第81話 光を齎し給え


静かな部屋にカチャカチャと金属音が響く、金属が剥き出しになったリンの右腕が器具に当たる音だ。

真っ赤な液体が詰まった瓶には、確かな温かさを感じる。

だが、それだけだ。


『出来んのか?』


「やっぱり俺には難しいよ、じい様だけが特別優秀だったんだ」


『我らだけでは足止めにもならん、早急に優れた合成魔獣を造ってもらいたいな』


「普通のものなら造れるけど、君達程の出来となると賢者の石が必須なんだよ。

そんな物俺には造れない、そもそも科学の国では錬金術は存在自体否定されているんだから。

制作方法どころか材料すら不明だ、君達も分からないんだろう?」


コントロールパネルを乱暴に叩き、リンは無造作に椅子に倒れ込む。

もう何回も見た光景だ。


『錬金術はとうの昔に潰えた技術だ、俺の父が最後の錬金術師だったんだろ』


瓶にもたれ込んだ僕の足にアルが擦り寄る。

アルは最近無口だ、記憶の件を気にしているのだろうか。


「悪いね、力になれなくて」


『下等生物になど最初から期待していない。行くぞ、カルコス、アルギュロス、もう時間だ』


クリューソスに導かれ、科学の国を後にする。

離れていく巨大なビル群が今となっては名残惜しい。

僕はアルの背に乗って、二体の獣の後を追う。

周囲に建造物のない、広い草原の小高い丘に降り立った。


『何も無いようだが、ここが目的地か?』


背から降り、周囲を見回すアルの背を撫でる。

クリューソスは空を真っ直ぐに睨みつけており、答えを返さない。


『予測ではあと小一時間だそうだ、まぁ気長に待とう』


呑気にも欠伸をしてカルコスは寝転がった。

小一時間などすぐだ、もうすぐあの堕天使がやってくるのだ。

アルを引き裂いた、あの残虐な堕天使が。

震える腕を止める為に自分の肩を抱きしめ、不安を誤魔化す為に空を見上げた。


「昼間なのに月が見えるね」


真昼間だというのに丸い月が浮かんでいる。

拭いきれない不安をアルに話しかけることで和らげる。


『……ああ、あれは金星だ』


「金星? 月じゃないんだ」


『明けの明星だな。今は不吉の象徴だ』


アルはいつも通りの様子で話す、あの堕天使が恐ろしくはないのだろうか。

覚えていないのならそうなのかもしれない。

伏せをしたアルの隣に座り込み、そのままぼうっと金星を眺めていた。

特段美しくも感じられず、まばらな白い雲と青い空も今は薄暗く見える。

それはきっと僕が希望を捨ててしまっているからなのだろう。

僕が、獣達が戦うのは天魔の為だ。

戦争を起こさない為に人界で堕天使を引き止める。

人界を守る為ではない、人は滅びるかもしれない。

顔も見たことのない神や悪魔の為に戦って死ぬというのはどうも気が進まない。

負けて死ぬと分かっている戦いに、人の為でもないのに、どうして僕達はここに居るんだろう。


「ねぇ、アル」


今ならまだ間に合う、逃げよう。

そう言うつもりだったのに、声は出てくれない。

それはまだ僕の目が空に向いていたからだ。

色が反転してしまったかのような赤と黒の空を見てしまったからだ。


『もう来たのか、早すぎるな』


クリューソスの声が聞こえるよりも早く、空に浮かんだ十二枚の翼を見つけた。

並の天使など足下にも及ばない美しい姿で、並の悪魔など足下にも及ばない禍々しい翼で。

その堕天使はゆっくりと僕達の前に降りてきた。

地に足をつけず、その黒い翼を揺らしたまま。


『あっれー? 君殺さなかったっけ、なーんか増えてるし』


アルを指差し、わざとらしく首を傾げる。

美しい金色の髪が揺れ、寒気がするほど赤い瞳が僕を捉えた。


