第73話 嫉妬、怨恨


真っ暗な階段を下りながら、僕はふと砂漠の国での出来事を思い出す。

『黒』の頼み事だ。

天使長を探して欲しいというあの頼み。

確か『黒』は天使長の気配を地下に感じると言っていた。

もしかして、という考えが僕の頭を埋めていく。


『……着いたな』


階段が終わり、剥き出しのコンクリートに斜めに突き刺さった燭台の火が揺らめく。

蝋燭もないのに青い火が灯り、僕達の足元を照らしている。

その火には不思議と温度を感じない。


長い廊下の奥に地下牢のようなものが見えた。

古びた鉄格子は今にも崩れそうだ。

先程から漂っているこの匂いは血なのか、鉄錆びなのか。


「誰か居る」


『おい、待て、ヘル!』


牢屋の中に人を見つけた。

輝く長い金髪を垂らした人だ、顔は見えない。

膝立ちをするような体勢で鎖に縛られている。


「あ、あの、大丈夫……ですか?」


鉄格子を揺らし、声をかける。

腐っていたのだろうか、鉄格子は僕が触れただけで簡単に倒れた。


「……聞こえますか?」


間近で見ると、その背に翼が生えていることに気がつく。

ただその翼は毟られており、付け根だけが残っていた。

床に落ちた真白な筈の羽根は赤黒く染まっている。


『……天使、か。魔力変換装置は此奴から吸い上げていたらしいな』


「ねぇ、アル。この鎖外せないかな」


手首、足首、首には枷がはめられている。

それだけではなく体を貫通して無数の鉄の槍がその天使を地に縫いつけていた。


『ふむ、待て……此奴、妙に翼が多い』


アルは天使の後に回り、翼のあった場所を観察する。


『二、四、六? 十二枚……だと?』


考え込むアルを無視して、僕は首の枷を調べる。

鍵穴などはなく、鉄格子のように腐ってもいない。

僕には外せないなとため息を着いていると、美しい金髪が微かに揺れた。


『……ぅ、だ、れ?』


高く透き通った美しい声は苦しそうで……僕の胸を締め付ける。


「気がつきましたか? 大丈夫ですよ、今外しますから」


『……にん、げん?』


天使は頭を持ち上げ、髪の隙間からその顔を見せた。

ゾッとする程に赤い瞳に小さく僕が映る。



美しい。



どんな芸術品も敵わない程の美しさだ。

枷を外すのも忘れて見蕩れてしまう。


「あっ、す、すいません。すぐに外しますから」


そう言って枷を調べるも、外し方は分からない。

頼みの綱のアルはじっと何かを考え込んだままだ。

そして僕は天使の美しさで忘れていた『黒』の頼み事を思い出した。


「あの、僕、ある天使の頼みでここに来たんですけど、あなたが天使長……様、ですか?」


『ある、天使?』


「名前は教えてくれなかったんですけど、黒っぽい天使です」


『……そう、確かに私は天使長だ、但し』


ばぎん、と嫌な音が響いて枷が壊れる。

天使の力なのだろうか。

天使はゆっくりと立ち上がって突き刺さった槍を抜く。

赤い血が飛び、くらくらと頭が痛む。

槍の痕は即座に癒え、翼も再生していく。


『元、だけどね』


その美しさに見惚れてぼうっと立っていた僕を、アルは突進して現実に引き戻した。

僕をすくい上げて背に乗せ、今までで最も速く走り牢屋を離れる。


「アル!? 何するの!」


『知らんのか!』


離れていく天使の姿を見つめる。

完全に再生したその翼は、黒い。

アルの翼よりも黒く、どんな悪魔よりも禍々しい。


『十二枚の翼を持つ天使! 天使長だったモノ! 彼奴は最悪の堕天使だ! 聞いた事ぐらいはあるだろう!』


アルの言っている言葉の意味が理解出来ない、僕はただ禍々しく美しい天使を眺めていた。

そして、大量の禍々しい光が矢となって放たれる。


その光が見えた瞬間、僕はアルの背から投げ出されて壁にぶつかった。

尾はまだ体に巻きついたままだ。

だが、アルの体とは繋がっていなかった。


「アル!? アル、しっかりしてよ、アル!」


無数の光の矢はアルを貫いていた。

アルはそれでも立ち上がり、座り込んだ僕を押しのける。

ちぎれた前足を床につき、皮だけで繋がった後ろ足を無理矢理立たせる。


『逃げろ! 私では時間稼ぎも出来ん!』


『そうだよね、人工のくせによく生きてたよ。殺すつもりではなかったとはいえ……褒めてあげるね』


すうっと滑るように現れ、天使は手を叩く。

ニコニコと美しい笑みを浮かべたまま、瞳だけでアルを見下す。

先程までとは全く違った冒涜的な美しさに目眩がする。


「あのっ、天使……様」


『何かな?』


「アルは、アルは……悪い魔物じゃない、です」


『うんうん、分かるよ、君にとってはそうなんだろうってね』


天使はしゃがみこんで僕と目線を合わせる。

その仕草も笑顔も優しい声色も、何もかもが美しく恐ろしい。


「だから……やめて、ください」


『君は何かを勘違いしてるね? どうして私が攻撃したか、君の考えを言ってごらん』


撫でられた箇所が冷えていく、血の気が抜けていく。


「あ、アル……が、魔物だから、僕が、えっと」


『違うね。この魔獣は関係無いよ』


髪を梳いていた手は頬に移り、そこから首筋を撫でる。

僕の考えは否定された。

天使は魔物と普通対立する、魔物から人間……僕を助けようとしたのでは、なんて希望的観測は踏みにじられる。


『人間がね、嫌いなんだよ』


「……え?」


普通の天使ならありえない発言に、僕の思考は止められる。


『神は天使よりも人間を愛しているんだ、知っていたかな。知らなかったとしても考えてごらん、おかしいとは思わないかい?

天使は人間よりもずっと優れていて神に忠実なのに、神は天使よりも人間を愛するんだよ。

おかしいだろう? 許せないよね、許せるわけがないよね』


「何を言ってるのか……分かりません」


『人間は争いばかりして、殺し合って、神の創造物としてはふさわしくない。

だから全て滅ぼしてしまいましょうよって言ったんだ、やったんだ。

ただそれだけなのに神様は私を堕としてしまわれた……酷いだろう』


僕の首に添えられた手はいつの間にか二つになっていた。

動脈の動きを確かめるように、体温を計るように、少しずつ少しずつ手に力が込められていく。

気道がふさがれ始めて、醜い声が勝手に漏れた。


『私が堕とされたのは人間のせいだ、神様は人間のせいでご乱心になられていたのだ。

だから私のように従順で優秀な完璧な天使を堕とされたのだ。

許せないよね、滅ぼすべきだよね、苦しませて罪を分からせるべきだよね。

私は……何も間違えてはいない、そうだよね。君もそう思うよね。ね?』


意識が揺らぎ始めた頃、輝く銀色が僕の視界を埋めつくした。

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