第4話

 ところで、一人で暮らす上では炊事、洗濯などなどの家事はある程度こなせなくてはならない。

 と言うか、他にやってくれる人がいないので、やっていると自然とこなせるようになる。


 一度、瑞池にこのことを聞かれたときには、「外国に一人で住んでると自然とその国の言葉がわかるようになるらしいがアレに近いんじゃないか?」と根拠不明の説明をして余計に混乱させたことがあるが、別に完全に的外れなことは言っていないはずである。


 最初には米を研ぐことすら覚束なかったが、今ではそこらの高校生よりも上手いこと作れる自信がある。

 もっとも、歴戦の主婦のような膨大なレシピを持ち合わせてはいないので、「昨日は肉だったので、今日は魚にでもするかな」などの考えには至らず、ほぼ気分と好みでメニューを決めている。


「じゃ、今日は時間もあるし、手間のかかる春巻きにでもするかな」


 昨日がトンカツであったのは彼しか知らないこのなので特に問題はない。

 が、

「ってあれ? 豚肉買ってなかったっけ?」

 と、下拵えの着前に冷蔵庫を開いて気づく。

 皮がなければ他の料理に切り替えることもできたが、豚肉以外は全て揃っているときたら今更のメニュー変更はありえない(と彼は思っている)。

 やれやれ、と立ち上がり財布だけをジーンズのポケットに突っ込んで外へ向かう。

 今から向かうのは一キロほど先にある総合スーパーで値段は今ひとつだが、まぁ、一通り欲しいものは揃っていると言うのが売りの店舗である。

 多少の手間だが、明日から夏休みだとおもえばそれくらいは許容範囲であると言える。

 それくらいの気持ちで、家を出たことを後悔することをこの時は泰生には全く予想していなかった。


 ※


 それに気づいたのは、決してそこから遠い話ではない。

 藤吉邸は四方を漆喰の壁に囲まれ、南に向かっていかめしい門が来るものを拒むかのように設けられている。

 その門を出て十数歩ほど歩いたところでそれに気づく。


「うわ、なんじゃこりゃ」


 それは壁に付けられた大きな傷。


 傷と言っても、十円傷のような甘っちょろいものではなく、抉られた痕のような大きなもの。

 大きさは一メートルはあろうか、余程力強く付けられたのか漆喰の奥にある骨組みも多少露出してしまうほどであった。


「誰がこんなこと……」

 彼が帰宅した時も当然かの壁の前を通っていたはずなのだが、その時はこんな傷がなかったのは間違いない。

 ならば彼が帰宅してから今までの立った数時間の出来事であると言うことだ。

 さほど人通りが多いわけではないのは確かだが、それでも誰にも気付かれずに出来るようなことだとは思えない。


「ヒドイだろ、こりゃ」

 先週掃除をしたばかりだと言うのに。

 そこまで考えて、先ほどの瑞池との会話を思い出す。

「これって、巷で噂の『切り裂き魔』って奴の仕業なのか?」

 瑞池が先程話した都市伝説もどき。

 こんな田舎町でそんな話があるかと半信半疑であったが、よもや自分の家にやって来るとは思っていなかった。


 そしてーー、

「おいおい、『切り裂き魔』なんてセンスのない名前で呼んでは欲しくないな。しかも、世界最高レベルの大結界の管理者ともあろう人が」


 その傷痕と同じように先ほどまで何もなかったはずの場所から突如として姿をあらわした現したのは、泰生よりも少し歳上の大学生くらいの年頃で、金髪にピアスという多少派手だがどこにでもいそうな青年である。

 格好も派手な赤いシャツに短パンとチャラくはあったがさして珍しくもない。

 だが、口にした言葉は馴染みのない奇抜な言葉だった。


「だ、大結界? ちょっとなんの話さ?」

「おや、人違いだったか? 藤吉セツの後継者という話だったが……」


 後継者という単語に首を傾げる。祖母の死後に受け継いだ価値がありそうなものなどせいぜいがこの屋敷くらいのもので、あとは多少家事の心得を学んだに過ぎない。


「それより、ひょっとして貴方がやったんですかコレ? イタズラにしちゃあんまりじゃないですか? 警察呼びますよ」

 そう言うと、その男は一瞬驚き、その後、くつくつと笑う。

 怒るでもなく、怯むでもなく、開き直るとも少し違うそんな態度に泰生の方が怯んでしまう。


「な、何? 僕、なんか変なこと言った?」

「いや、気を悪くしたなら謝ろう。しかし、排除でも交渉でもなくいきなり警察とはな。なかなかいい演技じゃないか」

「え、演技?」


 本当に目の前の男が何を言っているのか分からなくなってきた時にアロハ男は口を開いた。


「あの『長老エルダー』の後継者であり大結界の管理人たる『魔法使い』。それがこの街に起きていた事件ふしぎに魔法が関わっていないなんて思っちゃいないだろ?

 中々、見つけに来ないから来てやったのに。なんだよ肩透かし食らったぜ」

「ま、魔法?」

 とても目の前にいる大人から発せられるとも思えない台詞が耳に届く。


「おいおい……、ホントに気づかなかったのか? それとも音に聞こえし偉大秘蹟グレートワンダーとやらは大したことないのか?」


 ため息混じり呟くその他にはいつの間にか短刀が握られていた。


 全長およそ六〇センチ。ほとんどが黄金色で覆われており、その刀身は刃物というよりも、さながら小さな杭のような尖った三角錐の形をしていた。


「ちょーー」

 おおよそ機能的とは呼べないデザインは玩具のようで。

 しかし、突き立てれば確実に自分を殺せる凶器に思わず三歩退き、相手から距離を取る。

 それは生物として決して間違いということはないはずだった。


 しかし、それは結果的に失敗だった。

 その男は大きな動きで鞘を取り払い、逆手に構えていきなり地面を斬った。

 その時間はわずかに二秒程度。

 想像するよりも遥かに滑らかな動きにただ驚く。

 しかしは早い。その流れる様な動きは驚きはあれども未だ常識の範囲の内側。

 彼が振るう不思議の前段階に過ぎないのだ。

「見せろ」

 そう発した言葉が奇跡開始の合図。

 引き金にして、小刀でつけた地面の傷痕が大きく広がった。

 それは魔法使いの真骨頂。

 縦、横、深度とどれも均一に同じように拡がっていく。

 それはやがて、傷と言うよりも溝になっていた。


 そして、その傷が伸びる方向に逃げたがために脚が溝に取られる。

「なーー」

「遅い」

 その隙を見逃さず、金髪の男は勢いよく距離を詰め、手にした小刀で泰生を突き刺すように構えーー、

「終わりだ」

 そう金髪の男に言われるまでもない。

 不思議や奇跡に頼らずとも、その凶悪な小刀があれば泰生の命を絶つことなどそう難しい事ではない。


「勝手なことはやめてくださいーー」

 そこに誰も現れなければーー

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