『やぁ魔物使いくん、元気してた? また会えて嬉しいな』


思ってもいないことをよく言えるな、と意識を逸らした瞬間。

僕達に光の槍が降り注いだ。


『へぇ、結構やるじゃん。面倒臭いな』


クリューソスが展開した光の球は僕達を包み込み、光の槍を弾いた。

そして球は空へと浮かび、クリューソスは叫んだ。


『弓を引け! 当てろとは言わんが時間は稼げよ!』


肩にかけたカバンから銀の弓を引っ張り出す。

真っ直ぐに堕天使へと飛ぶ矢は当たる直前で弾かれ、そのまま霧のように消えた。

再び矢を番えた時、堕天使は僕を真似るように光の弓をその手に作り出した。

巨大な矢は球を貫き、破壊した。

落下の途中で僕は黒蛇に巻きつかれ、アルの背に括りつけられる。


『クリューソス! どうする!』


着地したアルはクリューソスに向かって叫ぶ。

だが返事はない。

地に落ちたクリューソスはピクリとも動かない。


『アルギュロス、彼奴は我らを熟知している』


『いきなり何だ』


『あの矢は……石を完璧に破壊した』


クリューソスの体には大きな穴が空いていた。

血は流れず、ただ赤い石の欠片が辺りに散らばっていた。

触れた体にはもう体温は感じられない。

振り返れば堕天使はもうそこに来ていた。


『知っているか? 雄の獅子は、普段は寝てばかりだと』


『こんな時に……気でも違ったか』


『狩りは雌にやらせ、子供の世話もしない。雄が働くのは縄張りを侵す敵が現れた時だけだ』


カルコスは降り立った堕天使へと歩み寄る。


『女子供を守るのは我の役目、ガキを連れて逃げろ、アルギュロス』


『ふざけるな! 貴様は三体の中で最も戦闘に向かない、私がやった方がまだマシだ!』


『我の仕事を取ろうというのか? この駄犬が。いいから黙って尻尾を巻いて逃げるんだな』


舌打ちと共に僕の胴に巻きつく黒蛇、その力はいつもよりも強い。

アルは僕を乗せて堕天使とは反対方向に走る。

無駄だと分かっていながらも、僕はカルコスに手を伸ばして叫んだ。


「カルコス! ダメ……逃げて! 」


一言だけで喉を枯らすその絶叫は虚しく響く、獣と堕天使の姿は次第に小さくなり、やがて見えなくなった。






ヘルとアルが去った草原で、カルコスは堕天使と対峙していた。


『可愛くないガキだ、最後の最後に我の名を呼びおって』


『ははっ、素直じゃないねぇ、君』


楽しげに翼を揺らし、堕天使は嘲笑う。


『我がこの世で最も愛するのは我が兄弟、それを殺した貴様にはそれなりの刑が必要だ』


『あっははははは! 魔獣風情が偉そうに!』


『我の特性は魔術の無効化と癒し、その二つでは敵に勝てん』


『よーく分かってるんじゃないかぁ……聡い子だね』


堕天使はカルコスの頭を撫で、その首を引きちぎる為に鬣へと手を這わせていく。

カルコスは堕天使などいないように淡々と話を続けた。


『三体の合成魔獣で最も優れた金虎は魔術に長ける、次に優れた銀狼は強靭な体を持つ』


『そうでもなかったけどなぁ、じゃあ君は一番の出来損ないって事?』


両の手を鬣に潜らせ、準備万端と堕天使は笑みを浮かべる。


『銅獅子は攻撃手段を持たない、だがある術を使うことが出来る』


『へぇ? 何かな』


『この世で最も優れた石の力を全て破壊の力に変える術だ』


堕天使の顔から笑みが消える、即座に手を離すも時すでに遅し。

赤い閃光が獅子の体内から解き放たれる。

巻き起こる爆風は堕天使を巻き込み、草原を一瞬で荒野に変えた。

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