第61話 吸血を求める
生命の存在を許さない美しい氷の中に閉じ込められた、無限の時に清められた白い骨。
残酷で不気味なそれは、どこか幻想的な美しさを秘めている。
『全く、何故私がこんな真似を……』
アルが愚痴を漏らしながら氷塊の上を飛ぶ。
氷塊の上に僅かに空いた隙間を一人ずつアルに運んでもらおう、という事になったのだ。
「ありがとよ、アル」
「ありがとうございます、アルさん」
二人の少女に礼を言われ、アルはふいとそっぽを向く。
大剣を背負い直し、セレナは先頭を行く。
アルはその後に続き、次に雪華が男の手を引いた。
僕が最後尾だ、次へと進む為に狭い道に足を踏み入れた。
一歩、また一歩と足を動かす。
それに合わせて体も揺れる、頭の上ともなればその揺れは中々のものだろう。
そのせいなのか、道の途中でコウモリが頭から転げ落ちた。
「わ、っと、セネカさん? ちゃんとしがみついててくださいよ」
きゅぅ……と、コウモリは力ない鳴き声を返す。
「セネカさん? 眠いんですか?」
翼にも足にも力は入っていない、そんな状態で頭や肩に乗せる訳にもいかず、仕方なく僕はコウモリを抱いて歩いた。
次に現れた広場には、場違いにも豪華な椅子が中央に置かれていた。
先程の広場と同じようにひとりでに灯った蝋燭にはもう誰も驚かない。
だが、椅子に座っていたモノにはヴィッセンが悲鳴をあげた。
鰐の頭をした獅子──いや、下半身は河馬のようだ。
奇妙な魔獣が鎮座している。
「おい、何だよありゃ。合成魔獣か?」
『いいや、彼女は幻獣だ。アメミットという名のな』
アメミット、そう呼ばれた幻獣は瞬きもせずにじっとこちらを見つめている。
「襲ってこないみたいだけど?」
『彼女は罪人を貪る、だが私達は裁判を受けてはいないのでな。たとえ彼女が許さない罪を私達が犯していたとしても、彼女はまだ何もしないさ』
「まだ、ね。じゃあ、隣歩いても大丈夫か?」
『切りかからないのならな』
背の大剣の位置を直し、セレナは戦いの意思はないことを幻獣に示す。
そのままゆっくりと幻獣の横を通り、向かいの壁に手をついた。
セレナはこちらを振り返り、僕らを招く。
アルは幻獣を全く気にせずに進み、雪華はヴィッセンの手を引いて早足で通り抜けた。
幻獣は瞬き一つせず僕を見つめている。
『ヘル、大丈夫だ。おいで』
アルの言葉に引っ張られるように足が動く。
幻獣の息がかかる程に近づく、生暖かい空気に恐怖を煽られながら、そっと横を通り過ぎる……つもりだった。
幻獣が椅子を降りた。
『ヘル、早くおいで。彼女は判決を受けた罪人しか喰らわない。貴方が襲われる事は無い、怯える必要は無い』
アルの言葉とは反対に、幻獣は僕に突進した。
壁に叩きつけられ、肺の空気が追い出されて頭がくらくらした。
『ヘル!? アメミット、貴様何を!』
アルの絶叫が響いた。
幻獣は僕を一瞥したが、興味など初めからないと後ろを向く。
アルは幻獣に飛びかかることなく僕に擦り寄った。
『ヘル、ヘル、平気か? 大丈夫か?』
「へ、平気だよ、多分」
心配そうに僕の顔を舐める。
少女達も僕に駆け寄り、手を差し出した。
「アル、どうなってんだよ。襲わねぇって言ってただろ」
『アメミット……? おい、こちらを向け』
幻獣はアルの言葉を無視し、歩き出す。
その大きな体躯を揺らし、向かう先はコウモリだ。
僕が壁に叩きつけられた衝撃で飛んでいったのだ。
『チッ、そういう事か!』
「どういう事だよ! アタシにはさっぱり分かんねぇぜ」
『セネカ! 起きろ、貴様は悪魔だ! 彼女にとって悪魔は等しく罪深きモノ、無差別に攻撃されるぞ! 』
幻獣はコウモリに噛みつき、また壁に叩きつける。
