責任な発言に怒りを通り越して呆れてしまう、いや諦めたと言った方が正しいか、『黒』はこういう奴なのだから。


『それよりも、見てよこれ。屋敷からの退職金代わり!』


細長い何かを見せる、僕が困惑していると『黒』は巻かれていた布を外し、僕の目の前に置いた。


刀だ、僕の腕よりも長い。

『黒』は得意げに微笑んだまま刀を抜いた。

古びた鞘から現れたのは美しい鋼だ、まるで水に濡れたような輝きを放っている。


『どうせなら例の天羽々斬でも貰えれば良かったんだけどさ、アレはちょっと扱い難しいしさ、代わりに隣の蔵にあった刀を貰ってきたんだよ』


貰ってきた? 盗ってきたの間違いだろう。

そう言いかけた口を閉じ、吐き気に耐えた。


『小烏って刀らしいよ、なんか可愛い名前だろ? 僕にぴったり』


陽の光を反射していた刀は再び古びた鞘に納められた。

刀の名に窓辺の小鳥を見る、『黒』にぴったりかどうかは置いておいて、本当に持っていく気なのだろうか。


『これなら僕も戦えると思うんだよね、いつもいつも逃げられるとは限らないだろ?』


「僕の、ため……?」


そうでないと分かっていつつも聞いてしまった。

何かと戦うのは僕を守るためなのだと言って欲しかった。

裏切られると知っていても期待してしまうのだ。

守られる価値もないくせに、誰かに守られたがっている。


『まぁそうだね、前も言ったけど僕は他のモノに干渉する力が極端に弱いからさ。こーいう武器は必須なんだよ』


「……え?」


今、なんて言った。


『力は人間以下だってこと、そりゃ翼や角出してやれば人間は超えるけどね? 人間に化けたままでも力出せないと意味無いからね』


「違う、その前」


『いつも逃げられるとは限らない?』


「違う! 僕のためかって聞いたあと!」


二回も言ってしまった、だがもう後戻りは出来ない。

『黒』は確かに肯定していた。


「……僕のために、戦ってくれるの? 僕を守ってくれるの?」


『そりゃそうだよ、君は人間なんだからさ。しっかり守らないとすぐ死んじゃうからね』


違う、そうじゃない。

僕が欲しいのはその理由じゃない。

僕が生きていなくてはならない理由が聞きたいんだ。


「なんで死んじゃったらダメなの?」


『何? 死にたいの?』


「違うよ! 違う……はずだ、アルにもう一度会うまでは死にたくない。

『黒』は僕が死んだら困るんだよね? そうじゃないと守ったりしないよね?」


このまま、このまま一言だけで肯定してくれればいい。

愛しているなんて言わなくてもいい、抱き締めてくれなくてもいいから。

僕が死んでしまったら悲しいとだけ言って欲しい。


『困るか困らないかで言ったら困らないけど、乗りかかった船って感じかな』


「僕が死んでも……『黒』は何とも思わないの?」


『思わないね、あーあ、くらいは言うかな? 言ったろ。百年も生きない人間に思い入れなんて無いんだよ』


「……そう、ごめんね。変なこと聞いて」


こんな淡い望みも叶わない、僕にはそんなに価値がないのか?

勝手に溢れてきた涙を見られないように後ろを向く。

こちらからも拒絶するようにそっぽを向いていると、『黒』は買い物をしてくると出ていってしまった。


この部屋はこんなに広かったのか? それにとても寒い。

『黒』には何も期待出来ないのに、どうして居ないと寂しいのだろう。

独りに耐えきれず『黒』を追う……追おうとした。

勢いよく開いた扉の向こうに立っていたのはもちろん『黒』ではない。


『なんや久しぶりに会うたみたいやねぇ』


「どうして、あの酒、毒だって……」


真っ赤な口紅の塗られた大きな口が耳まで裂けるように笑う。

この鬼もあの酒を飲んでいたはずだ、なら何故ここに居る、立っている。


『酒呑様ほどは飲んでへんし、そもそも殺すような毒でもあれへん。

せやかて妖気はごっそり持っていかれた、これで玉藻に挑むわけにもいけへん。

そんなら憎い人間まず喰って、力養うて玉藻に復讐しよ言うてな』


「憎い? 僕が?」


『当たり前やろ? 毒盛られたんや、あんたの姉さんとこには酒呑様が行っとるわ。

やっぱり女の方がええ言わはってな、ほんま好みの激しいお方やわぁ』


姉と言っているのは『黒』の事か、見た目の特徴から姉弟と判断されたのだろう。


「僕は知らなかったんです! 毒だなんて、ただ酒を届けろって言われただけで!」


『そんなん知らんわ、右腕落とされてからろくに喰えずでなぁ。腹減って腹減って仕方ないんや』


大きく開かれた口には鋭い牙が見えた、僕は咄嗟に『黒』の置いていった刀を掴み、抜いた。

振るうことなど出来ないくせに、持ち上げるので精一杯のくせに。

脅しにもならない構えで必死に鬼を睨みつけた。

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