第34話 門番の機嫌の取り方


教会の鐘を思わせる壁掛け時計の音が十回。

朝日が部屋に差し込む、まだ眠りたいとワガママをいう体を無理矢理起こして洗面所へ。


頭が痛い、眠り過ぎたようだ。

昨日何があったのかよく思い出せない。


アルはベッドの下に頭を突っ込んでいる。

そのアルの腹を枕にカルコスが眠っている。

二人とも全く起きる気配がない、泥のように眠るとはまさにこの事。


昨日、そうだ。

天使が攻めてきて、それを退けて。

バーベキューをして、そこで……葡萄酒を飲んだ。

いや、僕は飲んでいないはずだ。

まだ飲める歳じゃないと断ったはず……多分。





マルコシアスが葡萄酒を持ってきた。

アルとカルコスは浴びるように飲んで、二人の悪魔もそうしていた。


『ヘルシャフト君は飲まないの?』


「まだ飲める歳じゃないので」


酔っ払いに絡まれてはたまらない、誰もが納得するはずの理由で逃げる。


『ふぅん…?』


この国では何歳から飲めるのか知らないが、僕の出身国では25歳になるまで禁止だった。

しみじみ考えていると、頭が固定される。

マルコシアスに首の後ろをがっしりと掴まれていたのだ。


『ま、そんなの国によるよねぇ、悪魔は生まれた時から飲むし。それにさっきの野菜の分は僕が君に何かを与えなくては……えいっ』


「ちょっ…や、うわっ」


ああ、そうだった。

思い出した。




初めて飲んだ葡萄酒は思っていたよりも苦くはなく、とろけるような口溶けがたまらなかった。


「結構、飲んでたなぁ」


ため息をついて廊下を歩く。

広いテーブルには申し訳程度の朝食が並ぶ。


『ヘルシャフト君……おはよ』


寝巻きのままに欠伸をしながら肉を食む。

髪もボサボサで、ボタンは上から三つほど外れていた。

たわわな胸が今にもこぼれ出しそうに……僕は慌てて目を逸らした。


「おはようございます。眠そうですね」


俯いたまま取り繕った言葉を並べる。


『飲みすぎたかなぁ、なんかだるくって』


「アガリアレプトさんは?」


『お仕事。アーちゃんは翌日に響かないタイプなんだよ、羨ましいったらありゃしない』


トーストに苺のジャムを塗りたくりながら、向かいの席を見る。

寝ぼけまなこなマルコシアスからは昨日の勇姿など想像出来ない。


朝食を終え、アルをそろそろ起こそうかと席を立つ。

が、腕を掴まれる。


『今日の分貰ってないよねぇ』


艶やかな笑みを浮かべて僕の左手を見つめるマルコシアス。

断るわけにもいかない、目を固く閉じて左手を差し出す。


「あまり、痛くしないでくださいよ」


『無理な相談だねぇ、君が痛みを快楽と捉えるタイプならやりやすいんだけど』


この時間のマルコシアスは、本当に嬉しそうにしている。

この表情を見せてくれるなら、少しくらい痛い思いをしてもいいかな、なんて。


思うわけがないだろう、何を見せられるとしても痛いものは痛い、嫌なものは嫌だ。






街には昨日の破壊の爪痕が残っている。

壊れた家、図書館、そして死体。

片付けはろくに進んでいない、鉄さびの匂いが街中に漂っている。


『今日は宝書庫に行こうか』


「ほう……書庫?」


聞き慣れない言葉だ、オウムのように返してしまう。

痛む左手に絡められた指に力が込められ、微かに声を漏らす。

マルコシアスはそれを聞いて楽しんでいるらしく、先程から何度か繰り返されている。


『そう、宝物の本が眠る場所』


「何の用があるんですか? 」


傷口を細い指がなぞると同時に疑惑は確信に変わる、マルコシアスは僕の反応を見て楽しんでいる、嬉しくてたまらないとばかりに笑っていた。


『セーターの分を渡していないからねぇ。僕の大事なモノをあげようと思って』


「覚えていたんですね」


服が破れてしまったから、白い柔肌を隠す為にとセーターを羽織らせた。

