第28話
「どうするんだ? 貴様は?」
主語は抜けていたが、古川にはクライクハントの言わんとしていることは理解している。
言わずもがな、ここから先にこの土地を狙う意図があるのか、と言うことだろう。
「分かってるさ。こんな曰く付きの土地と知った以上、ここを狙うのは無謀ってもんだよ。腕試ししたいとは言ったがよ、魔法の全てを敵に回したいわけじゃない」
そう首をすくめると、「なら構わんのである」とクライクハントは興味を削がれたように身体を逸らす。
「お前はどうするんだ?」
ふと湧いた疑問を漏らす。
聞かせるための言葉ではなかったが、クライクハントは耳聡くもしっかりと聞き取って足を止める。
「あの女を殺すのか?」
続けて放った言葉に、だんまりを決め込んでいる。
古川から顔は見えず、暗がりのせいもあり、彼の考えは読むことができない。
人を殺すことに対しての逡巡か、それとも機関からは特に命令を受けていないのか、ただクライクハントは黙っている。
「本当にこの
その言葉は静かながらも、巌のように固い決意だった。
それを垣間見て、古川にはそれ以上かける言葉がない。
なおも言葉を繋げる前にクライクハントはガラスも割れボロボロになった窓枠に足をかけて空を跳ぶ。
「おーいおい……」
ちなみにここはこの教室は三階になるはずだ。
身体を起こしてその姿を視線だけでも追うことも考えたが、まだダメージが抜けていない身体を動かしてまですることではない、と思い直す。
「バケモンめ」
完全に彼の魔力が感じられなくなった頃、ボソリと悪態を吐く。
トコシエの顔を思い出す。
「本気であのオッサンを敵に回して、今のお前で勝てんのか?」
黙って見送りながら、他人事ながらトコシエに同情していた。
※
七大神秘にまつわる一通りの話をトコシエから聞かされる。
魔法の話をしているのだから当たり前だが、今までトコシエやクライクハントから聞いた話のどれよりも非現実的な話だった。
「私が目指すのは、大切な人を助けること。そのために『星の雫』が不可欠なのです」
今もなお、口から出ら言葉は抽象的な言葉だった。
それは誰なのか?
今どうなっていて、どうすればその人は救えるのか?
未だ見ぬトコシエの「大切な人」に想いを馳せる。
家族か、友人か、師匠か、それとも恋人か。
その人物が彼女にとってどれ程に大きいのか分からない。
「……クライクハントが言ってた」
「ーー?」
「この街の結界は特殊で、古川道治はこの街の結界を壊すかもしれないから、アイツに結界を託せない、って」
正確に言えば泰生の方がマシ、と言うことなのだろう。
「特殊ってのは、きっとトコシエが言ってた『事情』なんだろうと思う。
そして、その結界の核を取り出すってことは、この結界をぶっ壊すってことかい?」
その言葉に黙って頷く。
壊す可能性がある、という生ぬるい話ではない。
確実に破壊するとこの女は言っているのだ。
「それは、魔法の世界の全部を敵に回すって言うのかい?」
それに対しても静かに首を縦に振る。
あまりに淡々とした態度。
彼女らしいといえば彼女らしい。
しかし、こんな
「どうして……?」
留まるならここだったはずだ。しかし、「え?」と、声を出した彼女の顔がいつも通りすぎて泰生は喉まで出かかった言葉を力強く吐き出した。
「なんでそこまでしなきゃいけないんだ!?
もしそれでトコシエの目的が達成できたとしても、君はどうやって幸せになるんだよ!」
普段ならそこまでは言わない。
基本的に自己主張の少ないのが泰生の美徳であり欠点である。
しかし、今ここで彼女を見過ごして、突き進むとどうなるのか考えたくもない。
「……優しいですねタイセイは」
初めて見せる感情の爆発にトコシエは戸惑っているようだった。
そのせいか知らないが、トコシエの声は常よりも優しく、穏やかだったように思う。
「私は幸せにはなってはいけないんですよ」
「そんなことは……」
そう言って否定しようとした言葉を「ありますよ」と切り捨てるように遮った。
「私の幸せな時間は確かにありました。しかし、もうあの時間は失われたのです。
私の手によって」
その言葉は懺悔だったように思える。
いや、正確には少し異なる。
トコシエが漏らした懺悔のような言葉は、重く、深く、それでいて鋭く耳に突き刺さるように響いた。
「いいんです私の幸せなど。あの人の命を救うためなら、こんな命なんてーー」
「バカ言うんじゃない!」
その言葉に打たれたように顔を上げる。
その表情は不意を突かれたためか、なんの取り繕いもない自然な顔である。
(そんな顔もできるんじゃないか……)
その事実に、泰生の胸の内には少々の安堵と多大な歯痒さが混じる。
「トコシエの言葉気に入らない」
彼女の言葉は懺悔のようでいて懺悔ではない。
懺悔とは自らの罪を洗い流すものである。
だと言うのに彼女はそのつもりがなかったのだ。
許してもらうためではない。
自分を慰めるためでもない。
同情を集めるためのものでもない。
自分を縛るため。
自分が失った未来を捧げて、自分を縛る。
きっとあの言葉で自分を裁いていたのだ。
誰かが犠牲にならなければ、誰かを救うことできないというならば。
彼を救った彼の祖母はどうなるのだ。
泰生よ不幸を背負って死んだなどとでもいうのか?
「君の願いはよく知らない。事情も知らない。
でも、君が誰かを助けるために君が不幸にならなきゃいけないなんてバカげてる!」
命をかけて誰かを助けたい、と言える彼女が、どうして不幸にならなきゃいけない?
そんな不条理を正すために
「なぁ、トコシエ。僕はばぁちゃんのことは大切に思ってるし、できれば遺してくれたものだって大切にしたいと思ってる。
でも、僕はこの結界自体には拘りはない。だからさ、君が幸せになるために使いたいっていうなら、僕は別にそれだっていいんだ」
僅かな逡巡ののちに、トコシエは呟いた。
「それはーー」
※
「それはーー」
その提案は、遠い側に捨てたはずの想いを呼び覚ますような類の誘惑だ。
それをする目の前の少年は間違いなく脅威だった。
そのせいだろうか。
あまりにトコシエは泰生の話に意識を向けすぎていることに気付かない。
「やれやれだ」
もっと強力で明確な脅威が、泰生の背後に降り立った直後、糸を切られた人形のように泰生は崩れる。
誰が何をしたのか、問うまでもなく明白だ。
「タイ……セイ……?」
なぜ気づかなかったのか。
その直前まで全く気配を感じなかった。
魔力も殺気も、直面しただけで怖気か走りそうになる死の気配も。
「気を抜いたなトコシエよ。
貴君はここに来るべきではなかったのである。
そうでなければ藤吉泰生は死ぬことはなかったのだから」
そうして話すクライクハントは前にくずおれた泰生が死んだのだと、その男は言った。
こうなるのは分かっていたはずだ。
泰生を巻き込めば彼自身の命を危険に晒す。
甘えてしまった。
軽んじていた。
狙われるなら首謀者である自分からだ、などと無条件に考えた?
集団の敵に挑むときに弱い方から叩くなどセオリーではないか。
「タイ……セイ……」
目の前で倒れ込んだ少年を見ていた。
このとき、茫然自失で佇んでいた彼女からは、ずっと追い求めた望みすらも一瞬とはいえ忘れていた。
「クライクハント……ッ」
そこにいるのは凶手。しかし、自らの危機よりも認めることのできない一言があった。
「嘘をつくな!」
彼が死んだと言うその言葉を認めることはできない。
そんな言葉で現実を否定することしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます