塾での出来事

 大学の授業の後にバイトが入っている日がある。私は授業後、バイト先に向かっていた。今働いている「CSS」は私の家から歩いて10分ほどの場所にある。この春に新しくできたばかりの塾である。


 塾に着くと、まだ誰も来ていなかった。いつもは車坂先生がすでに来ているが今日は来ていないようだ。休みの連絡も入っていないので寝坊でもしたのだろうか。 塾の鍵を開けて中に入る。本日塾に来る生徒の確認をして、カリキュラムの用意をしていく。それが終わると机をふいたり、床に掃除機をかけたり、トイレを掃除して生徒が快適に過ごせるように教室を整えた。


 生徒が来る前の塾の準備作業を一通り済ませた私は、ふと塾にかけられた時計を見た。時計の針は生徒が来る10分前ぐらいの時刻をさしていた。「CSS」の開始時刻は夕方5時から9時までとなっている。まだ車坂先生は来ていない。いったいどうしたのだろうか。まあ、一人でも問題なく塾の運営はできるが、一人の分、生徒へのサポートが手薄になりがちである。


 スマホを確認しても何の連絡も入っていない。仕方ない、今日は私一人で塾を回すしかないだろうと思っていると、あわただしく塾の扉が開いた。生徒が早めに来たのかと思ったが、どうやら車坂先生が今到着したようだ。


「遅れてすみません。寝坊してしまいまして。」


 そういって塾に入ってきた車坂先生の頭には寝癖がついていた。どうやら本当に寝坊して遅れてしまったようだ。朝の出勤ではないが、大方昼寝でもして起きられなかったのだろう。車坂先生は男性にしては少し長めの髪を耳にかけている。前髪は長めで、メガネをかけたインテリ風の容姿をしている。頭に寝癖がなければそう見えるが、今日はただの残念な成人男性である。


「髪の毛に寝癖がついていますよ。直す暇もなかったのですか。」


「ああ、すみません。あの姿だとあまり身なりに気を使う必要はないもので、ついつい整えるのを忘れてしまって。」


 あの姿とはいったい何のことなのか気になったが、話しているうちに塾の生徒が来る時間になっていたらしい。


「こんにちは。車坂先生。朔夜先生。」

「こんにちは。」


 生徒が挨拶をして塾に入ってきた。今日最初に来たのは小学4年生と6年生の兄妹だ。二人は自分の席に着くと、塾の宿題の丸つけをし始める。丸つけをしながら私たちに話しかけてきた。


「先生たちは死神はいると思う。」


 ここでもまた、死神の話題である。小学生の間でも流行っているのだろうか。これは相当世間をにぎわす話題のようだ。さて、この子たちは死神に対してどのような意見を持っているのだろうか。


「先生はいると思うよ。いるって信じていた方が面白そうでしょ。」


「そうなんだあ。車坂先生はどう思う。」


 急に話題を振られて驚いたのか、車坂先生は手に持っていたテキストを落としてしまった。そんなに驚くような質問だろうか。


「そ、それはもちろんいるんじゃないですか。少なくともこの近くにはい、いないとは思いますが。絶対にこの近くに死神なんているはずがありません。絶対に。」


 別に誰もこの近くに死神がいるなんてことを聞いているわけでもないのに、この慌てっぷりは何だろう。自分が死神なので動揺しているのか。それとも、自分の近くに死神の知り合いでもいるのだろうか。まさか、そんなことはないと思うが、この慌てっぷりは怪しいことこの上ない。


「じゃあ、先生たちは信じているんだね。実は僕たちもいると思うんだ。」


 車坂先生の反応には特にコメントせず、兄妹のお兄ちゃんの方がなぜこんなことを言い出したのか説明し始める。


「学校で死神様に会ったっていう子がいてね。その子が死神に会う方法を教えてくれたから、会ってみようと思って。でもその前に先生たちの意見を聞きたくて。お父さんやお母さんに聞いても、そんなものはいないからの一点張りで。挙句の果てにはそんなもの信じていないでもっと勉強しなさいとか言ってきたんだよ。」


「お兄ちゃんの言う通り、お父さんやお母さんは信じてくれないの。だから、先生たちもそうなのかなと思ったけど、先生たちは私たちと同じ考えってことだよね。味方だ。」


 妹もお兄ちゃんに続いて話し出す。一体、この町で何が起こっているのだろう。町は現在、死神が大流行中らしい。

 

 ニュースで報道されていて田中さんが被害にあった死神と、今兄妹が話している死神が同一犯か気になるところである。片方は事件性を帯びていて危険だが、もう一方はこれから詳しく聞いてみないとわからない。もう少し、話を詳しく聞く必要がありそうだ。

 

 もっと詳しく聞きたいところだが、ここは学習塾であり雑談をする場所ではない。名残惜しいが死神の話はそこまでにして、兄妹には塾のテキストでの学習を始めるよう促した。

 その後に来た生徒たちも何人かが死神について話していた。小学生や中学生にも大流行中のようだ。そんな人気者なら一度会ってみたいものである。

 


 塾にいた生徒が全員帰り、後片付けをしていると車坂先生が話しかけてきた。


「ずいぶん熱心に生徒の死神の話を聞いていましたけど、死神に興味があるのですか。」


「興味というか、目がうつろの生気が抜けた人が『死神に会った』と証言しているニュースを思い出しまして。それと生徒が話している死神が同じものなのか気になってしまって。私の大学の知り合いも死神に会ったとか言っていたので、つい興味が湧いてしまいました。」


「そうですか。その知り合いはお気の毒でしたね。でも、あまり深入りしない方がいいですよ。特に朔夜さん、あなたはこの件に関わらない方がよいと思いますよ。」


「それはどういう意味………。」


「おっと、もうこんな時間ですか。今日は生徒も多かったので、生徒のカリキュラムのまとめに時間がかかりましたね。後片付けも終わりましたし、さっさと帰りましょう。」


 無理やり話題を終了させられた。これ以上車坂先生は話してくれないようだ。何か知っていそうなそぶりを見せているので、機会があればまた聞いてみることにしよう。

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