壁に叩きつけられたコウモリは微かに輝き、青年の姿へと変わる。
「人になった!? つーか悪魔だったのかよ!」
セレナは大剣を構え、もう一人の雪華はロザリオを握りしめる。
僕も弓に手を伸ばしたが、アルに遮られる。
『やめろ! アメミットは今セネカだけを狙っている。こちらには何の興味もない、わざわざ気を引くな』
「はぁ!? 見捨てんのかよ!」
『黙って見ていろ、助けなどいらん』
セネカの翼と羽は垂れ下がり、尻尾も同じように地に付いている。
向かってくる幻獣をぼうっと眺め、腕に喰らいつく様をも眺めていた。
「お、おい。本当に平気なのか?」
『様子がおかしいな。ヘル?』
「僕に聞かないでよ……セネカさん! 反撃してください!」
喰いちぎられた腕は即座に霧と化し、セネカの腕へと戻る。
「なんだ、効いてねぇのかよ」
『再生しただけだ、消耗はしている』
「ならなんで反撃しねぇんだよ」
セレナの発した疑問はおそらくこの場にいる全員が抱いている。
先程、頭から転げ落ちた事と何か関係があるのだろうか。
幻獣は今度はセネカの足に喰いつき、そのまま僕らの方へ投げた。
「セネカさん! 大丈夫ですか? 立てますか?」
走り寄ろうとした僕の体に黒蛇が絡みつく。
アルは黙って首を振り、僕を後に庇う。
幻獣はセネカの頭を喰らわんと大口を開いた。
『お腹……空いた』
セネカが、ぽつりと呟いた。
『お腹空いた。ねぇ、喉渇いた』
幻獣の鰐の頭を掴み、顎を裂く。
雪華の叫び声が聞こえて、僕は冷静さを取り戻す。
『全部食べていいよね?』
吹き出した血は霧と化し、セネカに吸い込まれる。
青い瞳の奥に飢えの赤が煌めき、小さなコウモリは捕食者へ姿を変えた。
裂けた顎をぶら下げて幻獣がセネカに突進するが、単純なそれは簡単に躱される。
頭を壁に刺した幻獣はもがき、雄叫びをあげる。
布を裂くような悲鳴を上げているのは雪華だ。
修道女である彼女にはこの光景は残酷で、冒涜的なものなのだろう。
それとは対照的にセレナは悪魔と幻獣の戦いに歓声をあげた。
大口を開けて飛びかかる幻獣の喉に腕を突き刺し、そのまま肩まで突っ込んでいく。
暴れ狂う幻獣を押さえ込み、セネカは僅かに恍惚とした笑みを浮かべた。
セネカが腕を引き抜く頃には幻獣はピクリとも動かなくなっていた。
引き抜いた腕には一滴の血も付着せず、また床や壁にも血は見えない。
宣言通りに''全て喰った''のだろう。
「セネカさん、大丈夫ですか?」
今度はアルも僕を止めなかった。
僕の言葉に答えず、セネカは虚ろな目で呟く。
『お腹、空いた』
細い指が、そっと僕の首をなぞる。
ただ撫でている訳ではない、頚動脈の位置を確かめるような手つきだ。
『……お願い』
その願いの意味が僕には理解出来た。
僕と同じく意味を理解し唸り始めたアルを片手で制し、僕は頭を傾け首を差し出した。
「いいですよ、どうぞ」
一瞬の間の後、首に微かな痛みが走る。
痛みは一瞬だ、次の瞬間からは全くの苦痛がない。
いや、これは寧ろ。
もっと牙を突き立てて、もっと血を飲んで。
なんて思わず口から漏れそうになる。
それを押さえ込んで、代わりにと漏れた吐息は甘い。
『おい、もういいだろう。ヘルを離せ』
セネカはアルの言う通りに僕を離した、それを名残惜しく思う。
少し、目眩がする。
『ヘル? 大丈夫か?』
しゃがみ込んだ僕を心配するアルが愛しい、だが微かな憎しみも感じた。
あのまま放っておいて欲しかった。
死んでしまったって良かったのに。
そんな考えが浮かぶ自分自身に吐き気を催す程の嫌悪感を抱いていた。
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