赤眼のセンリ

ラーさん

壱「蛇の目の旦那」

 あたしは赤眼のセンリ。芸を売って生計たつきに変える芸人さ。

 この界隈じゃあ、最近芸人がぷつりと姿を消しちまうなんざぁ、けったいな話も方々ほうぼう聞くが、こちとら日銭稼がにゃおまんま食い上げの毎日だ。他に身立ての道も知りゃんせん。宴座を求めて東へ西へ、街から街への旅烏の人生さ。

 さてさて、今日は運よく顔知りの差配屋に座を回してもらったんだが、ところがどうにも流れがおかしい。差配屋の寄越した案内人は、どんどん街を外れていきやがる。連れられたのは山手に近い竹林で、さる御大尽の別荘があるってぇ話だが、はて、そんな御大尽に“あの”差配屋があたしなんかを回すかね? なんて思っている間に案内人は消えやがった。竹林を見れば甍造いらかづくりの大屋根構えたなんとも立派な御屋敷がお建ちになられていらっしゃる。こりゃこりゃいよいよ怪しい話だ。

 けれど、それでもあたしは芸人さ。どんな相手であろうさね、得意の扇舞で座を盛り上げてみせるのがお仕事さ。あたしゃ躊躇うことなく屋敷の戸を叩いてやった。


「ごめんくだせぇ。差配屋サジの紹介でやって参りました女芸人、赤眼のセンリと申します。今宵はこちらで一座を設けられるとうかがいまして、やって参った次第にございます」


「入れ」


 低い声がすると戸がひとりでにすっと開いた。おやおやと思いながら土間に足を踏み入れると、やっぱり戸がひとりでに閉まる。へぇ、なるほど。こちらの主人はなかなかの御大尽だぁ。


「こちらへ参れ」


 長い廊下の向こうにともしびを漏らす部屋が見える。さて、ここの主人はどんな御仁やら。


「ほう。これは見栄のいい芸者だな」


 ふすまを開いて座敷に入ると、そこには盃片手に膳に座る若い旦那がいらっしゃった。なにやら青白い顔色で、ぬめりとした舌を動かし盃の酒をちびちびと舐めていらっしゃりますが、いやいやなるほど、こいつはいけないねぇ。え、なにがって? そんなもん見りゃわかる。この旦那“ちと”眼が怪しい。


「あたくし赤眼のセンリと申します。瑣芸さげいを売って御銭おあしをいただく取るに足らない場末の芸人でありんすが、今宵一座の酒の興に花を添えられれば本望と、ささやかな演舞を披露させていただきに参りやした」


 あたしが畳にぬかずき挨拶すると、旦那は鷹揚にうなずいて、盃をくいと持ち上げた。


「どれ、舞ってみせよ」


「では、御覧ごろうじろ」


 あたしはすっと立ち上がり、着物の袖から扇子を取り出す。白文鳥の絵柄も鮮やかな、商売道具の朱染めの扇子さ。ほれ、開いて扇子を舞い遊ばせれば、白文鳥も夕茜ゆうあかねに飛ぶがごときの美しさ。あたしの腕がくいと回れば、白文鳥も円を描いてあたしを巡り、あたしの足がささと進めば、白文鳥もすすいと先行き、あたしの手を引き下から上へ、上から下へとくるくるり。あたしの身体を舞わすのさ。

 ああ、しかしてこの旦那、つれない御仁でいらっしゃる。あたしのかわいい白文鳥には見向きもしないで、じっと見てるはあたしの眼。まったく舞なんざ見ちゃくれない。


「どうしますてぇ、旦那さま。この眼がそんなに不思議ですかい?」


 あたしの眼は紅玉のような赤色の眼をしてる。自分で言うのもなんなんだが、ちょっとそこいらじゃ見ない綺麗な眼なのさ。だから旦那があたしの眼をまじまじ見るのは不思議なこっちゃ全然ない。

