第17話 Hell or Heaven


顔を這い回る生温い感触で目を覚ます、いつもの事だ。


「ふわぁ……おふぁよ……ぅん」


『起きろ! もう十時だぞ! 朝飯は!』


「ん……いらないや、まだ寝る、から」


『ふざけるな』


ベッドから蹴落とされ、頭を床に打ちつけて起きる。まぁこれも時々にある事だ。


机の上には豪華な朝食が並んでいる。

何故か全て半分になってはいるが。

僕は大食いではないし、気にしない気にしない。


『あぁ、それは味が濃い。そっちは不味い。そっち…そう、それ。それは貴方の好みだろう』


「詳しいね?」


『あぁ、狼の勘だ』


狼の勘という名の毒味という名のつまみ食いで減った朝食を残さず腹に入れ、パンフレットを見ながら今日の予定を立てる。


「昨日貰ったチラシの闘技場ってやつ行ってみたいんだけど、ダメ?」


『野蛮だ、貴方には相応しくない。だがそれでも行きたいなら行くといい』


「やったぁ! アル大好き!」


『賭けは禁止だ』


「そんなお金ないよ、これから稼がなきゃ」


流石にこの国のパンフレットには求人広告はない。

娯楽……殆どが賭事だ、まともな仕事の方が少ないかもしれない。

だが、僕は昨日すでに良さそうな仕事を見つけているのだ。




それは警備員だ。

とあるカジノで人手不足になったらしく、ポスターが表通りに貼ってあった。

時給も良い、短期OK、そうとくればもう応募するしかない。

面接は昼からだ、つまり今から。


「えっと…ポスターを見て来たんですけど」


「え? 君? 大丈夫かな……ウチの警備員は暴れ回るお客様を止める仕事だよ? 警備とか嘘だよ?」


面接担当の青年は怪訝そうな顔をする。

彼の蒼い髪は毛先に近づくにつれ薄くなり、美しいグラデーションになっていて思わず見とれてしまう。

染めているのか、なんて初対面で聞くのは失礼だろうか。

宝石のような翠の目には、おどおどした少年……僕が映っている。

下を向くと、青年のブーツにつけられた羽根を模した飾りが妙に目を引いた。


「だ、ダメですかね?」


「顔は結構良いから受付には欲しいけどねぇ、今は人足りてるしなぁ。

……ん、その子は君のペット? 合成魔獣キマイラだよね、どこで買ったの?」


青年はアルを見つけ、何故かはしゃぎだした。

魔物好きかな、変わった人だな。


「ねぇ君! この子連れて仕事出来る?」


「え? ええ、大丈夫だと思いますけど」


「じゃあ採用すぐ採用! こんな怖いの立ってたら誰も悪さしないよ! あ、軽く説明するから着いてきて!」


「は、はい! ありがとうございます!」


『怖い……のか? なぁヘル、私は怖いのか?』


今までその見た目を使って散々脅してきたくせに落ち込みだしたアルの尾を引いてカジノに入っていった。




「………こんなもんかな、どう? 分かった?」


「はい、僕はここで立ってればいいんですよね」


「そうそう、疲れたらチーフに見つからないように座ってね。見つかると面倒だから。あ、オオカミさんは? 何かある?」


『耳が……痛い』


まだ開店はしていないが、店内には激しい音楽が流れている。客が入ればここに話し声とコインの音が混ざる事になる。

アルにとってはあまり喜ばしくない状況だろう。


「そのうち慣れるよ、じゃあよろしくね!」


「はい、よろしくお願いします」


『……よろしく』


気の乗らない様子で挨拶するアル。

そんなアルに青年…っと、先輩と呼ぼうか。先輩はかなりの興味を抱いているようだ。


「いやぁ……いいなぁ、格好良い。ねぇ、この蛇とかどうなってるの? 付け根見ていい? 触っていい? 翼は? 飛べるんだよねこれ。っていうか喋れるんだよね君、凄いなぁ、いいなぁ」


