第7話 銅獅子の解決策
お菓子の国の国土は広い。
だがその広い国土全てに人が住んでいる訳ではない。
港の近くや川沿い、水源のある場所にしか人は住まない、よほどの理由がない限りは。
ヘルが宿をとった港町から少し離れた岩山、その洞窟の奥にアルは居た。
夜までに帰るという約束を反故にし、飴でできた岩壁にその身を預けていた。
あるモノを待っている。それが来るのは昨日の昼過ぎだった筈だと腹を立て、焼け焦げた尾が壁を砕く。
『よぉ、兄弟! 元気か! 違うな! ハハハッ!』
明るい声とともに洞窟の外にカルコスが降り立つ。
赤銅色の翼を揺らし、上機嫌に笑う。
『遅い』
『そう言うな兄弟、色々と面倒でなぁ』
飴でできた岩に食いつき、乱雑に噛み砕きながらため息をついた。
『不味いな、まぁ所詮は岩という事だ』
『……よくそんなものを喰うな。いや、それより…分かったのか?』
『ん? んー、ああ、完璧だ』
そう言うとカルコスは長い尾に絡ませていた本を狼に投げ渡した。
『書物の国の本か……なんだ、随分真面目にやったんだな』
『ああ、褒めろ』
『ああ、褒める。よくやったなカルコス』
自慢げに鼻を鳴らし、赤銅色の翼を広げる。
アルはそれを呆れた目で見つつ洞窟から這い出して日の下で本を捲った。
書物の国に置かれたお菓子の国の歴史書、『お菓子の国の成り立ち』のページを探す。
元々この大陸は菓子で作られてなどいなかった。
なら何故こうなったのか。答えは単純明快、呪いだ。
とある悪魔の呪い、『暴喰の呪』。
大陸を覆うこの呪いを解くことは不可能、呪いがかけられている事を知っているのは極一部の権力者。
何故そんな呪いがかけられているのか?
それは悪魔の短絡的な思考ゆえ。
ある悪魔は考えた、腹が減ったが人を捕まえるのは面倒だと。
ある悪魔は考えた、人から来てくれればいいのにと。
そして思いついた、この大陸を全てお菓子にしてしまえば人は集まるし、良く肥えるのではと。
そして実行し、成功した。
悪魔はよく太った人間を選り好みして喰い始めた、そして今もそれは続いている。
『なるほど、頭良いなぁ』
『カルコス…?』
『冗談だよ、しっかし……腹減ったなー』
カルコスは周囲に生えたチョコの木を尻尾で巻き取り、口に運んでいる。
そしてその度に味が薄いだの苦すぎるだのと文句を言っている。
『それには同意だ、ここに来てから腹が減って仕方がない、肉が喰いたい』
『ここの菓子はやめといた方がいいなぁ、呪いの産物だ、余計に腹が減るぜ』
『分かっているなら何故喰う?』
『我には呪いは効かん、そういう造りだ』
『……効いているだろ』
異常とも言える''飢餓''これも呪いだ。
人間を肥らせる為には飢えてもらわねば、という考えから出来たモノ。
あの海と砂糖水の境界からその呪いは始まる。
『それよりも、だ。アルギュロス。その尾、もう少し気をつけた方がいいなぁ』
『………尾?』
尾の黒蛇に彫られた
あまりの痛みに尾を岩壁に叩きつけるが、そんな事で解決する訳もない。
『契約違反だ、アルギュロス』
『違反…? 私が、何をした!』
昨日も同じ事が起きた。
だがアレの原因は分かりきっている。
空腹に負けてヘルを襲った、だが今は。
『知らん、あのガキが原因だろ』
『……ヘルに、何かあったと?』
『我が知る訳あるか』
焼ける痛みに耐えきれず尾は地に落ちる。
痛みに呻くアルを見下して、カルコスは上機嫌に尻尾を揺らした。
そして踵を返して飛び去ったのだ。
『……チッ、薄情者め』
悪態をつきつつ、ゆっくりと這いながら港町へ向かう。
ヘルに何かあったのなら、今すぐに向かわねばならない。
だがアルの翼は水を垂らした綿飴みたいに崩れ始めており、飛ぶことは出来なかった。
砂糖水のシャワーを浴びて、朝食のお菓子を食べて、ベッドに寝転がって外を眺めた。
予定と違い昨日で牧場の仕事は終わってしまった、今日は何もやることがないし、やる気もない。
アルが居ない。
帰ってこない。
昨日の夜には帰ると言っていたのに。
水飴の窓は開け放してある、アルが空を飛んででも帰ってこれるように。
一人の部屋は酷く寂しい。
早く、早く、帰ってきてよ。
「……アルの嘘吐き」
広いベッドの上で胎児のように丸まり、堪えきれずに涙を流す。と、その時だ。
ガシャァン!
