サフォケイション

杓井写楽

第1話

餌木さんはシャールよりいくつも年上の、シャールのお隣さんです。シャールは、餌木さんと初めて出会った時に、自分にとても優しくしてくれたのを、印象的に、少し前までは、実はとても好印象の部類で、記憶していました。身なりがきちんとしていて、かつ独特の空気を纏っていて、話し方に知性が感じられて、セクシーで、とても素敵な方だなあ、と思いました。住まいがお隣ということもあって、自然と交流もまあ盛んになったのですが、それとはまた別の次元で、餌木さんは日常的にシャールにとってもとっても優しいのです。そのことに気付くまでに、そう時間はかかりませんでした。それは異常とも言える気の遣い方でした。シャールが何か落としたら拾う、シャールになにかをくれる。なにか困ったことはないかと、聞いてくれる。別に、とてもよくお話するとか、とても慣れ親しんでいるとか、そういうわけではないのです。仲良くなるほど深い話をさせてくれるわけでもなく、お隣さんなりの距離感は保ちつつ、なのに何故かすごく、尽くしてくれるのです。一つ一つを見ていけば、ありがたいし、そう気にすることもないことですが、なぜかそう、喜ばしくも思えなくなりました。なぜか、居心地が悪いのです。ここまで気にかけられること自体人生初めてで、慣れていないのもありますが、自分を見る餌木さんの、なにを考えているかはわからないけれど、なにも考えていないわけではない、それだけはわかる目、何か見返りを期待しているようにも見えるけれど、よく見たら何も見返りなんて求めていない目が、気味が悪いと感じることもありました。しかもどうやらシャールにしかその甲斐甲斐しさは発揮されていないらしいのです。「餌木さんってちょっと献身が過ぎませんか、」と後輩のレクトくんにぽろっと言ってみたところ、「は?てっきり先輩が弱みでも握ってんのかと思ってたんですけど」等の若干失礼な回答が得られ、あれがやっぱり傍目から見ても異常かつ、自分にのみ行われる行動だと確信が持てました。確かに餌木さんは、自分以外には至極まともでした。第一印象がとっても良かったこともあって、自分にもあんな風に接してほしいな、なんて思ったりもします。いつもありがとうございます、餌木さん…そう言いつつ、さりげなく距離を取ろうとするけれど、餌木さんはそのやんわりとした拒否に気付かない、というか無視しているのか、やっぱりとても尽くしてくれます。シャールは、いつからか、本人にも、周囲のみんなにもわからないように、怪訝そうな目で餌木さんを見ることが増えました。今までこんなに自分に気を向けてくれる人なんていたことがなく、ひとりでいることが多かったので、ぼーっとできる時間が餌木さんによって少し減っていることに気付いて、他人は自分の時間を盗ることができるんだな、それを実感しました。よく、ため息をつくようになりました。さりげなく、じゃなくて、きちんと避けよう、そう思って引きこもることも増えましたが、そうしていても侵食は0ではありません。今日も朝から、部屋の外から聞こえたグレブさんの「餌木さんがまたシャールくんにプレゼント持ってきた~」と言う声で脳みその血管が切れた気がしました。ため息はもう、癖でした。一緒に住んでいるみんなには、餌木さんを避けたいとか、迷惑だとか言ってるわけではないので、というか言えないので、最近はシャールが珍しく好かれてやがるみたいなエンターテイメント性すら見いだされてるらしくて、下手したらみんなは餌木さんを率先して家に招きます。餌木さんはそこら辺とても上手で、シャールにつきまとう自分を卑下も隠しも何もせず、ストレートに周知させて、愛嬌にすらして、いつのまにかしっかり、この家の全員にとても好かれているようでした。シャールにはそれが、餌木さんがみんなを利用しているように見えました。餌木さんとそう気が合うようにも見えなかった上に、シャールが餌木さんを避けていると一応は理解しているレクトくんさえ、餌木さんを自分に押し付けるみたいなことを言います。

「餌木さんおもしろいのに。あの人超頭キレますよ。先輩も餌木さんと話したらちょっとはアホ治ると思う。」

「なんで餌木さんがこんな人にこんな甲斐甲斐しいのか理解に苦しむ。」

……みんな、餌木さんを褒めます。なんだか孤島にいるような気分になります。餌木さんを避けたいとかみんなに言えない理由は、そこにありました。けれど、自分は実際に本当に、餌木さんをストレスに感じるのです。誰もわかってくれなくても。誰もが餌木さんをまともと言っても、一番のストレスなのです。じーっと見られていた時もありました。名前を呼ばれて、なんでもないのよ、とそのまま去られたこともありました。何も言わないくせに、ついてこられたこともありました。全部みんなのいないところで。自分から何か話しかけても、ごめんなさい、とかしか言わないくせに。もしかしたら、こうして追い詰めて疲弊させたくなるくらいに自分のことが嫌いなのかもしれません。恨みでも買ったのかもしれません。何にせよ、いい加減何とかしなきゃいけない……そう思いました。そうしたらなんだか、自分がこんなにいらいらさせられているのに何故自分からあの人の前にわざわざ……そういう気持ちになって、自然と舌打ちしていました。爪も噛みました。これらも、ひとりぼっちのときの、最近の癖でした。

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