『は、離せ、人間!』


「プライド高い感じもいいよねぇ。ねぇ君! この子幾らしたの? どこで買ったの? うわ、ふわっふわだ」


アルを撫で回して恍惚とした表情の先輩と、対照的に疲れた様子のアル。

給料が余れば高めの肉を買ってやろうと思った。


「あ、そうそう、君名前は?」


「あ、えっと…ヘルシャフト、です。ヘルって呼ばれてます」


「あ、そうなの? 奇遇だねぇ、俺もよくヘルって呼ばれるんだよ!」


「そうなんですか……おそろい、ですね」


こういった話は苦手だ。

人と話すの自体苦手だが、特に目的のない話はどう返していいのか分からなくなる。

そしてその結果は大抵悪い。


「え? あはは、そうだねぇ。可愛い事言うね君! まぁ……男じゃねぇ……範囲外なんだけどねぇ」


何故か残念そうにする先輩に、もう言う事が思いつかないと愛想笑いを返す。


「ま、分かんないことあったら聞きなよ? 俺も分かんないこと多いけど。」


明るい笑顔を浮かべたまま去っていく後ろ姿に、自分の会話は悪くはなかったのかと安堵する。

人と話す度にこれでは心臓がもたない、早く慣れなければ。




開店は夜、時間はマチマチだと言っていたが今日は今から。

僕はスロット周りの警備担当……前任は全身複雑骨折だとか言っていた。

だが、僕の隣にはアルがいる。何も恐れる事などない。


『おいヘル、見られている気がするんだが』


「そりゃ見ると思うよ、目立つもん」


やる事も無いので景品磨きを手伝う、これは中々僕に合っている気がする。

地味な作業は好きだ。


「やっほ! ヘル君! ヘルプ頼める?」


「わっ、びっくりした。えっと……ヘルさん、何かあったんですか?」


スロット台の裏から飛び出した先輩。この人は予測の出来ない動きをする。


「ポーカーの方で暴れそうな人が居るんだよねぇ。初仕事ってヤツ!」


何故か楽しそうにそう話す先輩の後について行くと、勝っているらしく下卑た笑いの中年の男がポーカーをしていた。

醜い見た目をジャラジャラと大量のアクセサリーで飾り立てたその姿は、この国らしいと言える。


「機嫌良さそうですけど」


「見ててごらんよ、次の次に負けるから! 俺これに一週間分の給料賭けたんだから!」


「え……大胆ですね」


このカジノでは店員も賭けをしているらしい。

客がいつ負けるかを予想する、という意地の悪いものだ。


『貴様はもう少し打算的になった方がいいな』


気怠げに欠伸をするアル、待ちきれないとニコニコ笑う先輩。

中年の男は次のゲームにも勝った。

そして、先輩が負けると言ったこのゲーム。


「見てて見てて、絶対負けるから!」


「もう少し声抑えてくださいよ」


カードの交換が終わり、ニヤついたまま中年の男はカードを捲る。

だが、一枚、また一枚と捲る事に笑顔は薄まっていく。

そして、五枚目を捲った時。

男の顔は真っ白になり、真っ青になり、それから真っ赤になった。


『ふむ、ブタか。酷いな』


「うわ……負けちゃった?」


「どう? どう? 凄くない? 俺!」


中年の男は奇声をあげ、テーブルをひっくり返す。

全財産を賭けたんだ、なんて悲痛な叫びが聞こえた。


「ほら、ヘル君! 初仕事!」


「えっ? ちょっと押さないで……うわっ!」


先輩に押されて、床に頭を打ちつける中年の男にぶつかった。

男は僕の腕をつかみ、意味を失くした言葉を叫んでいる。


「あ、アル!」


咄嗟にアルを呼ぶ。

黒蛇が男の後頭部を打ち、気絶させた。


『自業自得だ。ご主人様に触れるんじゃない』


僕の足に擦り寄り、低い声で唸る。

そんなアルにカジノに入り浸る客達が拍手を送る。

何故かコインと紙幣の飛び交うその光景は騒がしく下品なものではあったが、僕に一時の夢を見せてくれた。

そう、一時の夢。

その後片付けは僕らの仕事だから。


その夜は終業時間が少し遅くなった。

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