窓の方から大きな音がして、急いで振り返った。
そこには窓枠に嵌る巨大な獅子の姿があった。
『狭いっ、狭過ぎるぞ!』
あの獅子には見覚えがあふ。
魔法の国を出た後、僕を喰おうとしたあのキマイラだ。カルコスとか言っていたか。
『おい! ガキ! なんとかしろ!』
「ひっ…や、やだ! 僕を食べる気だろ!」
『……ああ、そうだとも! アルギュロスの居ない今が好機だと睨んでなぁ……チッ、抜けん!』
「やだ、嫌…アル、どこ…!」
『待て! ……この!』
部屋を飛び出し、階段を転がり落ちる。
宿の客に変な目で見られたが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
宿の外から、二階の角部屋……僕の泊まっていた部屋を見る。赤銅色の巨大な翼がもがくように揺れている。
その様はお菓子の国の人々をパニックに陥れるには十分過ぎた。逃げ惑う人波に揉まれて転び、踏まれた。
人の群れが行き過ぎ、体の痛みを堪えて起き上がると、目の前に牙が迫っていた。
「ひっ…や、や め ろ!」
『……チッ、仕方ないか。随分と成長したものだ』
不服そうな目で僕を睨みながらも、カルコスは前足を揃えて行儀よく座り込んだ。
唸りながらも、僕の言葉を待っている。
「……アル、は何処? 知ってるよね…君なら、分 か る よ ね」
『フン! 我が知る訳……ある』
「知ってるの? どこ? 無事なの?」
無理矢理返答を引き出されたことにかなり苛立った様子で一声吼えた。
そして次の問いには答えずに、襟首を咥えた。
「……ちょ、ちょっと…苦しい」
そしてそのまま翼を広げ、勢いよく飛び立つ。
アルとは違う乱暴な飛び方に目を回す。
何度か屋根にぶつけられながらも高度をあげ、港町を離れていく。
ビリ、と頭の後ろで嫌な音。
咥えられた服が悲鳴をあげ始めた。
カルコスがそれに気づいた様子はない。
「ねぇ、ちょっと…これマズいんじゃ。」
話しかけるために僅かに上を向いた、これがまずかった。体重のかかる位置が変わったのだろう、服は一気に破れ、僕の体は宙に投げ出された。
カルコスはその様を一瞥し、旋回しつつ地に降りる。
僕を助けようとはしない。
後ろ向きに落ちているせいで分かりにくいが、かなりの高度のはずだ。
下はなんだ? 川や湖なら助かるかもしれないが、地面なら? もし岩があれば?
僕はここで死ぬのか。
反射的に固く目を閉じる、体が強ばって一瞬が何時間にも感じられた。
背中に強い衝撃が走る…が、生きている。
地面が柔らかい、違う、これは。
「……アル?」
痛む体に鞭を打ち、アルの背から降りる。僕の落ちた真下に居たらしい。
カルコスが狙って落としたのか、僕が落ちるのを見たアルが走ってきたのか。
どちらにせよ、僕はまた助けられた。
「アル、ありがとう…アル? 大丈夫?」
頭を撫でて礼を言う。
だが返事はない、様子がおかしい。
口を開くどころか目も開けない、呼吸は荒く、微かに悲痛な鳴き声をあげた。
「アル…! どうしたの? 苦しいの? なんで……なに、これ」
尾が……尾に刻んだ僕の名が、焼けている。
『フン! 考えもなしにそんな契約をするからだ! 本来の意味も知らずになぁ!』
「なに、それ…何か知ってるなら 教 え て、アルは大丈夫なんだよね?」
『…チッ、まぁいいか』
カルコスは僕の腕を尻尾で持ち上げると、アルの口元まで引っ張った。
そして不機嫌そうに、どこか嘲るように笑う。
「なに、するの?」
『この犬を治したいのなら、黙って腕を出せ』
「何でもする! 何でもするから…!」
『腕を出せ。それだけでいい。ああ! 利き腕はやめておけ』
引っ張られた右腕を引っ込めて、左腕を差し出す。
『右利きか、まぁどうでもいいがな』
袖を捲り上げると、カルコスは相変わらず不機嫌そうではあったがニヤニヤ笑いが増した気がした。
『あの鬱陶しい声をあげるなよ、ガキ』
腕に焼けるような激痛が走る。
カルコスはその太く鋭い牙を僕の腕に突き立てていた。
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