 けれどこの旦那の眼ときたら、もう何杯も呑んでるっていうのに、少しも酔った色を見せやせず、まるでじゃの目のようなまんまるな瞳で、ずっとあたしの眼を追い続けてきやがるのさ。これじゃあせっかくのあたしの舞も、気が散ってまったくさまになりゃしない。


「ふむ。おまえはこの土地の人間ではないな」


「あたしゃ、生まれてこのかた親なし家なしの浮草暮らし。ひとつところに留まっていちゃあ明日の飯が食えないもんで、随分と旅をしてきましたさぁ」


「そんな赤い眼は初めて見たぞ」


 そこで旦那はついとこちらににじり寄り、あたしの手を掴んだのさ。ああ、旦那。演芸中の芸人に手を出すのは野暮ですぜ? あたしゃ旦那の手を扇子でぴしゃりと叩いてやったんだが、そしたら旦那、急に身体をむくむくさせて、背中から鎌首もたげた巨大な蛇を生やしやがったのさ。


「酒の“さかな”が過ぎた態度だな、女!」


「まあまあ、お怒りなさんな蛇の旦那。まだ余興が終わっていませんぜ。ここで喰われちゃ芸人の面子が立たねぇ」


 あたしの赤眼は不思議な眼だ。この旦那が蛇の化け物だなんてこたぁ、先刻お見通しさ。知っててあたしを相伴させた、あの差配屋のサジの野郎には腹が立つが、なあにあたしゃ赤眼のセンリだ。このくらいの厄介事なんざいつものことさ。


「ならば舞を続けてみよ。気が済むまで舞ったなら、素直にわしに喰われるがいい。おまえのその眼は珍しい。早くその瞳をえぐり出して宝珠にあつらえ、わしの宝物棚に飾るのだ」


 蛇の旦那は二股舌をしゅるしゅると舐めずって、あたしを見下ろし笑いやがる。どうやら旦那、あたしの赤眼が気に入ったらしい。そいつは嬉しい話だが、生憎こちとら芸人だ。芸も観ずに容姿で価値を決められたとあっちゃあ、芸人の名折れってぇもんだ。

 あたしは扇子を逆手に返し、ばっと開いて旦那の蛇の目を見返した。


「あいよぉ、旦那ぁ。まあ、観ていてくださらせぇ。赤眼のセンリ、一世一代の扇の舞いを!」


 あたしは袖をたくしあげると白腕を突き上げて、逆さ扇子で宙を掃いた。


「そぉら、見事な茜の帯だ!」


 扇子が走ると色が走り、座敷は次々と夕茜の暮れ空模様に様変わり。そこに舞うは扇子から抜け出した、あたしのかわいい白文鳥さ。


「ほうほう。なかなかの芸であるな」


 蛇の旦那が飛び舞う白文鳥を目で追いながら、感心の声を上げる。しかし旦那ぁ、見くびってもらっちゃあ困るねぇ。あたしの“舞い芸”はここからさ。あたしは赤眼をきらめかす。そぉら色々見えてきた。


「それ、よく御覧なせい。そちらの茜の帯空に遠く遥かに霞むるは、夕影染まる赤映えの山嶺だ!」


 さらにあたしが扇子をひと振り座敷を払えば、畳のいぐさもほつれ起き、立ち揺れ尾花の風なびく、一面のすすきの原に様変わり。


「お次は蜻蛉とんぼの群れ舞いさぁ」


 さらに扇子をもうひと振り。大風吹かせて芒の尾花をさざと揺らせば、散り飛んだ花屑は宙をめぐって薄翅うすはね開き、幾千万の赤色蜻蛉に変身だ。蜻蛉の群れはあたしの扇子に舞い合わせ、白文鳥の後を追って天地自在の八方無碍はっぽうむげに踊り飛ぶ。赤影帯びる蜻蛉の群れは、ぱっと開いて、すっと集まり、そのままくるくる渦巻けば、不意にぞぞぞと逆昇りに舞い上がり、再びぱっと開け散る。