僕も忘れかけていたのに律儀な人だ。

これで悪魔でなかったのなら、悪魔だったとしても血を飲んだり傷口を抉って楽しんだりしなければ。確実に惚れていただろうに。




大図書館の地下、奥深く。

禁書の棚よりも厳重な扉の向こう。

その前に立つ人影。


『やぁ、久しぶり。パラシィ』


そう呼ばれたのは天使だ。

真珠を思わせる白い肌に、宝玉のような大きな丸い目。

肩を越す長さの髪は光の角度によって七色の輝きを見せた。

大量の装飾品を身につけ、彼女の体で輝いていない部分はない。

天使はゆっくりと瞬き、その七色の瞳に僕らを映した。


『マルコシアス、142年5ヶ月12日352秒ぶりだ。妙な渾名で呼ばないで貰おうか、パラシエルだ』


『よく覚えてるねぇ』


パラシエルが僅かに歩み寄る。

ごつ、と石と石をぶつけたような重い音が聞こえた。


『何用だ』


『僕の本貰える?』


『断る、帰れ』


パラシエルは後ろに下がり、扉にもたれ掛かる。

彼女の輝く翼が分厚い鉄の扉に当たると、金属同士の擦れ合うような音が響いた。


『真の契約者が見つかった。だからあの本が欲しいんだよ。この子が死んだら回収してまた返すからさ』


何やら不穏な言葉が聞こえたような。

マルコシアスを見上げると、誤魔化すように柔らかい笑みを返された。


『……この子独占欲が強くって、一度預けた宝物を中々返してくれないって有名なんだよ』


「はぁ……天使、なんですよね。大丈夫なんですか?」


耳打ちをし合う、会話がパラシエルに聞こえているかどうかは分からない。

昨日の惨状を思い浮かべながら、扉の前から動かないパラシエルを見つめる。

これまでまともな天使に会った記憶が無い、戦闘狂だったり守銭奴だったり……人の思い描く天使は想像でしかないのか。


『ああ、平気平気。宝物があれば大人しいから。盗もうとしたら、まぁ…分かるよね?』


『会話は済んだか、早く帰れ』


洞窟を反響するような声でパラシエルは無機質に話す。

彼女が身じろぐ度に羽根同士が擦れ合い、奇妙な音を奏でた。


『これあげるから、僕の本返して?』


マルコシアスはそう言うと胸元のボタンを外した。

谷間にその細い指を滑らせ、懐を探る。

あまりそういう真似はしないで欲しい、目を伏せながらそう願った。

金色のチェーンを指に絡ませ引き出したのは、手のひらほどの宝玉の埋まったネックレスだ。


『夜光石のネックレス、ある国の王様からの報酬だよ。仕事内容が内容だったからねぇ、いいモノだろ?』


『貸せ、今すぐ見せろ』


パラシエルは文字通り目の色を変え、ネックレスを奪い取った。

目の前でくるくると回し、自らの首にかけた。

そして重たい鉄の扉を開け、中に入っていった。

彼女の足音は重たく、それでいて石のようだ。


「行っちゃいましたけど」


『成功だねぇ』


ごつ、ごつ、と重たい足音を鳴らしながらパラシエルが戻ってきた。

手には真っ黒い本が見える。


『ほら、もう帰れ』


「うん、ありがとうパラシィ」


『妙な渾名で呼ぶな、パラシエルだ』


しっし、と手を振るパラシエルは再び扉にもたれ掛かり、金属同士の擦れ合うような音を響かせた。

マルコシアスは渡された本を数ページ捲ると、僕の手を引いて地下室を後にした。



家に帰ってもアルとカルコスはまだ眠っていた。

ベッドに二人で腰掛け、マルコシアスは真っ黒い本を開いた。

ページは十もないだろう、マルコシアスは何かを確認し終えると僕に向き直った。


「その本は?」


『僕の本だよ。君にあげる』


大図書館で見た禁書よりも禍々しい雰囲気の漂う本を手渡される。

恐れながらも言われるがままに本を開いた。

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