第16話
「さあ? それはどうであろうなーー」
その声の主は桜の木からかなり二〇メートル程度離れた場所で月明かりに照らされながら立っていた。
どこにでもあるような立ち姿。だが、見る人が見ればわかる。
適度に力が抜けつつも、気は些かも緩まず。一本の柱のように安定しつつ、毛先まで張り詰めているかのようにビシリと伸びたその姿は戦士のようであると。
ロマンスグレーの壮年の男性。
身にまとったのは真っ黒の喪服。
国籍はわからないが、顔つきを見れば東洋人でないことは見ればわかる。
こんな登場人物は誰も知らない。
「私はクライクハント、魔導機関より派遣された魔法使いである」
「魔導機関……」
祖母である藤吉セツが一時期所属していたという謎の組織。
予想もしていなかった第三者の介入に、多少焦りを見せたように言葉で相手を抑えにかかる。
「へぇ、機関サマが俺に何の用事だ?」
「知れたこと。貴様らの闘いを見に来たのだ」
しかし、対する壮年の男は事務的に抑揚を抑えた声で告げた。
「ここの結界の行方が決まるのだろう? それを見届けるのは至極当然である」
「見届ける?」
「全ての魔法の管理を行うのが魔導機関であるならば、当然、この偉大秘蹟の行方を見届けるのも役目。
ならこの戦いを見過ごす訳にはいかぬのだろう」
考えてみれば当然の話。
如月の大結界が例外的な措置を取っていたとして、その所有者が変わらようなことになって、今までと同じように見逃し続けるとは思えない。
「どんな人物がその後継に名乗りを上げるかを見守るように指令を受けているのだがーー」
「なら、どうだい? そっちの素人と俺を比べてみて」
その言葉にクライクハントと名乗る男は顎に触れながら口を開く。
「論外である」
その言葉に古川は呆然として「は?」と言葉を漏らした。
たった一言の言葉を飲み込むことも受け入れることもできなかったのか、ただ呆然としていた。
時間にして二.三秒のことであったのだろうが、それを過ぎれば流石というべきか、怒りと屈辱で表情を僅かに歪めた。
「……すると、俺はそこの素人よりも、この結界にふさわしくないとでも?」
「そういうことになるのである」
努めて冷静にしようとした結果なのかもしれないが、わざと余裕ぶった口振りで聞き返すも、クライクハントは変わらず、坦々と事務的にそう告げた。
「なぁ、おい。お前さ、何で分かってないのかなぁ。そこの素人は『発』すらも曖昧でいい加減、そんな奴が俺よりもこの大結界にふさわしいの?」
「当然であろう、愚か者」
「貴様は『基本』を余りにも疎かにしすぎている」
「はぁ? 確かに俺は『発』も『縁』も人並みかもしれんが……」
その言葉はクライクハントによって遮られた。
ほんの僅かに漏らした失笑によって。
漏れ出た声は、ほんの僅かなーーそれこそ気をつけていなければ聞こえないようなものだったが、古川の言葉を止めるには充分なものだった。
「ーーそんな話をしているのではないのだよ」
坦々と話を進めるクライクハントに古川も泰生も呆然としていた。
その様子にようやく合点がいったと言う風に頷く。
「なるほど、貴様は根本的に思い違いをしている」
「思い違いだと……」
対してクライクハントはそれ以上の問答は意味を見出せなかったのか、その答えを提示することはない。
「退け。まだ今なら見なかったことにしてやることができる。お互い不必要に傷つくこともあるまい」
「不必要ーーね」
古川は退けない。退けるはずもない。
ここで退くと言うことは、今までの全てを否定すること。
一方的に無能と言われ、どうしてここで退けると言うのか。
「俺にとっちゃ必要なことなんだよ!!」
口から漏れたものは、怒りがにじみ出るようなほどに感情的な慟哭だった。
その感情に突き動かされるように、短刀を真っ直ぐに構えて疾走した。
それは端的に言って、放たれた
事実、二〇メートル程度離れていた距離を一呼吸の間に半分に詰め寄った。
「そうであったか」
その速さに一切たじろぐ様子もなく、むしろクライクハントは余裕を持って構えていた。
「それは失礼した。決して侮っていたつもりはなかったが、どうも知らずのうちにそのような態度を取っていたようだ。
なら、私も全力で迎え撃とう」
そう言った途端に大きく状況が変わる。
突き進んでいた古川は足元から崩れるように倒れこんだ。
その姿はさながら風に煽られた矢のように、急にコントロールを失って失速した。
「ふむ、どうかしたのであるか?」
言葉とは裏腹に気遣う素振りなど微塵も見せずに、白々しさすら感じる態度だった。
ただ坦々と話していることが、どこか皮肉めいていて、それが古川の気を余計に震わせていた。
「お前! 何を……」
「何を、か……」
何を今更、と表情が語っていることが泰生にも見て取れる。
むしろその答えが出なかった、古川を嘲るように見えた。
「魔法なんですね」
その泰生の答えに古川は驚き、クライクハントは静かに頷く。
「そう、私は魔法使いである。ならば魔法以外に何の答えがあると言うのだ」
「そう言うことを言っているんじゃーー」
そこまで古川が言いかけて言葉が途切れる。
座っていることすら辛くなって姿勢が崩れたせいであった。
立っていられないほどの疲労に彼自身が困惑しているようだった。
その困惑は彼が何故かの不思議が魔法だと即座に受け入れられなかった理由に繋がる。
「お前、魔道具はどうした?」
「さぁ、どこにあるのであろうな?」
意味ありげな言葉で答えを濁した。
古川は軽く舌打ちをするが、それ以上は口を開かない。
追求している場合ではないと悟ったのだろう。
その手にした短刀を振るうのも、魔法の行使もできてあと一回程度。
「見せろ……」
だが、それは諦めたことと同じでは無い。
「む?」
「見せろ!」
その瞬間。
足元が爆ぜた。
「え?」
弾けた後に答えるように巻き上がる粉塵に、一時的に視界は奪われる。
その時間は僅かに一〇秒前後。
しかし、視界が開けるころには金髪の男はどこにも見えなくなっていた。
「逃げたか……」
それは新たな魔法なのか、隠された魔法なのか。
どちらにせよ、彼はまだ牙を隠していた。
「追わなくてもいいんですか?」
泰生のそんな疑問に対して、クライクハントは静かに首を振った。
「私の任務は見届けること。それは私の任務の範疇にない。
それよりもーー」
そうして、クライクハントは今までとは違う場所を向いた。
「そこの少女を、このままにしてはおけないのである」
トコシエは力なく倒れていた。
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