「どうだい旦那ぁ。これがあたしの蜻蛉舞いさぁ!」


「思ったよりもやりおるな。だがこれ以上の芸などあるまい。ではそろそろいただくぞ」


「旦那はせっかちでいけないねぇ」


 蛇の旦那が舌をちろちろさせやがるから、あたしは閉じた扇子で口を押さえてたしなめるように眼で笑う。そして後ろ手に茜の帯空をむんずと掴むと、あたしはそれをえいやぁと引っぺがす。べりべりはがれた茜の帯はあたしの腕にしゅるしゅる巻かれ、はがれた空から溢れ出したは、墨がごときの夜の色。


「さあさ、夜のお出ましだ。逢魔おうまが時とは言ったもんさね。宴はこれから本番でしょうに? でも気ぜわな旦那のために、ここはお早くとっておきをお見せしましょう。これがあたしの十八番、乱れ胡蝶の羽衣はごろも舞いさぁ!」


 あたしは赤眼を鋭く光らせ、旦那の蛇の目を刺し見ると、着物の帯を一気呵成に紐解いた。桔梗紋様を翻す踊り帯の垣間に見せるは、夜目鮮やかなあたしの胸の白肌だ。


「こいつはそこいらじゃ、そうそうお目にできるもんじゃありませんぜ。両のまなこをよおく開いて、とくと御覧なりなさぁ!」


 啖呵たんかを切って袖を舞い振りぐるりと回れば、はだけ着物の裾なびき、ほぉら、紅染め着物もたちまちに燐光りんこう帯びた胡蝶の白翅しらはねに早変わり。おぼろに輝く白翅広げ、裸身を伸び上げ宙に舞えば、翅散る鱗粉がさらさらと、粉雪みたいに降り落ちる。


「おお」


 旦那の蛇の目がよりより丸く見開いた。あたしは唇をついと上げ、目元をゆるりと細めると、旦那の蛇顔にここ一番の艶笑で微笑みかける。


「目を丸くするにゃあまだ早いですぜぇ、旦那ぁ」


 開いた扇子を口に添え、あたしがふっと息をかけると、青白せいはくにきらめく鱗粉はひゅるると夜闇に巻き上がり、虚空に一転、無限の胡蝶へ姿を変える。千万胡蝶の夢舞いさぁ。花のごときに翅舞わす、千万胡蝶の飛跡には、億千万の青燐せいりんの粉。雪降る青夜せいやより見事な夜空と思いませんかぁ、旦那さま? あたしは扇子を腕に踊らせ、白翅を翻して胡蝶を共連れ夜に舞う。そして白喉しらのど伸ばして、小唄のひとつを謡うのさ。


  それそれ散らせ、夢鱗粉

  百千万夜の夢に降れ

  一夜の夢も万夜の夢も、醒めてしまえば同じもの

  ならば醒めるまでまで酔い続け

  百斗の酒を浴び呑んで、酒池に溺れて酔い沈め


  それそれ散らせ、夢鱗粉

  どうせこの世は夢中の刹那

  夢に暮らすもうつつに暮らすも同じこと

  ならば酒の泥の心地よさに

  寝息を立てて夢に眠るも、うつつに眠ると変わりゃんせん


 胡蝶の鱗粉はいよいよもって鮮やかに、夜の色を青白に染め上げる。無限に散る鱗粉の雪が旦那の身体に降り積もり、幽玄に舞う胡蝶の翅が旦那の蛇の目に鏡映しにめぐり回る。


  それそれ散らせ、夢鱗粉

  百千万夜の夢に降れ

  そこは夢が夢見る夢の夢

  終わらぬ夢をうつつに変えて

  夢幻の夜を楽しみましょうや!


 そこで声を切ると、あたしは扇子を振り上げ、千万胡蝶を一斉に舞い上げた。


「翅切り!」


 一声に扇子を閉じて音を鳴らす。すると胡蝶の翅はぷつりと切れて、ばっと木の葉を降らす樹蓋じゅがいのように翅落とし、葉隠れ舞いに旦那の身上に降り注いだ。


「見事!」


 あたしは白翅たたんで地面に舞い降り、元の着物姿に戻って額ずいた。


「これがあたくしの十八番、乱れ胡蝶の羽衣舞いでごぜぇます」


 旦那は鎌首振って翅を落とすと、荒い息でその大きな頭をあたしの側に近付ける。


「ふふふ、ここまでの芸者には巡り合ったことがない。これほどの芸技を身に付けた芸妓の肉は、今まで喰ったどの芸者の肉よりさぞかし格別に旨かろう。どれ、そこになおれ。十全に味わってやろう」


 あたしが顔を上げると、旦那の生温かい鼻息がかかる。ああ、旦那はずいぶんと興奮しなさっていますねぇ。白牙剥いて大口開き、血よりも赤い長舌を伸ばす。まったく、旦那はほんとに気ぜわしいねぇ。


「お褒めにあずかり光栄至極。旦那ほどの御方にここまで言っていただければ、あたくしの人生に一片も悔いは残りませんやぁ」


 あたしは袖口で口を隠し、しなをつくって旦那の蛇の目をのぞき見る。細めた赤眼が旦那の蛇の目にきらりと光った。そうです、旦那。あたしの赤眼をよぉく見ておくれ。


「ですがね旦那、まだ最後の芸があるのです。これが今生の最後の芸。是非ともお目にかけてくださらせぇ」


「いや、もう待てぬ」


「そんなこといいなさんな。なぁに、すぐに済みまさぁ」


 あたしは袖を下ろして唇開き、舌の先をちらりと見せた。さあ、旦那。この舌がなにに見えます? 


「うん?」


 あたしの舌はぐんぐん伸びて水を入れた皮袋のようにぶくぶくと膨らんでいく。舌は肥えた牡牛よりも大きく膨らんで、やがて舌先からぱくりと割れた。あたしの舌は鮮やかな薄紅色に裏返り、皮膜のように伸び広がってあたしの身体を包みこむ。


「……女ぁ! わしを嵌めたな!」


 さあさ、舌に呑み込まれたあたしの身体を御覧なせぇ。薄紅色の蛞蝓なめくじに変身だ。ぬめりと光る粘液を垂れ流し、だらしなく横たわる蛞蝓の姿態は、情人とのしとねに果てた女のように美しいものとは思いませんかい? 

 あたしは蛞蝓の角眼の合間にずるりと顔をのぞかせて、旦那ににたりと微笑みかける。


「どうです、旦那? これがあたしの辞世の芸でさぁ」


「なにが芸だ! ううむこちらを見るな、怖気おぞけが走る。……うむっ、なんだこの感触は」


 後ずさる蛇の旦那の身体の下に、ぐちゅぐちゅとなにか潰れる音がする。異変に気付いた旦那が下を見て目を引きつらせた。地面に散らばる胡蝶の翅がどろりと溶けて、なにやら白く蠢く生き物に姿を変えている。そうです、旦那。目をそらさずに、よぉく、よぉく、見るんでさぁ。


「な、蛞蝓がっ!」


 辺りに積もった胡蝶の翅や鱗粉が、粘膜帯びた幾千万の蛞蝓に変わり、蛇の旦那のまわりを取り囲んで、ぬらぬらと旦那の身体を這い上っていく。蛞蝓の粘液は肌溶かす毒の液。旦那は必死になって身をよじり、蛞蝓たちを振り払うけれども、潰れた蛞蝓が旦那の鱗に染み付くだけで、まったくもって効果がない。おお、旦那の鱗がついに白い煙を上げ始め、苦悶の悲鳴が聞こえ出す。ふふふ、蛇の悲鳴なんざ初めて聞いた。意外にかわいいもんだねぇ。


「これであたしの芸はおしまいさ。さ、とくとご賞味あれ」


「蛞蝓など喰えるものか!」


 泡を飛ばして叫ぶ旦那に、あたしは怪訝顔で訊ね返す。


「はてさて、それはおかしな話。旦那、よぉく思い出してくださらせぇ。旦那が今まで喰った芸者たちは、ちゃんと人間でありましたかねぇ?」


「なに?」


「蛞蝓の毒は肌溶かす毒。さてさて旦那。旦那の腹がどんどん溶けていきますが、いったいなにをお食べになられたんですかい?」


 旦那が自分の腹をのぞくと、異常な勢いで腹から煙が上がっている。旦那は慌てて身をひねらすがどうにもならない。旦那の腹はさらに盛んに煙を上げると、ついにぽっかりと穴が空き、中からごぼりとなにかが垂れ落ちた。


「ぐむっ!」


 それはあたしと同じ、薄紅色した大きな蛞蝓。三つ四つと腹から溢れ、地面にごろりと転がると、にょきりと角眼を伸ばし、先端を咲き開かせて女の顔をのぞかせた。次々開く女の顔は、蛇の旦那を認めると、満面の笑みで一斉に旦那に向かってお訊ねする。


「あたくしたちは、おいしゅうございましたか、旦那さま?」


「去ね! 去ね! おまえのふざけた幻なぞ、もういらん!」


 旦那の絶叫にあたしは意地悪気に返事する。


「そうは言いましても旦那さま。あたしら日銭で食う身分。場代をいただかにゃ、芸人は座敷から帰れませんぜ」


「ええい! がめつい芸人が! わかったから、さっさと去ね!」


 旦那は大口を開くと、口から頭をめくり出し、皮を残して一気に空へと昇り跳んだ。こいつは見事な脱皮の芸だ。あたしが嘆声を漏らしていると、残った皮が鱗を花吹雪のごとくに散り飛ばし、目も開けられない大風を巻き上げた。


「旦那もなかなかの芸持ちだねぇ!」


 風が止んで目を開けるとそこは月光差し込む夜の竹林で、目の前にはしめ縄を巻いた大岩が立っていた。ははん、なるほど。あたしはちょいと大岩のまわりを調べると、岩の下にわずかにひびが走って隙間になっているところを見つけた。入口には蛇の這ったような跡がある。


「さしずめこのうろに長く住んで、精気にあてられた蛇のあやかしってところか。まあ、そいつはいいや。それより場代はどちらかね?」


 うろに手を入れまさぐると、なんだい骸骨おろくが出てきやがるじゃあないか。もしやこいつが宝物棚に飾ってるっていっていたお宝かい? 喰われた芸者の骸骨おろくだろうし、後で供養もしてやるが、これじゃあ場代になりゃしない。まだないかとさらに探すと、今度は旦那の脱け殻が出てきやがった。おいおいと思ったが、しかしこいつはぁ……。脱け殻を月の光にかざしてみる。


「……へぇ、こいつは金でできてやがる。この大岩は金精の地脈の要石かなめいしだったかい」


 五精のひとつの金精を、千歳吸うと金人になるってお話だ。金精を浴びていた蛇の脱け殻が金に変わってもまったく不思議な話じゃない。こいつはいい場代になったね。あたしがほくほく顔で、骸骨おろくを風呂敷に包んでいると、がさりと背中で音が鳴った。


「おっ、センリ! 無事だったかい」


「あっ、サジの野郎じゃないかい!」


 振り返ればあたしをあやかしの肴に売った、差配屋のサジの野郎が心得顔で立っていやがる。ああ、こいつはすぐにこういう顔をしやがるから好かないんだよ。歳こそ若いが、修羅場くぐりの博徒のようにいかがわしい狐眼に、取って付けたようなおあいそ顔を貼り付けて、サジの野郎め、あたしの側に寄ってくると、さも当然のようにこう訊いてきやがった。


「蛇の奴は退治できたかい?」


「ふん。あいつはどっか逃げちまったよ。残ってんのは脱け殻だけさ」


 あたしはつれなく返事して、蛇の脱け殻をちろちろと振ってやった。


「おいおい、あいつは人喰い蛇だぜ。あいつに呼び出されて、この界隈の芸人がいったい何人喰われたことか。取り逃がしちまったら、またどっかで人が喰われるぞ」


 サジが呆れ声を出したが、こっちがおいおいだ。やっぱり知っていたんじゃないかい。嘆息なんてついてやがるが、そもそもあたしがそこまでしてやる義理が、いったいどこにあったってんだ。

 けれど、こうも期待外れみたいに言われるのも癪にさわる。あたしは鼻を鳴らしてやった。


「ふん。そりゃあないね。あたしの赤眼の見せた幻で、あの旦那は人が蛞蝓に見えるようになっちまった。もう人は喰えないはずだよ」


「へえ、やるもんだ。しかし、そいつは傑作だな。はは、人が蛞蝓に見えちゃあやっこさん、人里には二度と下りちゃこれないな。こいつは愉快だ」


 さっきのしかめた嘆息なんてどこへやら。一転に破顔してあたしの肩をぱんぱんと叩きやがる。ああ、ほんとこいつは苦手だ。


「しかし、あんた。どの面下げてあたしの前に立っているんだい? 知っててあたしをここに紹介したろ」


 サジの手を払いのけ、あたしは赤眼をひと睨みに向けてやる。けれどサジは動ずることなく、平然と言ってのけた。


「危険と先に教えたら、おまえは仕事を受けてくれんだろう?」


 ああ、ああ、言いやがる。当然だろうが、莫迦野郎。


「それであたしが喰われたら、葬式のひとつでも上げてくれるつもりだったのかい?」


 あたしが皮肉たっぷりに横目睨みに言ってやると、やっぱりサジの野郎は平然とした顔で言いやがった。


「おまえならなんとかすると思っていたさ」


 この野郎が、まあ、いけしゃあしゃあと。あたしが憮然と腕を組むと、サジの野郎はあたしの手にある蛇の脱け殻に顔を近付けてきた。


「ところで、いいものを持っているじゃねぇか。それが今夜の場代かい?」


「ああ。金無垢の蛇の脱け殻さ。こいつは高く売れるぜぇ。しばらく座に登らないで旅行でも楽しもうかね」


 あたしは脱け殻を掲げて、サジに得意げに見せてやる。これだけ見事な金の蛇殻だ。どれだけの値になるか、考えただけでも心が躍るってもんだ。へへん、おめぇのしけた上がりなんぞざ、とても及ばねぇ額になるぜ。


「はて、そんな余裕がおまえにあったか?」


 けれどサジはそんなあたしを訝るように、小首を傾げて訊いてきた。え、なんだって? あたしが眉をひそめると、サジはおもむろに懐からそろばんと紙の束を取り出す。ううん? 悪寒が走ったぞ。こいつはちと嫌な予感……。


「今夜の紹介料は当然ながらいただくぜ。それに宿代のツケがこいつだ。これが酒代、衣装代。お、こいつはでかい。火芸をし損じて焼いた座敷の修繕代だ。前にこの街にいた時に、夜逃げして踏み倒した未払い金がこれだけだ。なぁに、釣りはちゃんと返してやるよ。じゃあ、そいつは預かるぜ」


 そう言って弾き上げたそろばんを証文と一緒に突きつけて、サジの野郎はあたしの手から蛇の脱け殻を掴み取っていきやがった。ああ、なんて無体な……。


「あ、そうだ」


 あまりの仕打ちに呆然としていたあたしに、サジがぽんと手を叩いた。


「その骸骨おろくの供養はおまえに任せたぜ。下手な坊主よりも確実だろうさ。供養代はちゃんと釣りに足しとくからよ」


 あたしの腕にある骸骨おろくをくるんだ風呂敷包みが、冷たい夜風にかさりと揺れた。……あん、なんだって? よろしくお願いしますだ? はいはい面倒見てあげますよ。これも縁だよ、仕方がない。仕方がない、仕方がないが……。


「じゃあ頼んだぜ」


 しんみりたたずむあたしに手を振り、サジの野郎は不快な鼻唄をまじえながら揚々と去っていく。

 あやかしなんざかわいいもんさ。生きた人間の方がよほどに怖い。だからあたしゃサジの背中に向かって思いっきりに言ってやったのさ。


「この人で無し!」

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